第2話『ベンチの視点』
春。
高校のグラウンドに、新しい風が吹く。
県立・清嶺高校サッカー部。
名門ではないが、県大会ベスト8常連。真面目で熱心な指導が売りの公立校で、部員数は60人近い。
「おーい、一年は円になれーっ! 今日は1対1、ガチでいくぞ!」
声を張るのは、3年キャプテン。
ユウトはその輪の中、どこか浮かない表情で立っていた。
——高校では、変わる。
そう思ってた。中学までのしがらみを捨てて、自分を“もう一度証明”したかった。
でも現実は甘くなかった。
同期のエース候補・田中タケルは、早くも監督のお気に入り。身長は180cmを超え、スピードもあってパワーもある。性格も明るく、皆の中心だった。
ユウトはというと、小柄なまま。中学の終盤でようやく筋トレを始めたが、体づくりはまだ追いついていない。
「うまいけど、軽いよな」
そんな声が、背中を押すどころか、沈ませる。
◇
5月の練習試合。
相手は格上の私立・南京高校。人数の多さから、1年生はサブチームとして後半に数分だけ出場。
「FW、早川!」
ユウトに順番が回ってきた。
久々の実戦。心臓が速く脈打つ。
ピッチに立つと、風景が変わる。地面の匂い、ボールの重さ、相手のプレッシャー。
ボールを受けて、前を向いた。
——抜ける。
そう思って仕掛けたドリブル。
しかし、次の瞬間には奪われていた。
「判断が遅い!」
ベンチから飛んだのは、監督の怒号。
その後のプレーも、決めきれないシュート、つながらないパス。
数分後、交代を告げられたユウトは、ピッチを下がると静かにベンチに腰を下ろした。
◇
後半30分。スコアは0-1。
タケルがピッチに入り、すぐにゴール前で競り勝ち、クロスを上げる。
——あれ、決めたら完璧だけど。
味方のヘディングは枠の外。ユウトは思わず呟く。
「逆サイド、空いてたのに」
「……その視点、忘れるな」
ふいに聞こえた声に、顔を上げると、監督が横に立っていた。
ベンチに座るユウトに、真正面から目を合わせてくる。
「お前は昔、ドリブルで何でもできるって思ってただろう。でも、今は違う。フィジカルも、スピードも、追いつかれた。違う武器を持て」
ユウトは言葉を失った。
監督は続ける。
「それでもピッチで“見える”ものがあるなら、それは価値だ。お前が今、試合をどう見てるか、俺は知ってる。無駄にするなよ」
——視点。
確かに。今の自分には、“プレーする視点”じゃなく“見ている視点”がある。
出られない悔しさの中、ずっと見てきた。
味方がどう動き、どこで詰まり、何が足りないのか。
昔のユウトは、それを考えることすらしなかった。
ただ、ボールを持って、抜いて、ゴールに向かう。それだけだった。
◇
試合後。ユウトは荷物を抱えて、夕暮れのグラウンドを歩く。
視界の端に、タケルが見えた。
スタメンで、結果も出して、笑顔でチームメイトと話してる。
少しだけ、羨ましい。
でも、少しだけ、前を向ける気がした。
“天才”じゃなくなった今の自分に、何ができるか。
ベンチから見える景色から、もう一度、何かを始めてみたい。
そんなことを、ぼんやり思いながら、ユウトは空を見上げた。