第18談 ムラカミさんの家
これは、私の友人の浦佐君(仮名)の中学の同級生であるK君が体験したという、実際にあった話です。
K君たちが通っていた中学校の裏手には、雑木林が広がっていました。その奥には、一軒の古びた二階建ての家がぽつんと建っており、すべての窓には雨戸が閉められていました。
築二十年以上は経っていると思われるその家は、表札にはローマ字で「MURAKAMI」と書かれていた理由から生徒たちの間で「ムラカミさんの家」と呼ばれ、空き家であると同時に、どこか異様な雰囲気を放っていたのです。
入学当初から、「夜になると窓から明かりが漏れる」「白い影が動いている」といった噂がささやかれており、学校の七不思議の一つのような存在でした。
ある夏休み前の夕暮れ、K君が部活の練習を終えて帰り支度をしていると、野球部の先輩AさんとLさんに声をかけられました。
「おい、K!今から“ムラカミさんの家”に行ってみないか?」
突然の提案にK君は驚きつつ、「えっ、どうして今なんですか?」と尋ねました。Aさんは興奮気味に言いました。
「あの家の噂、みんな信じてるけど確かめた人はいないだろ?卒業前に、本当のことを知っておきたいんだよ。肝試しも兼ねてさ!」
幽霊話が苦手なK君は断ろうとしましたが、Lさんがニヤリと笑って言いました。
「オカルト好きなSちゃんのこと知ってるだろ?Aが真相を突き止めたら、きっと見直してくれると思うんだよ。先輩の恋を手伝ってやれよ!」
結局、K君は断りきれず、先輩達に付き合うことになりました。
夜の帳が下り、3人がムラカミさんの家に到着した頃には、周囲は不気味な静けさに包まれていました。
雑木林の中は湿った土と草の匂いが充満しており、空気はひんやりとして肌にまとわりつきました。
玄関には錆びた鍵がかかっていましたが、3人で力任せに引っ張ると、やがて金属が軋む音とともに扉が開きました。
家の中から流れ出る空気は、カビと埃、そしてどこか甘ったるいような匂いを含んでおり、思わず息を止めたくなるほどでした。
玄関マットの上には、ボロボロのクマのヌイグルミがポツンと置かれていました。片耳がちぎれ、綿がはみ出したその姿は、まるで来訪者を迎えているかのようでした。
1階の探索では、目立った異常はありませんでした。ただ、室内の空気は異様に重く、音が吸い込まれていくような静寂が支配していました。
2階の奥にあった書斎らしき部屋では、机の上に積まれた封筒の中から借金の督促状が多数見つかりました。
先輩たちはその内容に「ムラカミさんって、借金し過ぎて夜逃げしたのかよ?」とか、「いや、金返せなくて自殺したんじゃね?」などと冗談を言い合っていましたが、K君は徐々に背中にゾワリとした熱を感じていました。次第に、焦げた木のような匂いが漂い始めたのです。
その時――床下から「ドン!」という音が響きました。
3人が顔を見合わせると、再び「ドン!」という音。怒りをぶつけるような激しい衝撃でした。
Aさんは恐怖に突き動かされるように部屋を飛び出しました。懐中電灯を持つ彼の後を、LさんとK君も追いかけました。
階段を駆け下りる途中、Aさんが「ヒッ!」と短く叫び、立ち止まりました。照らされた先には、あのヌイグルミがありました。
先ほどまで玄関に置かれていたはずの‶それ〟が、まるで2階から降りてくる彼らを睨みつけるように、階段の真ん中に座っていたのです。
誰も触れていない。誰もそんなことができる余裕はありませんでした。
完全にパニックに陥った3人は、ヌイグルミを避けるようにして階段を駆け下り、玄関から飛び出しました。
林を抜け、息も絶え絶えに逃げ帰った彼らは、無言で解散しました。
後に浦佐君が聞いた話では、彼らが卒業して数年後に「ムラカミさんの家」は取り壊され、今はただの更地になっているそうです。
――しかし、K君がある日その場所を通りかかったとき、再びあのカビ臭さを感じたのだそうです。
何もないはずの場所に、確かに「何か」がいたのかもしれません。
……私がこの話を最初に聞いたとき、正直なところ半信半疑でした。しかし、K君の語り口はあまりに真剣で、作り話のような気配は一切感じられなかったのです。
特に、「あの音には怒りを感じた」と語る彼の表情は、まるでその時の恐怖が今も身体に染み付いているかのようでした。
もし、あの家に「何か」が本当に存在していたとしたら――。
私たちが普段の生活で見落としている何気ない風景にも、ひょっとしたら、異界への入り口が潜んでいるのかもしれません。




