第7話 踏みとどまる手
その子は、泣かなかった。
宿屋の奥の部屋。
簡易ベッドの上で、少年は静かに横たわっている。
年は十にも満たないだろう。痩せた体。浅い呼吸。閉じたままの目。
「……今朝から、ずっとこの調子で」
付き添っていた母親が、かすれた声で言った。
目の下には濃い影。眠れていないのが一目で分かる。
「回復魔法は?」
ミナトの問いに、母親は首を振った。
「三回……。
でも、何も変わらなくて……」
部屋の隅では、グラン医師とセリオスが無言で立っていた。
協会の監査は終わったはずだが、セリオスはまだ村に残っている。
――検証。
その視線が、背中に刺さる。
ミナトは少年のそばに座り、そっと手首に触れた。
……弱い。
脈はある。
だが、流れが細すぎる。
まるで、消えかけの糸のようだ。
さらに胸、腹、脚へと触れていく。
――詰まりじゃない。
――乱れでもない。
足りない。
生命の流れそのものが、枯れかけている。
ミナトは、静かに息を吐いた。
「……お母さん」
母親が、すがるように顔を上げる。
「この子は、長い間、無理をしていました」
「無理……?」
「はい。
栄養も、休みも、足りていない。
それを……気力だけで持たせてきた」
母親の唇が震えた。
「じゃあ……治せない、んですか」
部屋の空気が、張りつめる。
セリオスの視線。
村人たちの期待。
そして――母親の祈るような目。
ミナトは、針を取り出した。
……触れれば、何かは起きるだろう。
一時的に、呼吸が楽になるかもしれない。
顔色も、少しは良くなるかもしれない。
だが。
その先にあるのは――反動だ。
今の少年には、戻る力がない。
無理に流せば、残ったものまで削ってしまう。
ミナトの手が、止まった。
静かに、針をしまう。
「……治療は、できません」
母親が、息をのんだ。
「そ、そんな……!
あの冒険者の人も、村のみんなも……!」
「症状が違います」
ミナトは、声を荒げなかった。
「この子に必要なのは、調律じゃない。
守ることです」
「守る……?」
「休ませる。
食べさせる。
温める。
……それだけです」
母親は、崩れるように膝をついた。
「それで……助かるんですか……」
ミナトは、正直に答えた。
「分かりません」
その言葉に、誰かが小さく息をのんだ。
「でも――」
ミナトは、少年の額にそっと手を当てた。
「今、私が触れば。
助かる可能性を、消します」
沈黙。
長く、重い沈黙。
やがて、セリオスが低く言った。
「……理由は」
ミナトは、彼を見た。
「流れを戻すには、戻ろうとする力が要る。
この子には……今は、それがない」
セリオスは、目を伏せた。
グラン医師が、一歩前に出る。
「……なら、私が引き取ろう」
ミナトが顔を上げる。
「栄養管理と、休養。
回復魔法は、使わん。
……お前の言う通りにする」
母親が、縋るように頭を下げた。
「お願いします……お願いします……」
その場で、少年は診療所へ運ばれた。
数日後。
少年は、目を覚ました。
劇的ではない。
立ち上がることもできない。
だが、呼吸は安定し、脈も少しだけ強くなっている。
その報告を聞いたとき、ミナトは静かに目を閉じた。
――よかった。
それ以上でも、それ以下でもない。
その夜、セリオスがミナトに声をかけた。
「……今日の判断」
「はい」
「正しい」
短い一言だった。
「治せないと、言える者は少ない」
ミナトは苦笑した。
「治療師は、魔法使いじゃありませんから」
セリオスは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……報告書に、こう書く」
彼は空を見上げて言った。
「“流脈調律は、万能ではない。
だが、無理をしない点において、極めて危険性が低い”」
それは、最大限の評価だった。
ミナトは、遠くで揺れる灯りを見つめた。
治せなかった。
だが、壊さなかった。
――それでいい。
流れは、まだ細い。
だが、確かにつながっている。
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