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第59談 墓地に消えた男たち

 これは、色々な不思議な体験をされている知人であり女優の宮坂真理さんから聞かせてもらった話の一つです。


  私と宮坂さんが出会った経緯については、第40談 「某高地のトンネル奇譚」をご参照ください。

をご参照ください。


 都内某所の喫茶店の窓際、夕暮れ時の柔らかい光がテーブルに差し込む中で、宮坂さんは落ち着いた声で語り始めました。


 最初は「大した話じゃないんですけど」と控えめに微笑んでいましたが、記憶を辿るにつれて表情は次第に硬くなり、手元のカップを握る指先に力がこもっていくのが見えました。


 ――彼女が経験した出来事は、日常からほんの一歩踏み外すだけで、どれほど異様な世界に迷い込んでしまうのかを物語っていました。


 彼女が二十代後半のころ、営業の仕事で県外に出向いた帰り道のことでした。遅くなったので直帰し、自宅近くまで車を走らせていたとき、ふと「左に曲がれば近道だろう」と思い、通った事のない細い道へとハンドルを切ったそうです。


 しかし、進むほどに民家は消え、街灯もなく、窓の外は暗闇しかありません。舗装の荒れた道路をヘッドライトが照らし出すばかりで、静けさが耳に痛いほどだったといいます。


 「おかしいな……」と思った矢先、古びた校舎と、小さな橋の横に伸びる土手道が見えました。その先には、車のライトが行き交う幹線道路。安堵した彼女はその土手道に向かいました。


 ところが、目の前は鉄柵で塞がれていました。仕方なく、三百メートル以上をバックで戻ることになりました。


 やっと半分ほど戻った頃、校舎の影から白い光が差し込みました。


 ――いつの間にか、前方から軽トラックが近づいてきたのです。


 (この人も迷い込んだのだろう)と思いながらバックを続けましたが、やがてその軽トラは、彼女の車の間近まで接近してきました。ヘッドライトに照らされた車内にいたのは、作業着を着た二人の男。胸元には地元の有名企業名がオレンジ色で刺繍されていました。


 ところが、すぐに違和感を覚えました。2人とも異様なほど大きな体格で、肩は天井を押し上げるほど高く、車内が窮屈そうに歪んで見えました。にもかかわらず――どうしても顔が見えないのです。


 最初は角度やライトの反射のせいだと思ったそうです。けれど、バックライトが照らすたびに浮かび上がるのは、異様に広い肩口と、その上にポッカリと空いた「闇の空白」でした。


 「頭がない……」


 その事実に気付いた瞬間、息が止まりそうになったといいます。


 窓越しに伝わってくる目の前の車からの圧迫感は、妙に冷たく乾いていました。エンジン音に混じって、何かが擦れるような低い雑音が耳に引っかかり、それが〝頭が無い彼ら〟の呼吸なのかどうか判別できなかったといいます。


 さらに不思議なことに、風の通らない車内から、微かに、獣や人間の死体が朽ちていく時に漂うような匂いが、鼻先をかすめた気がしたそうです。


 生暖かい腐敗臭が空気の中に溶け込み、内臓がじわじわと崩れていくような甘ったるい臭気と、肉が腐りかけたとき特有の鼻を突く刺激臭が混じり合っていました。


 ほんの一瞬でも、それは強烈に「生きてはいない者の匂い」だと分かるもので、吸い込んだ途端、喉の奥に吐き気が込み上げたといいます。


 ヘッドライトの光に照らされた作業着の肩口から先は、切り取られたように空白で、そこには首も顔も存在せず、ただ闇が切り取られたように残っていました。


 その「人間なら必ずそこにあるはずのものが欠けていること」が、逆に強烈に存在感を放ち、宮坂さんの網膜に焼き付いて離れなかったのです。


 手の平からは汗がにじみ、ハンドルを握る指がマネキン人形のように強張っていくのを、はっきりと自覚したと語ってくれました。


 そして、見てはいけないものを無理やり覗き込んでいるような、罪悪感とも背徳感とも区別の付かない感情が心を覆い尽くすと同時に、悪寒が背筋を這い上がりました。


 彼女はその瞬間、頭では理解できなくても、本能が先に叫びました。


 (目の前の男たちは、この世のものではない!早く逃げなければ!!)と!


 慌てて車を後退させましたが、この時の彼女の心臓は恐怖で破裂しそうなほど早鐘を打ち、背筋には氷の指でなぞられたような冷気が這い上がり、二の腕の産毛が一斉に逆立っていたといいます。


 ……今思い返しても、あれは夢や見間違いではなかったと断言できると彼女は語ってくれました。


 普通の人間であれば、あんな不自然な姿で座れるはずがありません。きっと、彼らは墓地に帰る途中の霊だったのだと、宮坂さんは今でも思っているそうです。


 彼女が震えながら様子を伺っていると、軽トラはゆっくりと左に曲がり、墓地の前で止まりました。


 そして次の瞬間――運転席の男も助手席の男も降りてこないまま、そのヘッドライトだけがふっと消えたのです。


 辺りは一気に漆黒に沈み、まるで時間そのものが止まったかのような静寂に包まれました。風もなく、虫の声すら消え、耳に響くのは自分の心臓の音だけ。空気は急に重くなり、肺に冷たい鉛が流し込まれるようで、息を吸うことさえ苦痛に感じたといいます。


 しかし、奇怪なことに、その闇の中で、不自然なものが浮かび上がりました。


 ――軽トラの座席に残された‶2人の首なし男〟の体です。


 肩は確かにそこにあるのに、首も顔もなく、肩口から上はゴッソリと削り取られた闇の塊になっていました。光を失ったはずの空間で、彼らの「頭のない影」だけが、異様な存在感を放ちながら座り込んでいたのです。


 宮坂さんは必死に車をバックさせ、その後どうやって家まで帰ったか覚えていないといいます。


 取材中、宮坂さんは「頭がない」と口にした途端、表情を引きつらせ、指先をぎゅっと握りしめていました。その様子を目の当たりにした私も背筋が冷たくなりました。


 私自身、この話を聞いて以来、夜道で対向車とすれ違うたびに運転席を無意識に覗いてしまいます。


 そこに人間の形があっても「首」が見えなかったら――その瞬間、私は正気でいられるだろうか?と、今も恐怖を覚えるのです。

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