第29談 駄菓子屋の黄金聖闘士
これは、私の知人から紹介していただいた友人、Wさん(仮名40代男性)から取材した話です。
数年前、Wさんは仕事の都合で△県の古い町並みを残す市に引っ越しました。
瓦屋根の家々、蔦に覆われた商店、石畳に響く下駄の音――現代でありながら昭和の面影を色濃く残す街です。自転車で通勤していたWさんにとって、その風情を眺めることは日々のささやかな楽しみでした。
ある週末、休日出勤を命じられましたが午前中には仕事を終えることができました。秋晴れの乾いた空気を胸いっぱいに吸い込み、昼過ぎの時間を持て余しWさんは「今日は帰り道を変えてみよう」と思い立ったそうです。
知らない道を選んで走り始めました。最初は小さな冒険心でしたが、しばらくすると、どこを走っているのか分からなくなってしまいました。
喉は渇き、背中を汗がつたい、ハンドルを握る手がじっとりと湿ってきました。
その時、ランドセルを背負った小学生の男の子たちが数人、楽しそうに笑いながら通り過ぎました。
「今日、お前んちでファミコンやろうぜ!」
「ドラクエⅢ、どこまで進んだ?」
時代錯誤の子供たちの会話を耳にした瞬間、彼は、物凄い違和感を覚えました。
(ファミコン? 今時の子が?ニンテンドースイッチじゃないの?)
振り返っても、彼らは自然に笑い合いながら去っていくだけでした。
しかし、それを境に町の景色が少しずつ変わっていったそうです。電話ボックス、公衆電話。歩く若者の腰には懐かしのカセットプレイヤーのウォークマン。誰一人としてスマートフォンを持っていません。
その時、風に乗って漂ってきたのは、懐かしい駄菓子の甘い香りでした。
不安を振り払うように周囲を見渡すと、古びた木の看板を掲げた駄菓子屋が目に入りました。
扉を開けると、かすれたベルが鳴り、油と砂糖が混じったような甘ったるい匂いがむっと漂いました。棚には色あせた駄菓子、今では見かけない紙袋のお菓子。そこはまるで昭和の時代に巻き戻ったかのようでした。
そして、Wさんの目を奪ったのは――幼い頃から憧れていた『聖闘士星矢』の黄金聖闘士フィギュアの玩具でした。その外箱は発売直後のようにシミや破れもなく綺麗でした。
「これ、見せてもらえますか?」
「どうぞ、どうぞ」
店番のお婆ちゃんは、にこやかに微笑み、皺だらけの手で箱を差し出しました。彼は胸を高鳴らせながら、中身を確かめました。
箱の中のフィギュアや金属製の黄金色のパーツは新品同様に眩い輝きを放っていました。
「これください!」と、Wさんは声を上げました。
「はいはい。2500円ね」
彼は、‶野口英世の千円札〟を3枚差し出しました。
次の瞬間、店内の空気が変わりました。
お婆ちゃんの顔色はみるみる硬直し、先ほどまでの人の良さそうな笑顔は消え去りました。皺の奥に影が落ち、眼には怯えと敵意が入り混じっていました。
「お兄ちゃん。それ、今日はタダでいいよ」
低く掠れた声が、木造の店内に吸い込まれるように響きました。続いて震えるような声が重なります。
「その代わり、今度は、ちゃんとしたお金を持ってきなさい。これ以上おかしな真似をするなら警察を呼ぶよ!早く帰りなさい!」
お婆ちゃんの怒号とともに、店内の空気が、まるで皮膚に突き刺さるようなピリピリとしたものに変わったように感じました。
埃っぽい畳と駄菓子の甘い香りが鼻を刺し、外から差し込む夕日さえ鈍く濁って見えました。
返された紙幣は手の中でひどく軽く、指先は汗で湿って冷たく感じられました。
お婆ちゃんの視線は札ではなく、それを差し出していた‶彼の手〟に突き刺さっていたそうです。まるで、その手が異質なものに見えているかのように。
喉がカラカラに渇き、背中を冷や汗が伝いました。居ても立ってもいられず、Wさんは玩具を胸に抱きかかえ、逃げるように店を飛び出しました。
