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第48談 廃業中華屋の呪物ロッカー

この話は、数年前にSNSを通じて連絡をくださった、西川武さん(仮名20代)から取材させていただいた実話です。


 「最初は、ちょっと臭うな……くらいだったんです」


 西川さんは、当時勤めていた中小企業の更衣室を思い出しながら、そう話してくれました。


 社員は十五人ほど。昔ながらの親族経営で、会社の空気もどこか家族的──というより、妙に“ケチ臭い”ところがあったといいます。


 特に社長の 上原清志さん(仮名40代)は、創業者の息子で、いわゆる二代目。会社を継いでからというもの、経費削減に異常なまでの執着を見せていました。


 コピー用紙の使用枚数や、トイレットペーパーの減り具合にまで細かく目を光らせ、社員たちからは陰で「ケチ原社長」と呼ばれていたそうです。


 そんな会社に、ある年、一人の中途採用社員が入ることになりました。


 しかし、更衣室のロッカーが一つ足りない──それが、すべての始まりでした。


 「社長、新しいロッカー買ったんですね」


 新入社員の初出勤前日。残業を終えた西川さんが更衣室をのぞくと、見慣れない鉄製ロッカーが一台、壁際に据え付けられていました。


 表面には長年使い込まれたような擦り傷や、薄茶色の染みがまだらに浮かんでおり、蛍光灯の白い光を受けて、どこか冷たく鈍い光を返していました。


 その直後、出勤してきた上原社長に尋ねると、彼は得意げに胸を張ってこう言いました。


 「近所の中華料理屋が廃業したんだよ。あそこの店主と知り合いでな。廃棄する予定だったロッカーを、タダで譲ってもらったんだ!廃棄費も浮くし、ウチはロッカーが手に入る。ウィンウィンってやつだ、ワハハ!」


 その笑い声が更衣室に響き、鈍く冷えた鉄のロッカーが、まるで空気を吸い込んだかのように、カタン……と小さな音を立てました。


 その時の西川さんは「風か何かだろう」と深く考えませんでした。


 ロッカーは新しく入社した 坂田克之さん(仮名30代)に支給されました。


 翌週、更衣室に入った瞬間、西川さんは眉をひそめました。


 むっと鼻の奥を突くような、酸化した油と汗とタバコが混ざったような臭い──古い中華料理屋特有の匂いにも似ていましたが、どこか、もっと生々しい“人の体臭”のようでもありました。


 ただ、坂田さん自身からは、そんな臭いはしなかったのです。


 「最初は、ロッカーの中に、中華料理屋の臭いが染みついてるんだろうなって、みんな思ってました。けど……ある日を境に、ちょっとおかしくなっていったんです」


 昼休みの食堂で、西川さんと坂田さんが向かい合って弁当を食べていたときのこと。


 「俺、毎朝きちんと鍵閉めてるんですよ。でも、終業後に戻ると、いつの間にか鍵が開いてるんです」


 坂田さんは小声でそう言いました。


 鍵は常に身につけていて、施錠後にはしっかり確認しているという。壊れている様子もありません。


 更衣室には坂田さん以外に鍵の複製を持つ者はいませんでした。


 その頃からです。


 更衣室に入るたびに、あの臭いが少しずつ強まっていったのは──。


 ある晩、西川さんは翌朝納期の資料を仕上げるため、夜の十一時を過ぎても残業していました。


 人気の消えた事務所は空調の音すら止まり、天井の蛍光灯がジ……と小さく唸る音だけが響いていました。


 着替えのために更衣室に入ると、空気がじっとりと重く、臭いがいつも以上に濃く感じられました。


 ロッカーのある一角だけ、空気がわずかに“ぬるい”──そう感じた瞬間、


 背後から、じっと見られているような圧を覚えました。


 「気のせいだ……」


 そう言い聞かせながら、ロッカーの扉裏に貼った小さな鏡をのぞき込んだときです。


 ──鏡の隅に、俯いた中年男性の肩が、一瞬だけ映りました。


 油で、ベッタリとしたような髪。


 深く項垂れた頭。


 そして、肩が僅かに上下している──まるで、息をしているかのように。


 反射的に振り返った西川さんの視界には、白いロッカーが整然と並ぶだけで、人影はどこにもありませんでした。


 静まり返った更衣室に、背中を伝う汗の一筋だけが冷たく流れ落ちました。


 それから一週間ほど経ったある日、坂田さんが突然退職することになりました。


 理由は語られませんでした。ただ、最終出社の日、彼が更衣室で、ジッとロッカーを見つめていたということだけが、強く印象に残っていると西川さんは言います。


 彼は上原社長に、鏡で見たことや臭い、鍵の件などを話し、撤去を提案しました。

 

 しかし、社長は鼻で笑って一蹴しました。


 「そんなもん、お前らの勘違いだ。どうせ次の社員が入ったときに使うんだから、捨てるわけないだろ」


 それを聞いた彼自身も更衣室を使うことと、社員を大事にしない社長の性格に耐えられなくなり、程なくして会社を辞めました。


 今でも、そのロッカーは会社に残っているそうです。


 西川さんの談によれば、廃業した中華料理屋の店主は、最後の数年、店に一人で立っていたといいます。常連客の中には「閉店後の真っ暗な店内から、包丁を研ぐような音が聞こえた事がある」と語る人もいました。


 ……その真偽は、定かではありません。


 ただ──


 ロッカーが運び込まれた日から、何かが少しずつ〝入り込んできた〟ような、あの微かな臭いと視線の感覚だけは、今もハッキリと覚えているそうです。


 呪いがこもった品物──いわゆる呪物は、持ち主に不幸や異変をもたらすといわれています。


 世界的には「アナベル人形」や「ホープ・ダイヤモンド」が有名ですが、何気ない日常の中にも、そうした“モノ”が紛れ込んでいるのかもしれません。


 西川さんは最後に、静かにこう語りました。


 「ロッカーから、あの臭いが漂ってきた瞬間の感覚……今でも、ふとした夜に思い出すんです。

 あれは“ただの鉄の箱”じゃなかった──そんな気がして、仕方ないんですよ」


 ──この話を取材していて、私が一番印象に残ったのは、西川さんが語った「最初は、ただ臭いがしただけだった」という一言です。


 怪異というのは、いきなり姿を見せるのではなく、こうして、日常のほんの小さな違和感として現れるのかもしれません。


 臭い、音、空気の重さ……どれも誰もが一度は「気のせい」で片付けてしまうような些細なサインです。


 けれど、その違和感を見逃した先に、何が潜んでいるのか──?


 ロッカーの中にいた〝何か〟は、今もどこかで、次の持ち主をジッと待っているのかもしれません。

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