第46談 百合の花の顔をした人間(?)たち
これは、縄村千賀子さん(仮名30代)が、幼い頃に東北地方の実家で体験した不思議な出来事です。
当時、彼女は父方の祖父母の家で暮らしていました。広い庭と立派な瓦屋根を持つその屋敷は、地元でも有数の豪邸だったそうです。
庭には季節ごとに花が咲き、夏になると青々とした草と湿った土の匂いが混ざり、子どもにとってはまるで小さな王国のような場所でした。
彼女が四〜五歳の時、庭で一人遊びをしていると、ふと視界の端に〝奇妙な一団〟が立っていることに気づきました。
顔の部分だけが、まるで咲き誇る百合の花のように大きく広がっていて、それ以外は白い布のようなものに覆われている。
風もないのに、袖にあたる部分がフワリフワリと膨らみ、まるで踊っているように見えたといいます。
「怖い」とは感じませんでした。むしろ縄村さんは、楽しそうに揺れるその姿を見て(私もお花さんたちと一緒に遊びたい)と思ったのです。
彼女は何度も近づこうとしました。しかし、不思議なことに、いくら走っても距離は一向に縮まりません。
気がつくと、その姿は庭の木々の影に溶けるように、音もなく消えてしまっていたそうです。それは一度きりではなく、何度も繰り返されたといいます。
同じ頃、縄村さんにはもう一つ、お気に入りの場所がありました。庭の奥にある古い蔵です。
重い木の扉を開けると、乾いた木と湿った土壁の匂いが混ざり合い、ヒンヤリとした空気が流れ込んできます。
蔵の中には古い道具や昔の玩具、時代を感じさせる品々が山のように積まれており、幼い彼女にとってはまさに秘密基地でした。
ある日の午後――いつものように蔵で遊んでいると、ふと振り向いた先に見知らぬ男の子が立っていました。
自分と同じくらいの年頃で、当時流行っていたアニメキャラがプリントされた色褪せたTシャツを着ています。
いつ入ってきたのか全く分かりませんでした。
「ねえ、一緒に遊ぼうよ!」
男の子はにっこりと笑い、自然に話しかけてきました。驚きはしたものの、すぐに打ち解け、二人は絵を描いたり、おままごとをしたりして楽しく遊ぶようになりました。
そんなある日の夕方――
外から母親の呼ぶ声が蔵の中に響きました。
「そろそろご飯よー!家に戻りなさい!」
遊びに夢中だった縄村さんは、「後でー!」と答えました。
すると、母親は不思議そうに蔵を見回しながら言いました。
「……ねえ、お友達って、どこにいるの?」
振り返ると――そこにいたはずの男の子の姿は、どこにもありませんでした。
扉は閉まっておらず、逃げるなら見えるはず。それなのに、まるで最初から存在していなかったかのように忽然と消えていたのです。
それから数年後、祖父は事業拡大のため、蔵を含む庭の半分以上を売却してアパートを建てることにしました。
ところが、その建築業者は、相当ずさんな仕事をしていたらしく、アパートは欠陥だらけで裁判沙汰になってしまいました。
この話を彼女が知ったのは、大人になってからでした。
「……あの蔵の男の子、もしかしたら座敷童子だったのかもしれません。ずっと家を守ってくれていたのに、蔵を壊されたのが嫌で怒ったんじゃないかって……そんな気がするんです」
縄村さんは少し微笑みながら、どこか懐かしそうに語りました。
私は最後に、庭で見たという「百合の花の顔をした人物」についても尋ねました。
「座敷童子の仲間の〝花の精〟みたいな存在だったのかもしれません。小さい頃って、妖精とか、不思議なものが見えるって言うじゃないですか。小学校に上がってからは、一度も見ていませんけどね。うふふ」
取材を終えた後、私はしばらく頭の中で情景を反芻していました。
百合の花が咲き乱れる庭、古びた蔵、そしてそこに佇む〝何か〟――。
東北地方では、古くから蔵に座敷童子が棲みつくという話が伝わっています。
富や繁栄をもたらすとされる一方、蔵を壊したり家を粗末に扱ったりすると、その加護が失われ、不幸が訪れるともいわれます。
また、百合や菖蒲といった花には、土地の精霊や妖異が宿るという伝承も残っています。縄村さんの祖父が地元の有力者として成功を収めていた背景には、もしかすると、あの「男の子」や「花の人物」の存在があったのかもしれません。
彼女の語る出来事は、子ども特有の幻想だったのか――それとも、本当にこの世ならざる〝何か〟が、あの屋敷と蔵を守っていたのか。
庭に咲く百合の白い花弁が、静かに風に揺れる光景を思い浮かべると、私は今でもどこか胸の奥がポカポカとするのです。




