第37話 戻れない理由
街が、音を立てて崩れたわけではない。
爆発も、悲鳴もない。
ただ――戻れなくなった。
朝、丘の上から見たアーク=レインは、
昨日よりも暗かった。
魔法灯の数が、明らかに減っている。
結界も、最低限の線だけが残っている。
「……来たな」
リーシャの声は、低かった。
「はい」
ミナトは、目を逸らさない。
「戻れなくなる段階です」
街道を進む人の列が、増えている。
荷を抱え、振り返らずに歩く人々。
逃げている、というより――
**諦めている**。
「……行かなくていいのか」
リーシャが、強く言った。
「今なら、まだ止められる」
「人もいる。制度も残ってる」
ミナトは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと答える。
「止められるのは、“選んでいないとき”だけです」
「選んでない?」
「はい」
ミナトは、街の中央を指さす。
「彼らは、戻ると決めた」
「一度、休むことを知った上で」
それは、無知ではない。
分かった上での選択だ。
リーシャの拳が、震える。
「……それでも、壊れる」
「ええ」
ミナトは、認めた。
「壊れます」
沈黙。
遠くで、鐘が鳴った。
警鐘ではない。
区切りを告げる音だ。
昼過ぎ、街から一人の男が現れた。
以前、丘で話した医療関係者だ。
外套は汚れ、足取りは重い。
「……戻らなかったな」
男は、力なく笑った。
「戻りませんでした」
ミナトは、正直に答える。
「……正しかったか?」
男の声は、揺れていた。
「分かりません」
ミナトは、すぐに答えなかった。
「ただ――」
「**戻れば、あなたは壊れていました**」
男は、息を呑む。
「……街は」
「街は、街の選択をしました」
男は、膝に手をついた。
「俺は、街を見捨てたのか」
「いいえ」
ミナトは、首を振る。
「あなたは、自分を残しました」
男は、しばらく俯いていた。
やがて、小さく笑う。
「……それだけで、良かったのかもしれないな」
男は、野営地の方へ歩いていった。
その背中を見送りながら、リーシャが言う。
「……私は、まだ割り切れない」
「ええ」
ミナトは、頷いた。
「割り切れなくて、正しい」
「なら、どうして」
リーシャは、ミナトを見る。
「どうして、戻らない」
ミナトは、空を見上げた。
「……戻れる理由が、もう無いからです」
「理由?」
「ここに戻れば、」
「“やり直せた”という物語になります」
リーシャは、息を止めた。
「それは――」
「選択を、無かったことにします」
ミナトは、静かに続ける。
「壊れると分かって選んだ現実を」
「誰かが帳消しにする」
それは、救いではない。
支配だ。
夕方、街の中央で、魔法灯がさらに落ちた。
完全な停止ではない。
だが、戻らない合図だった。
野営地では、誰も騒がない。
泣く者も、怒る者もいる。
それでも――皆、前を向いている。
リーシャが、ぽつりと言った。
「……残るって、こういうことか」
「はい」
ミナトは、静かに答えた。
「壊れた場所に戻らない」
「壊れなかった場所で、生きる」
夜。
丘の上で、街の灯りが一つ、また一つと消える。
ミナトは、目を閉じた。
戻れない理由は、冷たく見える。
だが――
**それが、選択を尊重するということだった。**
治療師は、そこに立つ。
戻らない場所と、
生き直す場所の、
境界に。
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