第25談 小劇場に潜む影
これは、私が知人の小劇団座長・高橋誠一さん(仮名40代)から直接取材した話である。
彼は普段から冷静な人柄で、怪談や超常現象に興味を持つタイプではない。それだけに、この語りには妙な説得力がありました。
コロナ禍以前の夏、東京のK駅近くにある小劇場で、高橋さんの劇団による公演が行われました。
演目は大富豪の屋敷を舞台にしたミステリーで、舞台には二階建ての邸宅を模した立派なセットが組まれていました。
三日間の公演は初日からほぼ満席。場内は照明と観客の熱気でむせ返るように暑かったといいます。
それでも時折、不自然な冷気が首筋を撫でる瞬間があり、役者たちの中には「古い建物だからだろう」と笑い飛ばしつつも、妙な胸騒ぎを覚えた者もいたそうです。
二日目の夜公演の時、異変は起きました。
主人公の相棒役を演じていた俳優・内田亮さん(仮名20代)が、舞台上で階段を駆け上がるシーン。観客が固唾を飲む中、彼は突然足を止め、動かなくなりました。
観客は一瞬、演出かと思いました。だが十秒、二十秒……沈黙は長引き、やがて場内には、ざわめきが広がりました。
高橋さんも舞台袖で冷や汗をかきながら、胸が締めつけられる思いだったという。
そして突然、内田さんは駆け足で二階へと上がり、演出通り部屋へ飛び込んだ。芝居は何事もなかったかのように進行した。
――だが、その数十秒は、舞台上の全員にとって異様に長く感じられました。
公演後。
高橋さんは強い口調で内田さんを叱ったそうです。
「何をやっていたんだ!芝居が止まるところだったぞ!」
しかし内田さんは俯いて、「すみません」と繰り返すばかり。言い訳すらせず、その顔は怯えきっていました。
三日間の公演を終えた夜、劇団は近くの居酒屋で打ち上げが開かれました。
酒と笑い声が渦巻く中、内田さんだけが黙々とビールを飲み続けていました。時折、氷が溶ける音が妙に耳についたと参加者は口を揃える。
やがて、彼は突然立ち上がると大声をあげました。
「みんな、聞いてほしい!」
室内の空気が凍りつきました。
「二日目のあの夜公演の時、俺は止まったんじゃない。動けなかったんだ。階段を登る途中で……誰かに足首を掴まれたんだ!」
ざわめく一同に向けて、彼はズボンの裾をたくし上げました。
そこには、人間の指の跡のような紫色の痣が無数に浮かんでいたのです!
「俺はもう、あの小屋じゃ芝居できません!」
そう叫んで、彼は居酒屋を飛び出していった。追う者はいなかったそうです。
数日後。
高橋さんは劇場スタッフにその話をした。するとスタッフは顔を曇らせ、「またかよ」と呟いた。
問い詰めると、小声でこう語った。
「前にもあったんだ。観客から〝出演者じゃない女が舞台に立っていた〟ってクレームがあってね。でも、その劇団は男ばかりだった。劇団メンバーは見間違いだと答えたけど、複数の観客が同じことを言ってきたんだ」
それ以上、スタッフは話さなかったそうです。
やがて、その小劇場はコロナ禍の影響で取り壊されてしまいました。
けれど、最後の公演に足を運んだ観客の一人が、こんな証言を残していました。
「舞台袖に、立ち尽くしている長髪の女の人がいた」
――その日の公演メンバーには女性の役者は一人だけ。しかし、その証言によれば、役者の女性が舞台で芝居してる時も、その長髪の彼女は立ち尽くしていたといいます。
高橋さんの話は理路整然としていたし、内田さんの痣を見た人間は大勢いました。
ただの疲労や錯覚だと片づけるには、あまりに痕跡が生々しい。
小劇場という密閉された非日常の空間には、観客の熱気や役者の感情だけでは説明できない「何か」が確かに存在していたのではないか?と、考えてしまいました。




