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第71談 「ここ、座っていい?」~トー横怪奇談~

 私が、この話を聞いたのは、ドキュメント系ライターの知人(※本人の希望により、名前・年齢・性別は非公開)を通じて出会ったトー横に入り浸る少女――マリンさん(仮名)からでした。


 取材場所は、新宿駅前付近のカフェ。


 窓の外には、老若男女問わず無数の人々が街を行き交っていました。


 知人のライターと一緒にやってきたマリンさんは、コーヒーカップを両手で包みながら言いました。


 「おじさんが、怖い話を集めてる人?いいよ。アタシらが経験したトー横のマジヤバい話を聞かせてあげるよ」


 その声には、懐かしさと、どこか怯えが入り混じっているように聞こえました。


 トー横――それは、東京都新宿区歌舞伎町にある駅前の喧騒から少し外れた場所の通称です。


 季節を問わず家出少女や少年たちが集まり、カップ麺やコンビニ袋を抱えて時間をやり過ごす。


 「メインストリートからちょっと外れたビルの影。そこの自販機の横に、アタシらの〝場所〟があったの」


 冬になるとトー横の風は首元を刺すように冷たいそうです。


 でも、マリンさんたちの溜まり場は、周囲のビルが壁となって風を塞ぎ、なぜか安心できたといいます。


 湿ったコンクリートの匂い、油切れたポテトの匂い、そして、どこか鉄のような空気の味。


 「仲間は五人いたの。マフラーぐるぐるのミナ、黒マスクで目元だけ派手なアオ、髪をピンクに染めたケイ、そしてスマホばっか見てるレナ。みんな、地元や家には帰れない事情があって、あの場所でなんとなく一緒にいたんだ」


