第5話『ドリブルに理屈はある』
「この選手、見たことある?」
放課後、レンの部室で。
モニターにはバルセロナの10番、リオネル・メッシの試合映像が映っていた。ユウトは頷く。
「もちろん。メッシ。昔、ずっと真似してました」
「じゃあ、一時停止するね」
レンがリモコンを押すと、映像がピタリと止まった。メッシがボールを持ち、相手DFと対峙している場面。
「このあと、どうすると思う?」
「……左に抜くフリして右?」
「正解。でも、それだけじゃない」
再生された瞬間、メッシは一歩左に身体をひねり、DFの重心がわずかに左に流れた瞬間、切り返して右に抜いた。
「すご……完璧なタイミング」
「このシーン、オレ20回くらい見た。で、わかったのは、“ずらしてから抜く”っていう考え方」
レンはホワイトボードを取り出し、線と丸で図解し始めた。
「多くの選手は“抜こう”として仕掛ける。でも、天才たちは“ずらしてから抜く”。重心が半歩ズレた瞬間に、勝負をかけるんだ。相手の“動ける方向”を限定させて、自分の選択肢を広げる。これはドリブルというより“構造”なんだよ」
ユウトは黙って聞いていた。というより、圧倒されていた。
「じゃあ、スピードだけで抜けるっていうのは……」
「もちろん武器になる。でも、フィジカルや足の速さに頼れない状況では、タイミングと位置取りがすべてになる。メッシはそこが完璧」
ユウトは自分の過去のプレーを思い出していた。小学生の頃は、スピードで抜けた。でも中学からは、同じやり方では通用しなくなった。
それでも、理由がわからなかった。
「じゃあ、自分も……“ずらす”ドリブルを学べるってことですか?」
「もちろん。というか、そういうのを練習するフットワークや“間合い”のドリル、やってみる?」
「やります!」
その日の部室は、まるで秘密のラボだった。
試合映像を分析し、重心の傾きやプレーの“意図”を拾っては、ノートに書き写す。
レンはユウトのために、「間合い理論」「重心崩しメモ」「騙しフェイント集」など、独自の項目を立ててくれた。
ユウトのノートの1ページ目に書かれた言葉は、
《速さじゃなく、“タイミング”で抜け》
だった。
◇
数日後。学校のグラウンド。部活終わりの夕方、ユウトは一人、サイドラインでボールを蹴っていた。
──まず一歩、相手の逆に揺らす。
──その動きに“意味”をつける。
目の前に相手はいない。でも、イメージは鮮明だった。
小さくステップを刻み、わざと膨らんだ動きからインサイドに切り返す。
次は一拍置いて、視線を逆に振ってから足を動かす。
無意味なフェイントじゃない。“意味ある揺さぶり”だ。
何度も何度も繰り返す。
「お、ユウト。なんか最近、動き変わったな」
背後から、同級生のタケルが声をかけてきた。
「……そう?」
「前は一直線だったけど、今は“どこ行くか分かんねー感じ”がする。ウザいな、マジで」
その言葉に、ユウトは小さく笑った。
ほんの少しだけ、相手の重心をずらせるようになった。
ほんの少しだけ、自分がプレーの主導権を持てるようになった。
そして何より——プレーの“意味”が、はっきりとわかるようになった。
感覚を、言葉でとらえられるようになる。
それが、ユウトにとっての“再出発”だった。