外の風は生ぬるく、背後で鳴ったベルの音だけがしつこく耳に残ったそうです。
街はすでに夕暮れでした。赤く染まった空からは鉄のような匂いを含んだ風が吹き、見覚えのある景色はどこにもありません。
道沿いの家々の窓から洩れるテレビの音は、白黒時代のようにざらついたものでした。通りを歩く人々は無表情で、誰ひとりスマートフォンを持っていません。
彼は再び家を目指して自転車を漕ぎ始めました。
それから、1~2時間ほどが経過しましたが、やはり自分の見た事のある風景には出会えません。
すでに日は落ちており、周囲は暗闇に包まれたこともあり、彼は内心焦っていたそうです。
そもそも、会社を出てから少なくとも5~6時間は経っているはずなのに、一向に見知った場所に辿り着けないのは、自分が引っ越してきて間もなく町全体の地理を把握してないのを差し引いたとしても、あり得ないことだと彼は思いました。
焦燥の中、Wさんは必死に来た道を引き返しました。どれほど走ったのかは覚えていません。
気づけば、突然、自宅の近所に戻っていたのです。周りの景色は見慣れたものに戻っており、街ゆく若者は、ながらスマホをしながら歩いていました。
帰宅した彼は、安堵と共に先ほどの黄金聖闘士フィギュアを改めて開封しました。
そして、息を呑みました。
金色に輝いていた鎧の金属製パーツは、僅か数時間で全体が赤茶色に錆びついていたのです。指先にざらつきが残り、金属は崩れ落ちるように粉を吹きました。まるで数十年の歳月を経たかのように。
その時、部屋の隅から子供たちの笑い声がした気がしました。
「ドラクエ、どこまで進んだ?」
幻聴かもしれません。しかし、それを否定できる確信はなかったそうです。
……数日後。彼は、今回の出来事は(俺は、あの時、子供の頃に過ごしていた昭和時代の世界に迷い込んでしまったんじゃないか?)という考えに辿り着きました。
確かにそう考えると、通りすがりの小学生達の会話や、妙に古臭い町並み、そして現在の紙幣を見て表情を曇らせた駄菓子屋のお婆ちゃんの対応も辻褄が合います。
彼女は、Wさんが渡した野口英世の千円札を〝偽札〟と思ったのでしょう。
彼自身、最初はその考えを(バカバカしい!そんなことあるもんか!)と思っていたのですが、手元にある黄金聖闘士の玩具の急激な劣化具合を目の当たりにすると、その結論以外に考えられなかったそうです。
ここからは私の見解になりますが、彼が体験した一連の出来事は、一種の〝神隠し〟のような超常現象だったのではないかと思います。
過去にも〝常識的な理由では説明出来ない行方不明事件〟というのは存在し、世間を騒がせました。
例えば、有名な所で言うと1872年にポルトガル沖で漂流していた帆船の乗組員だけが忽然と消えてしまった「マリー・セレスト号事件」でしょうか?
なぜか、船内には湯気を立てたままのコーヒーなどが置いてあり、発見される直前まで人がいた形跡があったと言います。
近年で有名なのは、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)で話題になった〝はすみ(葉純)〟さんが、いつもの電車に乗っていたのに全く知らない無人駅の〝きさらぎ駅〟に迷い込んでしまい、そのまま行方不明になった話などもあります。
彼の体験談は、これらの話と類似した現象に遭遇してしまったことを示していると、私は考えます。
幸運だったのは、彼がこの時代の世界に戻ってこれたということでしょうか?
もし迷ったままだったなら、今も昭和の町並みの中を彷徨い続けていたのかもしれません。
昔ながらの面影を残す街には、科学的には説明できない‶時の継ぎ目〟のような場所が存在するのかもしれません。
それは、私たちが思っているよりもずっと身近に潜んでいるのではないでしょうか?




