第48話 境界の内側
四日目の朝。
目を覚ましたとき、
身体の重さは、ほとんど消えていた。
立てる。
歩ける。
呼吸も、整っている。
壊れてはいない。
ミナトは、しばらく天井を見つめていた。
――だが、戻っていない。
以前のような、
触れた瞬間に分かる輪郭。
流れの線。
境界の明瞭さ。
それが、遠い。
外では、子どもの笑い声がする。
リーシャは、薪を割っていた。
「……起きたか」
「ええ」
「どうだ」
ミナトは、少し考えてから答える。
「壊れてはいません」
リーシャは、鼻で笑った。
「便利な言葉だな」
ミナトは、外へ出る。
村は、いつも通りに動いている。
水を汲む者。
荷を運ぶ者。
座って休む者。
誰も、急いでいない。
誰も、呼びに来ない。
「……静かですね」
「お前がいないからな」
「います」
「治療師としては、いない」
ミナトは、しばらく村を見回した。
倒れている人はいない。
無理をしている人も、少ない。
誰かが、
少し早めに切り上げる。
誰かが、
先に声をかける。
線は、そこにある。
だが――
それを引いているのは、
自分ではない。
「……境界が、外にない」
ミナトは、ぽつりと呟いた。
「何だって?」
「前は、壊れかけた場所に立っていました」
リーシャが、耳を傾ける。
「今は……」
ミナトは、胸元に手を当てる。
「ここにあります」
判断の遅れ。
見えにくさ。
迷い。
境界は、
世界ではなく、
自分の内側に移っていた。
「……衰えか」
リーシャは、はっきり言う。
「かもしれません」
否定しない。
「怖いか」
少しだけ、沈黙。
「……はい」
正直だった。
世界が壊れるよりも、
自分が壊れる方が、
想像しにくい。
だが。
壊れてはいない。
それが、救いでもあり、
言い訳でもあった。
昼過ぎ、
昨日見かけた男が声をかけてきた。
「今日は、診ないのか」
「診ません」
男は、少し驚き、
やがて頷いた。
「なら、自分で決める」
そう言って、畑へ戻る。
ミナトは、その背中を見送る。
自分がいなくても、
判断は行われている。
境界は、
すでに分散している。
夜。
焚き火の前で、リーシャが言う。
「……戻るか」
「どこへ」
「巡回だ」
ミナトは、火を見る。
少しだけ、長く。
「……もう少し、休みます」
「珍しいな」
「合理的です」
リーシャは、小さく笑った。
「今は、俺が線を引く」
ミナトは、目を閉じる。
壊れてはいない。
だが、
以前と同じではない。
それを、初めて認めた夜だった。
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