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第38談 寄り添う女と警告する女たち

 それは、何気ない日常の中でふいに割り込んでくる〝異物〟のような出来事でした。


 知人の紹介で、ファミレスで取材させて頂いた真人さん(仮名30代)は、いわゆる現実主義者でした。


 幽霊や心霊現象の話を聞けば「馬鹿らしい」と鼻で笑い、肝試しの映像も「カメラの不具合だろ」と断じる。合理的で、怖い話など一切信じない性格でした。


 そんな彼が取引先の会社を訪れ、商談を終えた時のことです。


 応接室を出ようとした真人さんを、担当者の女性――明子さん(仮名20代)が、僅かに震える声で呼び止めました。


 「あの、仕事と関係ない話なんですが、少しだけよろしいですか?」


 彼女は視線を机に落としたまま、唇を迷うように動かしました。


 「こんなことを申し上げると驚かれると思いますが……私、子どもの頃から〝見える体質〟でして」


 彼女はそこで顔を上げ、彼の肩をジッと見つめました。


 「……あなたの左肩に、長い黒髪の女性が、しがみついているんです」


 あまりにも突拍子もない言葉に、真人さんは思わず笑い飛ばしました。


 「冗談はやめてくださいよ。僕はそういうの、一切信じないので」


 だが、明子さんの目は笑っていませんでした。


 「髪は顔を覆うように濡れていて……表情は、無念そうに歪んでいます。声にならない声で、ずっと何かを訴えているんです。悪いことは申しません、一度お寺や神社でお祓いをされた方が良いかと思います」


 真人さんは、冗談を言ってるようには見えない彼女の様子に背筋が寒くなってきましたが、作り笑いでその場を取り繕い、商談先を後にしました。


 けれど、数日後には、仕事の忙しさに紛れて綺麗サッパリと忘れてしまいました。


 そして、半年ほど経った友人の結婚式。

 

 披露宴を終え、二次会の会場を出た真人さんの背後から、声が飛びました。


 「すみません、少しお時間よろしいですか?」


 振り返ると、会場で近くの席に座っていた女性――美穂さん(仮名)が、不安げに立っていました。


 「……こういう場で言うことではないのは、分かっているんですが」


 美穂さんは、周囲を気にして視線を落とし、深呼吸してから口を開きました。


 「あなたの左肩に……女の人が憑いているのが見えるんです」


 その言葉に、真人さんの胸が強く脈打ちました。


 半年前の記憶が鮮やかに蘇ります――それは明子さんの『長い黒髪の女が肩にしがみついている』という声でした。


 「あ、あの、それは、どんな女性ですか?もしかして髪が長い人ですか?」


 真人さんは、思わず尋ねました。


 美穂さんの目が、彼の肩に釘付けになりました。


 「……髪は肩から垂れて、濡れたみたいに肌に貼りついています。顔は潰れたみたいに歪んで……でも、口だけが動いていて……あなたの耳元で怨み言を囁いているように見えます」


 彼は反射的に肩を振り払いました。だが、そこには何もいない。

 

 ただ、異様な湿り気と重みだけが、肩に残っていたといいます。


 美穂さんは顔面蒼白になり、声を震わせました。


 「……このままにしておくのは危険です。すぐにでも、お寺か神社でお祓いを!」


 それだけ告げると、彼女は早足で人混みに紛れ、姿を消しました。


 それから一、二ヶ月後。


 真人さんは、通勤途中に交差点で車に撥ねられました。


 激しい衝撃と共に、視界が真っ白になり、意識を失いました。


 病院のベッドで真っ先に感じたのは、左肩を突き刺すような痛みだったそうです。


 診断は全治三ヶ月の骨折。――打ち所は、左肩でした。


 ここまで話し終えた真人さんは、まるで自分に言い聞かせるように呟きました。


 「あの二人の女性の言葉が、頭に響いたんです。『左肩に憑いてますよ』って。あの時、初めて(霊って本当にいるのかも?)って思いました」


 「真人さん、女性の霊に取り憑かれるような心当たりはあるんですか?」  


 私は最も気になった事を彼に質問しました。  


 「いや、それが全く無いんですよ。何でですかね?」  


 彼は不思議そうな表情をしながら、答えました。  


 これは、私の推測に過ぎないですが、真人さんに自覚が無いだけで〝何か〟理由があるのだと思います。


 ちなみに、彼はその後もお祓いに行くことはありませんでした。


 「一度事故に遭ったから、もう大丈夫だろう」というのは彼の談。


 ただ、私には忘れられない違和感があります。


 ファミレスを出て彼と別れる時に、〝ある匂い〟が、鼻を掠めたのです。


 彼の左肩から、濡れた長い髪を乾かさずに放置したような、シャンプーも混じった生乾きのような匂いがしたのを。


 周囲には風もなく、当然のことながら髪が濡れるような状況もありませんでした。


 まるで、彼の左肩に〝誰か〟が寄り添い、顔を埋めているかのように――。


 ――今も、二人の女性が見た〝黒髪の女性の霊〟は、彼の肩にしがみついているのかもしれません。

 

 この体験談を聞いた時、私は笑うことも、慰めの言葉をかけることもできませんでした。


 事故で肩を骨折したという出来事を「もう大丈夫」と片付けてしまう真人さんの楽観さこそが、最も危ういのではないかと思うのです。


 人は信じたくないものほど、「なかったこと」にしてしまう生き物です。


 しかし、私は真人さんの左肩に漂っていた〝あの異様な匂い〟を思い返すたびに、彼の身にこれ以上の不幸が起きないよう祈る事しか出来ませんでした......。

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