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第100談 〝筆者〟が、最近体験した怪異現象

 夜というものは、昼の延長ではない。


 昼間は、同じ家の床も壁も、ただの建材にすぎない。


 けれど午前二時を回ったあたりから、家や、その周囲の空間は少しずつ別の顔を見せ始める。


 時計の秒針がやけに大きく聞こえる。


 冷蔵庫の低い唸りが、誰かの寝息のように感じられる。


 自分の指がキーボードを叩く音だけが、部屋の中心に取り残される。


 本作は、別サイトで2025年の5月から連載開始したので、約10ヶ月ほどになる。


 これは、私が色々な人々から怪奇・不思議な話を取材し、体験者の言葉を整え、読者が〝向こう側〟を覗けるように書く作品だ。


 だが、連載を開始すようになって、私自身が以前よりも奇怪な現象に遭遇することが多くなってきた気がする。


 今回は、最近の中でも特に印象に残った三つの出来事を紹介したいと思う。


 其の壱【床を踏む音】


 昨年の十一月某日。


 他の仕事に追われ、この作品の執筆作業は、丑三つ時になってしまった。


 本来なら、こんな時間帯に怪談は書かないと決めていた。


 以前、同じ時間帯に執筆していたとき、説明のつかない現象に遭ったからだ。


 ※第23談参照


 しかし、私は〝何か〟に憑りつかれたように筆を止めることが出来なかった。


 スマホを見ると、時間は午前二時四十三分。


 PCのモニターの白い光が、部屋を水槽の底のように青く照らしている。


 乾いた喉に、温くなったコーヒーを流し込む。苦味が舌に纏わりつく。


 その時だった。


 〝ドン〟!


 背後から、フローリングの床を強く踏みつけるような音が響いた。


 怒気が込められてるかのような躊躇のない、体重を乗せた一歩。


 空気が揺れた気がした。


 椅子の背もたれ越しに、微かな振動が背骨に伝わる。


 心臓が、遅れて跳ねた。


 ゆっくり振り返る。


 暗い廊下。


 閉めたはずのドア。


 誰もいない。


 私は「床鳴りだ」と自分に言い聞かせ、原稿に視線を戻した。


 画面には、体験者が語った『背後に立つ女』のエピソードが表示されたままだった。


 その文章の最後には、なぜか打っていないはずの改行が、一つ増えていた……。



 其の弐【クリスマスのポスト】



 昨年のクリスマスの夜の出来事となる。


 仕事を終え、帰宅したのは二十二時を過ぎていた。


 繁華街のどこかで流れているはずのクリスマスソングも、住宅街までは届かない。


 冷たい空気が肺を刺す。吐く息は白く、すぐに溶ける。


 いつもの習慣で、玄関の前にあるポストに手を入れる。


 指先に触れる紙のざらつき。ビニール袋の滑る感触。


 その時。


 グイと、上着の袖を引かれた。


 最初は(何かに引っかかった?)のだと思った。


 だが、次の瞬間、明確な〝力〟が、ポストの内側から私を引き寄せた。


 「ひっ!」


 反射的に悲鳴が漏れる。


 布地が軋む音。


 冷たい金属の縁が腕に食い込む。


 ポストの中は、暗くて見えない。


 ただ、袖口の奥が、ピタリと何かに掴まれている感覚だけがある。


 引き抜こうとする。


 だが、引けば引くほど、向こうも力を込める。


 時間にして、数秒だったのか、もっと長かったのか分からない。


 思いきり身体を後ろに反らせると、突然、力が抜けた。


 私は、よろけながら腕を引き抜く。


 ポストの中を覗く。


 近所のスーパーのチラシ。ダイレクトメール。


 濡れた形跡もない。破れた跡もない。


 だが、袖の内側には、指で握ったような皺が残っていた。


 その皺は、帰宅後に脱いで机に置いても、なかなか消えなかった。


 あの日から、私は夜間にポストを開ける事が出来なくなってしまった。


 そう、ポストの中に〝誰か〟が、息を潜めているような気がするのだ……。



 其の参【黒い影】


 今年の2月のことである。


 夜中に目が覚めた。


 部屋は、いつも通りの寝室だった。


 カーテンの隙間から、街灯の橙色の光が細く差し込んでいる。


 エアコンの微かな風音。


 だが、身体が動かない。


 金縛りだと理解する。


 これまでも、何度か経験はあった。


 だけど、今回は意識が異様に鮮明だった。


 目だけが動く。


 そこに映ったのは、暗い寝室である。


 その視界の端に、室内よりも、もっと〝黒い〟塊があった。


 最初は、家具の影だと思ったが、その影は、ゆっくりと近寄ってきた。


 形は曖昧だ。


 人のようでもあり、違う何かのようでもある。


 影は、私の布団の端に沈み込む。


 冷たい空気が、胸元に入り込む感覚。


 やがて、影は布団の中に入ってきた。


 肌に触れる感触は、驚くほど現実的だった。


 湿った髪が首筋に触れる。


 甘くも腐ったような匂いが、鼻先を掠める。


 その瞬間(この影は女だ)と理解した。


 なぜ、そう思ったのかは分からない。


 ただ、そう〝理解してしまった〟としか言いようがない。


 動かない身体の上に、重さがのしかかる。


 息が浅くなる。


 女を振りほどこうと、体に力を入れた瞬間、鋭い痛みが右耳に走った。


 布団の中の〝彼女〟が、耳に嚙みついてきたのだ。


 その歯が、耳の皮膚に食い込む。


 熱い。生々しい痛み。


 叫びたいのに、声が出ない。


 数十秒。あるいは、数分。


 気づくと、重みは消えていた。


 布団の中には、女の姿は無く金縛りも解けている。


 私は跳ね起き、洗面所の鏡の前に立つ。


 右耳に、赤く腫れたみみずばれが浮かんでいた。


 触れると、確かな痛みがある。


 その形は、円弧を描くように並んでいた。


 (歯型に似ているな)


 と、思ってしまった。


 それから、二日後。私は神社でお祓いを受けた。


 白い紙垂が揺れる音。


 神主の低い声。


 榊の葉が頬に微かに触れる。


 その間、なぜか背中が軽くなっていく感覚があった。


 それ以来、怪奇現象は起きていない。


 ――今のところは。


 ただ、最近、原稿を書いていると、時々右耳の奥が、微かに疼くことがある。


 気のせいだと思う。


 そう思いながら、私は今日もキーボードを叩く。


 ある取材対象者は、別れ際にこう語っている。


 「怖い話をしてると向こうから寄ってくるんです」


 その言葉を思い出した私は一瞬、指を止める。


 背後は、静かだ。


 静かすぎる。


 それでも――時折、床の奥から、僅かな軋みが聞こえる気がする。


 まるで、誰かが次の一歩を、踏み出す準備をしているかのように……。

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