第36話 残された人
朝は、静かだった。
丘の下に広がる野営地には、
昨日よりも人が増えている。
だが、混乱はない。
怒号も、泣き声もない。
皆、疲れてはいるが――
まだ、自分で立っている。
「……不思議な光景だな」
リーシャが、小さく呟いた。
「街が壊れかけているのに、
ここは落ち着いている」
「ここは、競争していません」
ミナトは、簡易の診療台を片づけながら答えた。
「比べる相手が、いない」
野営地の端で、一人の老人が座っていた。
街の職人だったという。
手先は器用だが、今は震えている。
「……ここに来て、何日になる」
「四日目です」
老人は、空を見上げた。
「街にいた頃より、
ずっと長く感じる」
ミナトは、頷いた。
「時間が、戻っています」
「戻る……?」
「速さが、抜けています」
老人は、しばらく黙っていた。
「……戻れないな」
それは、後悔ではなかった。
「戻れば、また同じだ」
リーシャが、老人を見る。
「家は?」
「ある」
「仕事も、ある」
老人は、苦く笑った。
「だが……
帰れる場所と、居られる場所は違う」
その言葉に、リーシャは何も言えなかった。
昼頃、一人の子どもが泣き出した。
母親が、慌てて抱き上げる。
「すみません……
薬が、もう」
ミナトは、首を振った。
「今日は、使いません」
母親の顔が強張る。
「でも……」
「大丈夫です」
ミナトは、子どもの呼吸に目を向けた。
「壊れていない」
母親は、不安そうに子どもを見る。
「……街なら、すぐ魔法を」
「はい」
ミナトは、否定しない。
「ここは、違います」
母親は、しばらく迷った末、
ゆっくりと頷いた。
「……信じます」
ミナトは、少しだけ驚いた。
「理由は、聞かないのですか」
母親は、小さく笑った。
「ここに来てから、
誰も急がせない」
それが、理由だった。
夕方、焚き火の周りに人が集まる。
話す者。
黙って聞く者。
ただ、火を見る者。
誰も、街の話をしない。
リーシャが、ミナトの隣で言った。
「……救ってないよな」
「ええ」
ミナトは、はっきり答えた。
「街は、救っていません」
「でも」
「人は、残りました」
焚き火が、ぱちりと爆ぜる。
この場所は、
街の代わりにはならない。
安全でも、便利でもない。
だが――
「壊れなかった人が、集まった」
それだけで、意味はあった。
夜が更ける。
丘の向こうで、街の灯りがまた一つ、消えた。
誰も、騒がない。
誰も、見に行かない。
ミナトは、思う。
治療師が救えるのは、
世界でも、街でもない。
選び直せた人だけだ。
それで、いい。
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