9:入学式の夜
窓の外には、夜の帳が静かに降りていた。遠くからは、虫の声と、校庭の木々を渡る風の音が聞こえる。
寮の消灯時間は23時。すでに他の部屋では明かりが落ち、話し声もやんでいたが、あかねと澪の部屋には、まだひとつだけ、スタンドの明かりが灯っていた。
「……はあ、今日は長かったね」
ベッドの上にあぐらをかいたあかねが、肩の力を抜いて深く息をついた。
その前には、湯気の立つマグカップがふたつ。近くの給湯室で作ってきた、ハーブティーの香りがかすかに漂っていた。
「本当。でも……濃かった。一生分くらい緊張したかも」
澪が笑うと、その微笑みにあかねの心がふわりとほどける。
「さっきは……ありがとう。あのとき、澪がかばってくれなかったら、私、泣いてたかも」
「泣いていいと思うよ。ここに来るまではさ、泣いて、笑って、傷ついて、ぶつかって――それの繰り返しなんだろうなって、覚悟してたけど……いざ目の前でああいう“洗礼”受けると、さすがにきついね」
「うん……でも、やっぱり、私ここに来られてよかった。やっとスタート地点に立てたって感じがするんだ」
あかねの目がまっすぐ、天井を見つめていた。澪も、ゆっくりとその視線をたどり、同じ方向を見た。
天井の先にあるもの――それは、彼女たちがいつか立つであろう「大舞台」だった。
「トップスターか……」
「ん?」
「私も、目指してる。男役で、いつか“誰よりも格好いい”存在になりたい。……でもね、男役ってだけで、まだみんな私のこと、変に見てる。娘役っぽい見た目だって、よく言われるし」
「……澪は、すごく綺麗だよ」
「ありがとう。でも……その“綺麗”が、足かせになることもあるんだ。自分で“男役として生きる”って決めたのに、どこかで女役の線も見られて、まだふわふわしてる。――今日、エリカさんにも見られてた。あの人、目が鋭くて……ちょっと怖いくらい」
「エリカ……なんていうか、ザ男役っていう感じだよね。オーラが違うっていうか。」
言いながら、あかねは自分の両手をじっと見つめた。
「だけど、負けたくない。……私、舞台に立ちたい。お客さんを心から夢中にさせるような、“本物の男役”になりたい」
あかねの言葉に、澪の心が小さく震えた。
「……私も、頑張る。誰にも言ってなかったけど、あかねには、言っておくね」
「ん?」
「ここで、トップスターになる。例えどんなに泣いても、悔しくても、逃げ出したくなっても。私は絶対、この場所で生き抜く」
その目には、昼間には見られなかった強さがあった。
あかねはしばらく黙ったまま天井を見ていた。そしてゆっくりと起き上がり、片手を澪に差し出した。
「じゃあ、誓おうか。ふたりでこの世界を、生きていくって」
澪は一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐにその手を握った。
「……うん」
手のひらから、ほんのりと温かさが伝わる。