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第47談 吐息と祠

 これは、色々な不思議体験をされている知人であり女優の宮坂真理さんから聞いた話の一つです。


 私と宮坂さんが出会った経緯については、『第40談 某高地のトンネル奇談』をご参照ください。


 ……静かな雨の夜、湯気の立つ緑茶をすすりながら、彼女がぽつりと語り始めた言葉は、今でも私の耳に残っています。


 「多分、‶あの日〟から、ずっと何かに〝目をつけられてる〟気がするんです」


 その日、宮坂さんは理由の分からない倦怠感に襲われ、昼前に退社しました。


 心配した職場の先輩が送ってくれることになり、彼女は助手席に乗り込みました。


 しかし、先輩は「用事があるの」と言って、路地裏のような小さな駐車場で止まりました。車内で待機してた宮坂さんは、眠気に誘われ次第に意識を手放していったそうです。


 その時でした。


 「……はあ~ん……」


 車内に、微かな吐息が響きました。


 明らかに女性のもの。しかも、同じ女性である宮坂さんが聞いても妙に艶めかしかったそうです。


 そして次の瞬間、耳の後ろ――左耳のうなじ付近に、温かく湿った〝吐息〟がかかる感触があったといいます。


 ぞわっ……と、全身の鳥肌が立った宮坂さんは、咄嗟に左耳を手で押さえながら、こう言いました。


 「お疲れ様でした……」


 この時の彼女は、先輩が戻ってきて、冗談で吐息を吹きかけたのだと思ったのです。


 しかし、ハッと気づいた時には、身体が固まっていました。


 助手席の左側はドアです。誰かが入ってこれるわけがない。


 しかも、ドアロックは閉まっていて、エンジンはかかったまま。


 〝誰かが入ってきた〟という事実自体があり得なかったのです。


 恐る恐る周囲を見渡した田中さんの視界には……。


 車の左後ろにある細い竹垣のそばに、小さな赤い祠が見えました。


 朽ち果てかけた木の屋根。色褪せた注連縄。


 その瞬間、どこか〝焦げたような匂い〟が鼻をかすめ、同時に口の中に金属の味が広がったといいます。


 まるで、血がこみ上げてくる直前のような吐き気を催す⋯⋯そんな味でした。


 ほどなくして先輩が戻り、青ざめた宮坂さんの顔を見るなり、


 「私の家で夕飯、食べていかない? しばらく休んだほうがいいよ」


 と言ってくれました。


 彼女は、喜んでその申し出を受け、先輩宅で夕飯を共にしたころには、体調もほんの少し回復していたそうです。


 先輩の旦那さんや、お姑さんも親切で、笑い声のある温かな食卓に、彼女は少しだけ現実に引き戻されたような気がしたと語ってくれました。


 (もう大丈夫かも)


 そう思って、田中さんは自分で運転して帰宅することにしました。


 しかし、その帰り道に、事件は起こりました。


 夜道を走る車。


 ライトの照射範囲だけが現実で、それ以外はすべてが墨汁のような闇。


 そんな中、ある交差点で前方が妙に詰まっているのを感じました。


 いつもならスムーズに通過できるはずの場所。


 その日だけ、何台もの車が不自然に停車していたのです。


 「なんだろう……事故でも?」


 そう思った次の瞬間、宮坂さんはバックミラーの中の異変に気づきました。


 後方の車の運転手が、なぜか一点を見つめたまま、ハンドルを握っていないのです。


 しかも、車のスピードは落ちていません!!


 「うそ……!」


 そう叫んだのも空しく、衝撃は避けられませんでした。


〝ドンッ〟という轟音とともに、車体が前方に押し出され、宮坂さんの身体は右側のドアとフロントガラスに叩きつけられました。


 その瞬間、シートベルトの接続部が〝バキッ〟と割れたのです。


 樹脂製のはずのそのパーツが、信じられないほどあっけなく砕け、宮坂さんは無防備な状態で車内を弾き飛ばされました。


 意識はありましたが、体が動かない。


 足先の感覚がぼやけ、耳の奥で「はぁ~ん……」という、あの正体不明の吐息が、もう一度響いた気がしたそうです。


 事故は四台を巻き込む玉突き衝突で、彼女はその〝真ん中〟の車でした。


 幸い命に別状はありませんでしたが、病院のベッドに横たわる夜に、件の祠のことを思い出した時、不意に全身に冷たい汗が滲んできました。


 あの赤い祠。


 あの左耳の後ろから聞こえた色っぽい吐息。


 もしかしてあれらは、自分が〝弱っている瞬間〟を狙い、入り込もうとした〝何者か〟の接触だったのではないか?


 ……本人は、そう語っていました。


 なお、後日談ですが、事故のあと数ヶ月間、宮坂さんの左耳には、誰もいない場所で時折り〝吐息〟のような風を感じることがあったそうです。


 それも、祠を見た日と同じく、雨の日や湿度の高い日だけ。


 「ねえ……私は、まだ〝連れてる〟のかな……?」


 彼女がそうポツリと呟いた時、私は何故か返す言葉が見つかりませんでした。

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