 ※上記の彼女たちの名前は、全て仮名です。


 その夜も、彼女たちはカップ麺を回し食いしながら、時間を潰していたそうです。


 酔っ払いたちの笑い声に混じって、近くの車道から車のエンジン音やクラクションが響いてきました。


 それが、彼女たちの日常でした。


 「去年の冬の夜さ、アタシらのグループの前に、アタシが見たこと無い1人の女の子が立ってた」


 マリンさんは、そう言って少し間を置きました。カップから立ち込める白い湯気の向こうで、彼女の表情が曇った気がしました。


 「年はアタシらと同じくらい。薄いグレーのパーカーに、膝までのスカート。靴はローファー。真冬で寒いのか青い顔してたんだ」


 その子は寒そうに肩をすくめながら、マリンさんたちにゆっくりと近づいてきました。


 靴音はしませんでした。


 アスファルトの上を歩いているのに、音が吸い込まれるようだったといいます。


 その子は、マリンさんたちの真横まで来ると、小さな声で言いました。


 「……ここ、座っていい?」


 その声には、風に濡れたような湿り気があったそうです。


 マリンさんは何の気なしに「いいよ」と答え、空いていた段ボールを指しました。


 その少女は腰を下ろし、両手を膝に置いたまま、じっと前を見ていた。


 スマホもいじらない。自己紹介もしない。ただ、少し間を置いて、ぽつりと呟いた。


 「……帰れなくなった」


 その瞬間、マリンさんは、背筋の奥に氷水を流し込まれたような感覚を覚えました。


 息が白く濃くなり、風が止まった気さえしたといいます。


 隣にいたミナさんが、そっとマリンさんの袖を引いて、耳元で囁きました。


 「ねぇ……あの子さ、足が見えてなくない?」


 マリンさんが視線を下ろしたとき、少女の足元は影に溶けるように曖昧でした。


 街灯の明かりが届いているのに、靴の形が見えなかったそうです。


 ただ、その顔だけは笑っているように〝見えた〟といいます。


 「ケイが、〝ねえ名前は?〟って聞いたんだ」


 マリンさんは、唇を噛みながら続けた。


 「そしたらさ、少し間があって、〝ミカ〟って答えたの」


 その名を聞いた瞬間、アオが青ざめて呟きました。


 「ミカって……去年、ここで行方不明になった子の名前じゃん!」


 彼女の言葉を聞いたマリンさんは、確かにそんなニュースがあったのを思い出しました。


 歌舞伎町で姿を消した1人の家出少女。警察がトー横キッズたちに聞き込みしていたが、結局見つかりませんでした。


 その子――ミカは、不意に立ち上がり、大通りの方向へ歩き出しました。


 時々、こちらを振り返りながら。


 誰も声をかけられないまま、マリンさんたちは全員で後をついていきました。


 「街灯の数が一つ減るたびにさ、空気が冷たくなっていくんだよ。音がだんだん遠のいて、息する音だけが響く感じでさ」


 そして、辿り着いたのは、歌舞伎町の高架下の奥。昼でも暗い、コンクリートの壁に囲まれた場所で、夜は、まるで底なしの井戸みたいに暗いそうです。


 ミカは振り返り、はっきりと言いました。


 「……寒い。帰れない」


 マリンさんが瞬きをした瞬間、一陣の風が耳元を抜けました。


 一瞬だけ視界が閉ざされ、気づけば――ミカの姿は消えていました。


 ただ、地面には濡れたローファーが一足、ぽつんと置かれていました……。


 後日。ミナさんが、マリンさんに教えてくれた。


 「ねえねえ!〝座っていい?〟って聞いてくる子のマジヤバい噂があるんだって!」と。


 それは、トー横に伝わる奇怪な噂話だったそうです。


 行方不明になった少女たちが夜な夜な現れ、誰かに「場所を分けてもらう」ことで、その子を自分と同じ〝帰れない存在〟にしてしまう――。


「だから、古くからの子は、見知らぬ女の子が聞いてきても絶対に座らせないんだって。座らせたら、数日後にはいなくなる。警察が探しても見つからない。写真を見せても『その子は何年も前に死んでる』って人までいるらしいよ」


 そう語るマリンさんの声が、徐々に震えていました。


 彼女の指先が、コーヒーカップを強く握りしめていたのです。


 ミカとの一件から3日後。レナさんが姿を見せなくなりました。


 LINEは既読がつくのに、返事はありません。


 その夜、アオが小さく言いました。


 「昨日、レナ見たって子がいる。知らない女の子と一緒にいたんだって」


 その目撃者の子の話よれば、知らない女の子は「ここ、座っていい?」と尋ね、レナさんは笑って「いいよ」と答えたそうです――。


 それを最後に、レナさんは消息不明となってしまったそうです。


 レナさんが、知らない女の子と座っていた場所には、片方だけのスニーカーが落ちていたとか……。


 「それ以来、『座っていい?』って言葉が怖くなったよ。その相手が友達でも、知らない人でも。返事をした瞬間に、もう帰れなくなる気がして」


 言い終えたマリンさんは、冷めたコーヒーを見つめました。


 その液面に、カフェの蛍光灯が揺れていました。まるで水面に映る街の明かりのように、ゆらゆらと。


 ふと見ると、マリンさんは少し笑ってました。けれど、その笑みはどこか痛々しく見えました。


「あれ以来、ときどき夢に〝ミカ〟が出てくるんだよ。夢の中のミカは、必ず聞いてくるんだよ『ここ、座っていい?』ってさ」


 その言葉を聞いた瞬間、私は返す言葉を失いました。


 カフェの外では、相変わらず人波が絶え間なく流れていました。


 昼の喧騒に包まれてる新宿の午後。それでも、なぜか店内の空気がひんやりとしているように感じました。


 会計を済ませると、マリンさんが立ち上がり「じゃあ、ありがとうね」と言って、出口の方へ歩いていきました。


 取材を終えた後、私はトー横の方向へ足を向けていました。


 歌舞伎町は、昼夜を問わず明るくて、騒がしい。


 それでも、取材の時に聞いた彼女のグループが溜まり場にしていたという一角だけは、どこか空気が止まっているように感じられました。


 マリンさんの語った出来事が真実なのか、あるいは彼女が過酷な夜の中で見た幻なのか、私には分かりません。


 ただひとつ確かなのは、この街には、いまだ〝帰れないまま座り続けている誰か〟の気配があるということです。


 そして、私が懸念してるのは、‶あの夜〟ミカの問いに「いいよ」と答えてしまったマリンさんは、これからも無事で暮らせるか?ということです。


 もしもアナタが夜のトー横で、見知らぬ少女から「ここ、座っていい?」と声をかけられたなら――


 どうか、「いいよ」と答えないでください。

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