第6話 監査官が来る
その男は、騒がなかった。
馬車から降りても周囲を見回さず、声を荒げることもない。
白い外套に、胸元の銀章――回復魔導師協会の正式紋。
「……監査官セリオスだ」
誰かの小声が、波紋のように広がった。
宿屋の前。
村人たちは自然と距離を取り、視線だけを向けている。
ミナトは焔香の片づけを中断し、静かに立ち上がった。
「あなたが、カナデ・ミナトですね」
セリオスは若かった。
二十代後半。無駄のない立ち姿。目の動きが早く、すでに周囲を把握している。
「はい」
「魔導師ではない。
回復魔法を使わず、複数の改善例を出した――そう聞いています」
声に感情はない。
事実確認だけを積み重ねる声音。
横で、グラン医師が腕を組んだまま言った。
「私の報告だ。
正直に言って、私にも説明がつかん」
セリオスは一瞬だけグラン医師を見た。
驚きはない。ただ、わずかに眉が動く。
「……あなたが、そう言うのは珍しい」
「だろうな」
沈黙が落ちた。
セリオスは視線をミナトに戻す。
「では、質問します。
あなたの治療――再現性はありますか」
「あります」
「条件は?」
「患者が“戻ろうとしている”こと」
即答だった。
セリオスはメモを取る手を止めた。
「……曖昧ですね」
「はい」
ミナトは否定しなかった。
「数値化できません。
触れて、呼吸を見て、反応を確かめるしかない」
「つまり、誰にでもはできない」
「ええ」
周囲がざわつく。
セリオスは淡々と続けた。
「事故の可能性は?」
「あります」
今度は、はっきりと。
「無理をすれば、悪化します」
セリオスの視線が鋭くなる。
「ではなぜ、続けている」
「やめる理由がないからです」
ミナトは、言葉を選ばなかった。
「回復魔法で治らない人がいる。
それを見て、何もしない方が――私には危険です」
セリオスはしばらく黙り込んだ。
風が吹き、外套の裾が揺れる。
「……もう一つ」
「どうぞ」
「あなたの治療は、魔法と競合しますか」
その問いに、ミナトは首を振った。
「役割が違う。
魔法は必要です。
私の技術は、代替ではありません」
その答えに、グラン医師がわずかに目を細めた。
セリオスは、ゆっくりと息を吐いた。
「結論を言います」
村人たちが、息をのむ。
「現時点で、あなたを危険人物とは判断しない」
ざわめきが広がる。
「ただし」
その一言で、再び静まる。
「協会として、この技術を承認もしない。
分類不能。再現性不十分。教育体系なし」
ミナトは頷いた。
「妥当です」
セリオスは、ほんの一瞬だけ目を見開いた。
「……異議は?」
「ありません」
「理由は」
「今は、積む段階だからです」
セリオスは、しばらくミナトを見つめた。
敵意でも好意でもない。
評価の目だった。
「……“流れ”と呼びましたね」
「はい」
「協会用語としては暫定でこう呼びます」
小さく、しかしはっきりと言う。
「未分類治療――流脈調整」
その言葉が、静かに場に落ちた。
「正式な監視対象にはしない。
だが、報告義務は課す」
「構いません」
「この村での活動は?」
ミナトは、一瞬だけ考えた。
「続けます。
ただし、無理はしない」
セリオスは頷いた。
「それでいい」
踵を返しかけ、ふと立ち止まる。
「一つ、忠告を」
「はい」
「その技術は――
善意だけで使われるとは限らない」
そう言い残し、セリオスは去っていった。
しばらく、誰も動かなかった。
やがて、グラン医師が低く言った。
「……厄介なものを、持ち込んだな」
「そうですね」
ミナトは否定しなかった。
「でも、見なかったことにはできません」
グラン医師は、苦笑とも取れる表情で言った。
「……見学させてくれ」
ミナトは、少しだけ驚き、そして頷いた。
「条件があります」
「何だ」
「“治らない”と言ったら、引いてください」
グラン医師は、しばらく黙り――小さく息を吐いた。
「……分かった」
そのやり取りを、リーシャは少し離れた場所から見ていた。
「……世界が、動き始めたな」
ミナトは空を見上げた。
雲は、ゆっくりと流れている。
「ええ。
だから――次は、もっと慎重にいきます」
流れは、もう村だけのものではなかった。
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