第31談 火の用心を言ってはいけない空き家
コロナ禍のある晩、懐かしい名前からSNSに通知が届きました。
安藤君(仮名)――小学校時代の同級生です。数十年ぶりの再会をきっかけに、後日オンライン飲み会をすることになりました。
画面越しに現れた彼は、昔と変わらない人懐っこい笑顔を見せていましたが、私が「小学校を卒業した後にオカルトに興味を持ち始めた」と話すと、少し表情を曇らせたのです。
「じゃあ、俺が子供の頃に体験した〝夜回り〟の話をしてもいい?」
安藤君はそう言って、グラスをテーブルに置きました。部屋の空気が急に重くなったように感じられました。
当時、彼の町内では毎年一月から二月にかけて「夜回り」が行われていたそうです。
火の用心のために拍子木を鳴らしながら「火の用心!」と声を揃えて町内を一巡する行事で、小学五年生以上なら子供も参加できました。
冬の夜に友達と会える楽しみがあったため、安藤君は、ほとんど毎晩参加していたそうです。
けれども、不思議なことがありました。
町外れにある一軒の空き家の前に差しかかると、大人たちは決まって拍子木を鳴らすのをやめ、声も出さなくなるのです。
その時だけ、足音と吐息だけが冷気の中に浮かび上がったといいます。
(なぜだろう?)
最初は気にも留めなかった違和感が、毎晩繰り返されるにつれ、とても大きな物に変貌してしまったそうです。
ある夜、安藤君は我慢できず、空き家の前で大声を張り上げてしまいました。
「火の用心!」
直後、大人たちの顔が凍り付いたかのように固まりました。
普段は温厚な町内会長が鬼のような形相で振り返り、彼を怒鳴りつけました。
「バカヤロウ! 勝手なことをするな!!」
その日の夜回りは即座に中止となり、子供たちは困惑したまま帰されました。
「君!話があるから、ワシの家に寄っていきなさい」
ただ一人、安藤君だけが会長に呼び止められたのです。
自宅の応接間で、会長は煙草に火を点け、しばし黙って煙を吐き出していたそうです。
「さっきは、怒鳴って悪かったな。だけど、〝あの家〟の前では声を出してはいけないんだ」
低い声で、そう告げました。
七、八年前まで、あの家には、とある一家が住んでいました。ですが、一人息子が病気で亡くなり、両親は精神を病んで入院。そのまま空き家になったそうです。
「翌年の夜回りでな……」
会長は煙草を指で弾き、紫煙の向こうで目を細めました。
「亡くなった子と仲が良かった友達が、急に青ざめて『窓から……アイツが、こっちを見てた!』って叫んだんだ」
その瞬間、行列はざわつき、拍子木を持っていた大人たちでさえ顔を見合わせ、誰一人として窓を見ようとはしなかったそうです。
ただ、その友達の声は震えていたのに、不思議と耳に粘りつくように鮮明で――。
「白い顔で、死んじゃったアイツが、凄い顔で睨んでたんだよ!」
そう叫んで泣き出したときのことは、今でも忘れられない、と会長は語りました。
大人たちは「見間違いだ」と言い聞かせたそうですが、その夜は子供たちがほとんど口をきかなくなり、妙に重い空気のまま解散になったといいます。
――それから、三日後のことです。
亡くなった子を見たと騒いだ子供が、交差点で急に飛び出し、トラックに撥ねられたのです。
幸い命は助かったものの、右足を複雑骨折し、しばらく学校には通えなくなったそうです。
さらに不思議なのは、その事故を目撃していた一人の中年男性は、こう言いました。
「飛び出す前に、その子が誰かに呼ばれたみたいに振り返って、笑ったんですよ」
けれど、その場にいた彼以外は、誰一人として呼ぶ声など聞いてはいなかったのです。
ここまでの話を聞いたとき、私はモニターの画面越しに、氷水を顔面に浴びせられたような感覚に襲われました。
安藤君の表情は、画面の中にあるはずなのに、妙に近く感じられ、まるで隣で囁かれているようでした。
事故に遭った子は、窓から亡くなった親友に見られた直後に事故に遭い、その直前に振り返って“誰か”に応じるように笑った――。
その子は、本当に誰に向かって笑ったのでしょうか?
ただの偶然と考えることもできます。
ですが、私は今でも思います。
もし「見られる」ことが本当にあったのだとしたら、その瞬間には既に〝何か〟に呼ばれてしまっていたのではないか?と。
「……別の年にも同じような事があった」
会長の声はさらに低くなりました。
件の空き家の前を通った時、「おーい、入れてよ」と子供の声がしたと騒いだ子がいたのです。
その子も数日後、学校の二階から転落して大怪我を負ったといいます。
会長から話を聞いた翌日、安藤君は自転車で塾へ向かっていました。
冬の坂道を下る途中、ブレーキが急に効かなくなったのです。
「うわっーー!」
視界が回転し、アスファルトに叩きつけられました。手足に擦過傷が走り、血の味が口に広がったそうです。
顔を上げると、坂の下にあの空き家の屋根が見えました。
夕焼けの逆光に黒々と浮かぶ二階の窓。
――そこに、誰かが立っているように見えたそうです。
「それ以来、もう夜回りには行かなくなったんだよ」
安藤君はそう言って、グラスを飲み干しました。
画面越しに沈黙が落ちました。
私は背後の窓をふと見ました。カーテンの隙間に街灯の光がぼんやりと滲んでいます。
……そこから、誰かが覗いている気がしてなりませんでした。
安藤君の話によれば、今もその町内では、一月になると夜回りが行われています。
けれど、風の噂ですが子供たちの間では、こんな話が飛び交っているそうです。
「夜回りの声に混じって、死んだ子が一緒に『火の用心』と言っている」
「空き家の前で自分の名前を呼ばれたら、数日のうちに事故に遭う」
大人たちは否定しましたが、心当たりがあるのか、誰も空き家について語りたがりませんでした。
ただ、夜回りで件の空き家の前に来ると必ず黙り、拍子木さえ止めるという習慣だけは今も続いているそうです。
安藤君の体験談を聞き終えた後、私はしばらく言葉が出ませんでした。
私自身も子供の頃、数回だけですが夜回りの記憶があります。冬の冷たい空気、拍子木の乾いた音、声を張り上げることで生まれる一体感。
しかし、その途中に「声を出してはいけない家」があったとしたら?
誰も理由を語らず、ただ避けるように歩くしかないのだとしたら?
想像するだけで背筋が凍ります。
こうした「町の噂」は、誰かの見間違いから始まったのかもしれません。
けれど、それが事故や不幸と結びついたとき、人々は「偶然」と片づけられなくなります。
やがて噂は都市伝説として形を変え、世代を超えて語り継がれていくのです。
アナタの暮らす町にも、夜になると黙り込む一角はありませんか?
もしかすると、そこにも語られていない〝恐ろしい理由〟が潜んでいるのかもしれません。




