第10話『ベンチの声』
朝から妙に落ち着かない気持ちだった。
今日は公式戦。ユウトはベンチスタート。ピッチに立つことは期待していなかったが、それでも心がざわついていた。
「おー、ユウト。いたいた」
試合前、スタンドの隅から聞き慣れた声がした。私服姿のレンが手を振っている。
「来たんですか?」
「そりゃあね。お前が“変わった”って話、聞いたからさ」
レンはベンチのすぐそばの観客席に座り、ペットボトルを口にしながら、のんびりとした様子でピッチを見つめた。
◇
前半が始まった。
相手は格下とされる公立高だが、前線のスピードが速く、こちらのサイドバックが押し込まれていた。
「おい、流れ悪くないか……」
ユウトはベンチで立ち上がり、ピッチ全体を見るように心がけた。
レンが隣から言う。
「ここのサイド、孤立してる。なにが足りない?」
「……セカンド拾える選手がいない。中盤が一枚、外に寄ればマイボールにできるかも」
「正解。しかも、相手は前への意識が強いから、そこ突けば一気に裏も取れる」
レンの目は、相変わらず俯瞰していた。ユウトはその解説に、思わず頷いた。
◇
前半終了間際、ベンチの前に監督がやってきた。
声を潜めて、ユウトに訊く。
「早川。あそこ、どう修正する?」
ユウトはすぐに答えた。
「中盤の右を少し上げて、相手のボールサイドにスライドさせます。CBの位置も5メートルほど前に。守備の距離を詰めて、奪いどころを明確にすれば変わるはずです」
監督は一瞬目を細め、軽く頷いた。
「……よし。後半、15分から行け。中盤の右で入れ。お前の声が鍵だ」
◇
後半、ユウトはピッチに立った。
足元にボールが来た瞬間、相手が詰めてきた。だが、少し体を入れてブロックし、落ち着いて味方へつなぐ。次のプレーで前線に走り、スペースをつくる。
レンが言っていた通り、“動きの意味”を考えながらプレーすると、視界が広がる。
──崩すための配置。味方が動きやすいタイミング。相手の嫌がるエリア。
やがて、ユウトが中盤でボールを受け、斜め後ろに落とした瞬間、タケルが前へ走り出した。
そのまま先制点。チームが湧いた。
「ナイス、ユウト!」
ベンチからも声が飛んだ。監督が静かに頷いたのが見えた。
◇
試合後、ユウトは片付けをしながら、ベンチで見ていた時間を思い返していた。
「出てない時間でも、サッカーはできるんだな……」
誰かのプレーをただ見るだけじゃない。
“どう動くべきか”を考え続けることで、ピッチに立った瞬間に差が出せる。
レンが近づいてきた。
「どうだった? ベンチから見たサッカーは」
「面白かったです。……なんか、試合が“読めた”気がしました」
「それ、いちばん大事。才能だけで試合に出てた頃には気づかない視点。お前、もう一段階、進んだな」
ユウトは小さく笑った。
天才だった頃の自分が知らなかった世界が、いま少しずつ開けていく。
“考えること”が、自分の武器になり始めている——そんな実感があった。