第50話 境界の向こう側
朝は、静かだった。
焚き火の跡を土でならし、
荷を背負い、
二人は村を出る。
誰も、呼び止めない。
誰も、引き止めない。
それでいい。
「……これで、本当に終わりか」
リーシャが、歩きながら聞く。
「何がですか」
「治療師」
ミナトは、少しだけ空を見上げる。
「終わったわけではありません」
「じゃあ?」
「必要なくなっただけです」
街道は、ゆるやかに続いている。
遠くで、馬車の音がする。
風は穏やかだ。
道端で、若い男がつまずいた。
荷を落とし、尻もちをつく。
「……っ」
リーシャが一歩踏み出しかける。
ミナトは、動かない。
男は、こちらを見る。
「大丈夫ですか」
ミナトは、そう声をかけた。
かつてなら、
すぐに触れていた。
男は、歯を食いしばり、
自分の足を確かめる。
「……折れてない」
立ち上がろうとして、少しよろめく。
だが、もう一度踏みしめる。
立った。
「……立てた」
男は、少し驚いた顔をする。
ミナトは、頷くだけ。
「よかった」
それだけだった。
男は、荷を拾い上げ、
去り際に振り返る。
「治療師さん?」
ミナトは、首を振る。
「違います」
男は、不思議そうな顔をし、
やがて笑って歩き出した。
リーシャが、隣で言う。
「今の、治療だったな」
「いいえ」
ミナトは、静かに答える。
「判断です」
二人は、また歩き出す。
境界は、もう外にない。
世界のあちこちに、分散している。
誰かが止まり、
誰かが選び、
誰かが立ち上がる。
治療師がいなくても、
世界は動く。
壊れきる前に、
誰かが気づく。
ミナトは、振り返らない。
名前も、
肩書きも、
役割も、
置いてきた。
残ったのは、
歩くことだけ。
境界の向こう側で、
ただの旅人として。
治療師がいなくなった世界は、
思ったより、
壊れなかった。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
この物語には、魔王もいませんし、世界を救う大戦もありません。
派手な必殺技も、爽快な逆転劇もありません。
ただ――
「壊れる前に止まれるか」
その一点だけを、ずっと書いてきました。
治療とは何か。
正しさとは何か。
誰かを助けるとは、どういうことか。
書いているうちに、
治療師が世界を救う物語ではなく、
治療師が“いなくなっても壊れない世界”の物語になっていきました。
ミナトは特別な力を持っていましたが、
最後に残ったのは、技術でも理論でもなく、
「判断」でした。
そしてそれは、
きっと読者の皆さんの中にも、すでにあるものだと思っています。
この物語が、
少しだけ立ち止まるきっかけになったなら。
無理をしない選択を思い出すきっかけになったなら。
作者として、これ以上うれしいことはありません。
長い旅に付き合ってくださって、ありがとうございました。
またどこかの境界で、お会いできたら嬉しいです。




