せーか1
野菜。このジャンルを聞くだけで身震いするようなオトナもいるらしい…。コドモはあまりこのジャンルに良い印象を持っていることは多くないだろう。
一方で果物。こちらは甘味が苦手なヒト以外は好んで食べる。もちろんコドモも当てはまる。喜んで食べるでしょう。
これら二つのジャンルには大きな対応の差がある。手短に言おう。
"果物"は好まれ、"野菜"は進んで食べられにくい。
そんな中、一般には果実的野菜というものがある。苺や甘蕉、西瓜などがそれに含まれる。
あれらは"野菜"の身分でありながら、ヒトに果物だと言われ、好んで食べられる。おかしいと思わないか?
"野菜"だぞ?あの嫌われ者の"野菜"だ。それを何の特別待遇か"果物"と呼んでいるのだぞ?これでは"野菜"が浮かばれないじゃないか。もちろん野菜は必要なのである。しかしもちろん好まれるとは限らない。
だが、果物。こちらは準必要であるが、大抵の場合好まれる。
すまない、少し熱が入りすぎたな。話を戻そう。
果実的野菜の卑怯者とは反対に、野菜的果実という存在がある。それが我らだ。
こっちは身分が"果物"だ。果実…なのだが、あろうことかヒトは我らを"野菜"と呼び、特にコドモは忌み嫌っている。"果物"なのにだ。
その中で不憫な彼、トマトを知ってもらいたい。
彼は親戚に"野菜"の唐辛子、馬鈴薯がいるのだが、その中でも"果物"という家系であった。
しかし16世紀、生まれ故郷からヨーロッパという地域へ連れていかれた。ここまでは良いのだが、そこでの食器は鉛で出来ていたことが不幸となってしまった。彼の酸、酸といっても食べることができる美味しい酸なのだが、それが鉛を溶かしてしまって、その罪でありもしない"有毒"のレッテルを張られてしまったのだ。そこから18世紀にイタリアの飢饉が起こるまでは、"観賞用"になっていたのだ。そう、彼は"果物"であり、無毒なうえ、野菜でもオブジェでもないのだ。
しかしそのイタリアの飢饉から食べられることがわかり、ヒトは皆、トマトを食べることを知っていった。
だが、彼の不幸、不憫はここで終わりではなかった。
ここで一つ、彼の好きな地域を挙げよう。フランス、台湾、イギリス、そしてイタリアだ。もちろん他にもあるのだが、有名なのはここらへんだろう。
フランス、台湾、イギリスでは彼は正統な"果物"として扱われ、デザートとしても好まれる。
イタリアでは"野菜"と扱われている。だが、思わないか、なぜ彼がここを好きなのか。もちろんそれも教えよう。
先述の通り、イタリアでは"野菜"と呼ばれる、しかしポモドーロと呼ばれている。意味は黄金の林檎である。そう、あの林檎よりも凛々しい勲章があるのだ。その地域ではほとんどの料理で彼が使われるくらいに人気者なのである。
逆に嫌いな地域はどこかって?まぁ日本やアメリカだろうな。
日本では「木に成るもの」が"果物"と言っているのにもかかわらず、彼は当然のように"野菜"と称される。そのうえ、彼の持ち味な"酸味"や"甘味"がその地域の人には好かれなかったようで、嫌われているのだ。
そしてアメリカ、なんとわざわざ裁判という大がかりなことすら行われたほど"野菜"と言おうとされたのだ。まだこれで正しい身分の"果物"と示されればよかったものを、"野菜"と完全に認められたのだ。
これがトマトの道のりだった。
成果第一弾ですよ!!一つ目が終わったので私の文章を一度メモしておこうと思いましたのでこの形で投稿させていただきました!シリーズ?を書き終わる度にこういうものをやっていこうと思うので気になる人は見てくださいね。
ご閲覧ありがとうございました_。