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第62談 買い手を選ぶ物件

 不動産の仕事というのは、職業柄「人の暮らしの痕跡」に触れる機会が多いと思います。


 私の個人的な考えですが、壁の傷や、押入れに置き忘れられてしまった古い雑貨――物件の担当者は、それらを目にするたび、そこに暮らしていた人々の気配を感じる事があるのではないでしょうか?

 

 だが、時には“常識的には考えられないもの”が、残り続けてしまう事もあるかもしれません。


 今回は、そんな事を考えさせられるお話です。


 私の友人の石山田さん(仮名)が紹介してくれた智子さん(仮名30代)は、不動産会社に勤めています。


 彼女は霊感体質らしく、これまでにも数々の不思議な体験をしてきたそうです。その中の1つを以下に綴ります。


 ‶その物件〟は、某地方の町外れにありました。かつて、敷地内に建てられた小屋で借主が首つり自殺してしまったそうです。


 その後、小屋は取り壊されて、土地が競売にかけられたものだったそうです。 


 会社の辞令で智子さんが担当した時には、すでに新しい持ち主の秀太朗さん(仮名 没年齢不詳)が暮らしていたのですが、程なくして彼は病死してしまい、その娘さんが家と土地の売却を希望するようになりました。


 打ち合わせの場で会った娘さんは、智子さんの予想に反して明るい表情をしていました。


 けれど、笑顔の端々に、どこか影が差すような寂しさが見えたといいます。


 「父の死は病気だから仕方ないと思ってます。ただ……せめて良い人に譲りたいんです」 


 そう言った娘さんの声は、湿った紙のように、しんなりとした響きがありました。


 数日後、件の土地と物件を見に来た客を案内した時の事です。


 智子さんいわく、‶その男〟は初対面から嫌な印象を与える人物でした。


 声は必要以上に大きく、鼻にかかった笑い声を繰り返し、やたらと「安くならないのか?」と値引き交渉をしてきたり、どこで調べてきたのか「前のオーナーの病死も首吊り自殺した奴の祟りじゃないか?」と、しつこく言い立ててきたそうです。


 その言葉の節々に‶土地に染みついた過去〟をあえて利用しようとする下心が滲み出ていて、智子さんの胸には冷たいものが広がりました。


 彼と一緒に家に入ると、湿った土壁の匂いが鼻に刺さりました。


 まだ新しいはずの建屋には、風の通り道がないのか、妙に息苦しい空気が淀んでいたそうです。 


 廊下を進む靴音だけが、微かに空間に反響していました。


 リビングから続く和室に、彼を案内するため押入れの前を通りかかった瞬間――。 


 〝ガタ、ガタガタッ〟と木板が震えるような、重たい物音が響いたといいます。 


 まるで、押し入れの中に誰かが潜んでいて、その体をぶつけているかのような低く鈍い衝撃音でした。


 空気がピンと張り詰め、畳の上に落ちた埃までもが、小さく震えているように智子さんには見えたそうです。 


 彼女の心臓が早鐘のように鳴り、冷たい汗が首筋を流れ落ちていきます。 


 だが、隣に立ってる男は、何事もなかったように腕組みし、彼女に値切りの話を続けています。 


 (もしかして、この音はお客さんには聞こえていない?) 


 そう思った瞬間、彼女の胸の奥でざわつきが強くなりました。


 気を紛らわそうと思った智子さんは、世間話を装って、こう言いました。


 「お客様。今日は、何だか風が強いですね」 


 しかし、男は眉をひそめ、訝しげに「はぁ?いきなり何言ってんの?風なんか吹いてないだろ?」と鼻で笑いました。 


 彼の反応を見て、智子さんは悟りました。


 (この音を聞いているのは、自分だけだ)と。


 彼女は声には出さず、心の中で強く(この人には売らないから大丈夫。安心してください)と念じました。


 すると、押入れから響いていた音がスッと消えたそうです。 


 まるで、水面に広がっていた波紋が一瞬で静まるように……。 


 次の瞬間、部屋の空気が僅かに軽くなり、湿った匂いも薄れていきました。


 男は押し入れからの音に気づく様子もなく、結局購入を見送りました。 


 後日、人当たりの良い別のお客さんを案内した時には、件の押入れは驚くほど静かでした。


 板は乾いた木の匂いを放ち、何の異音も響きません。


 むしろ、智子さんには、最初から‶あの出来事〟がなかったかのようにさえ思えたそうです。


 一週間後。その土地と家は、二番目に案内したお客さんが契約を結ぶ事となりました。


 智子さんは、その後も不動産関係の仕事を続けていますが、あの日の押入れから聞こえた音を今も忘れられないと語ってくれました。


 彼女は、今でもこの出来事について考える時があるそうです。


 あの〝押し入れからの音〟は、秀太朗さんの霊が、最初の客には購入して欲しくないという拒絶反応だったのか?それとも、別の〝霊的存在〟の仕業だったのか?と……。


 取材を終えて原稿を書き上げた今、改めて読者の皆様に、私自身が感じた事をお伝えしておきたいと思います。


 この土地には、かつて小屋で首吊り自殺した借主がいて、その後に暮らした秀太朗さんも病で亡くなりました。


 私には、押し入れから聞こえた〝物音〟は怨霊などの恐ろしい存在の仕業には、どうしても思えません。


 むしろ「良き人に家を譲りたい」という娘さんの気持ちを汲み取った秀太朗さんの想いと、何らかの理由で自ら命を絶ってしまった借主の痛みが重なり合った、一種の死者の祈りのようなものであり、たまたま波長が合った智子さんに届いたのかもしれません。


 怪奇と呼ぶにはあまりに切なく、説明のつかない響き。


 けれど、人が暮らした家や土地に感情や記憶、願いなどが染みつくのだとしたら――あの押し入れからの音は、この土地に眠る人々が遺した最後の痕跡だったのではないか?と、私は思うのです。


 智子さんからは、他の体験談も取材させて頂きましたが、それは別の機会に語らせてください……。

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