第9話 流れは村に留まらない
村は、落ち着きを取り戻していた。
朝になると、宿屋の前に行列ができることはなくなった。
診療所に運ばれる患者の数も、目に見えて減っている。
「……ずいぶん静かになったな」
リーシャが、肩を回しながら言った。
まだ万全ではないが、呼吸は安定し、顔色もいい。
「必要な人には、行き渡ったからです」
ミナトは、診療所の窓から外を見ていた。
慢性的な流滞。
使いすぎによる歪み。
それらは、ほとんどが改善に向かっている。
――だが。
ひとつだけ、どうしても引っかかる症例があった。
「……あの人、今日も変わらなかった」
リーシャの視線の先。
診療所の裏手で、年老いた男が腰掛けている。
村の外れに住む、寡黙な農夫だ。
症状は単純だった。
慢性的な疲労。
足腰の重さ。
原因不明の倦怠。
だが――
触れても、詰まりがない。
乱れもない。
それなのに、流れが戻らない。
ミナトは、何度も触診した。
角度を変え、呼吸を見て、反応を確かめた。
それでも、同じ結論にしか行き着かない。
「……個人の問題じゃない」
ぽつりと、漏れた言葉。
リーシャが、こちらを見る。
「どういう意味だ」
ミナトは、足元の地面に視線を落とした。
「この人だけじゃない。
同じ“鈍さ”が、土地そのものにある」
「土地……?」
「流れが、浅い」
リーシャは眉をひそめた。
「そんなこと、あるのか」
「……本来は、ない」
ミナトは、静かに言った。
「でも、ここはある」
診療所の壁。
道。
畑。
村を囲む森。
すべてが、わずかに――重い。
人の流れではない。
もっと大きな、基盤そのものの滞り。
「……村が、病んでるってことか」
「正確には――」
ミナトは、言葉を選んだ。
「世界の流れが、ここで歪んでいる」
そのとき、背後から足音がした。
「……やはり、気づいたか」
振り返ると、セリオスが立っていた。
外套を脱ぎ、旅支度を整えている。
「協会の記録にも、似た報告がある」
「どこに」
「都市周辺。
鉱山地帯。
街道の要衝」
ミナトの目が、細くなる。
「共通点は?」
「人が集まり、使い、削った場所だ」
リーシャが、息をのむ。
「……じゃあ」
「村だけの問題じゃない」
セリオスは、はっきりと言った。
「魔法でも、調律でも、個人を治しても追いつかない」
沈黙が落ちる。
ミナトは、ゆっくりと息を吐いた。
「……だから、戻らなかった」
老いた農夫の症状。
あれは、彼自身の問題ではなかった。
土地に立ち、暮らし続ける限り、削られ続ける流れ。
「協会は?」
ミナトが問う。
「対処できていない」
セリオスは、正直に答えた。
「回復魔法は、人を治す。
土地や流れは、管轄外だ」
その言葉は、重かった。
「……依頼がある」
セリオスは、懐から封書を取り出した。
「都市からだ。
原因不明の衰弱が、広がっている」
封蝋には、協会の印。
「正式な協力要請ではない。
あくまで――個人的な推薦だ」
ミナトは、封書を受け取った。
紙の重みが、今までと違う。
「断ってもいい」
セリオスは言った。
「だが――」
「ええ」
ミナトは、目を閉じ、そして開いた。
「見なかったことには、できません」
リーシャが、一歩前に出る。
「私も行く」
「まだ、完全じゃない」
「分かってる」
リーシャは、胸に手を当てた。
「でも……
あんたが“世界を診る”なら、
私はその現場を見たい」
ミナトは、少しだけ考え――頷いた。
「無理はしない」
「約束する」
夕暮れが、村を包む。
かつて呪いと呼ばれた不調は、静かに消えていった。
だが、その奥にある歪みは、まだ手つかずのままだ。
ミナトは、村を振り返った。
ここは、始まりに過ぎない。
「……流れは、村に留まらない」
それは、治療師としての直感だった。
そして――
この世界そのものが、患者であるという確信。
そうして、
流脈調律師カナデ・ミナトは、
次の地へ向かう準備を始めた。
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