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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
18/140

18:有名人

 午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、授業を終えた生徒たちが、ぞろぞろと食堂へと向かっていた。

 食堂のざわめきの中、鷹宮あかり、綾小路澪、結城さら、水瀬大河の4人は窓際のテーブルで昼食をとっていた。笑い声や箸の音がそこかしこに広がっているが、あかりのテーブルは穏やかな空気に包まれていた。


「午前のバレエ、しんどかったなあ……」


 大河がストレッチ不足でつった足をさすりながらぼやき、さらがそれにくすくすと笑ったその時だった。


「──まあ、こんなところに“遅刻の子”がいるとはね」


 突如、背後から鋭い声が飛び込んできた。


 ぴたりと箸を止めるあかり。その声の主は、制服のネクタイに金の縁が入った2年生だった。立ち姿の美しい長身の上級生が、あかりたちのテーブルに歩み寄ってくる。その背後には、二人の取り巻きらしき上級生たちが静かに従っていた。


「天翔専門学校の入学式に遅刻なんて、前代未聞。ほんと、よくもまあそんなことで入学できたものね」


 切り裂くような声音に、食堂の周囲の空気が少しだけ凍りついた。ちらちらと視線がこちらへ集まる。


「あ……」


 隣に座っていたさらが、小さく息をのんだ。

 その目がわずかに見開かれ、何かを“思い出した”ような色を宿す。頬がわずかに青ざめ、口元が震えた。

 さらは何かを言いたげにあかりの横顔を見つめた。しかし──


「……っ」


 その一言は、喉の奥に呑み込まれた。

 上級生の鋭い視線が、さらの背を貫いている。さらは怯えたように目を伏せ、スプーンを握る手が小さく震えていた。


「しかも、その“伝統ある看板かけ”の担当だなんて。笑っちゃうわ。成績だって、下から数えたほうが早いんじゃなかったかしら?」


 上級生の口調は完全に見下していた。あかりの頬がじんと熱くなる。しかし、次の瞬間──

 あかりは静かに箸を置き、ゆっくりと立ち上がった。


「……天翔専門学校が“間違えた”とでも言いたいんですか?」


 その一言に、上級生たちは明らかにたじろいだ。


「“伝統ある看板かけ”を任されたのは、学校の判断です。その判断を笑うということは……天翔専門学校そのものを否定することになります」


「べ、別に否定してるわけじゃ──」


「そ、そうよ、ちょっと言ってみただけじゃない」


 言い訳を口にしながらも、すでに上級生たちは言葉の勢いを失っていた。居心地悪そうに視線を逸らし、そそくさとその場を後にする。

 しばらくの沈黙が落ちた。


「今の、すごかったよ」


 大河が笑い、ぽんっとあかりの肩を叩いた。


「……あかね、かっこよかった」


 澪の声は、静かで、確かな賞賛だった。

 あかりは微笑みながら席に戻る。しかし、ふと気づく。自分の手がわずかに震えていた。


(……私、怖かったんだ)


 それでも、言葉にしなかった。代わりに、さらに視線を向ける。さらは黙って俯いていたが、やがてゆっくり顔を上げ、真っ直ぐにあかりを見つめていた。

 その視線には──感謝とも、驚きともつかない、複雑な感情があった。


「今のあかり、かっこよかったよね?」


 大河がさらに笑いかける。

 しかし、さらは返事をせず、ただその視線をあかりに向け続けていた。そして、まだその胸の奥にある真実は、誰にも知られてはいなかった。



***


 昼のざわめきが落ち着いた頃、食堂の奥まった席で静かに昼食を摂る二人の上級生の姿があった。


 ひとりは、均整の取れた長身と切れ長の目を持つ、凛とした空気を纏った男役生徒――嶺山奏(みねやまかなで)

 昨年度、「看板かけ」の大役を任され、その整った舞台映えする立ち姿と気迫ある演技で、すでに劇団内外から“次世代男役スター候補”として目されていた。


 その隣には、柔らかな巻き髪に真珠のような肌を持つ娘役――御堂しずくが、涼やかな笑みを浮かべながらスープを口にしている。

 御堂家は旧財閥の名家で、しずくはその令嬢にして、成績も常に上位で学年2位。娘役としての佇まいも完璧で、言葉遣い一つにも上品さがにじみ出ていた。


 その二人が食事をとっているテーブルから、少し離れたところで騒動が起きた。

 新入生の席に向かって、別の2年生が立ち上がり、何やら声を荒げている。


 御堂しずくは眉をひそめると、静かに言った。


「また……“風紀委員”のつもりかしら。ああいうの、少し苦手」


「……あれ、あの子」


 奏が視線を向けたまま、ぽつりと呟いた。


「あの子が、“看板かけ”?」


 御堂が視線を追い、微かに目を細めた。


「鷹宮あかり、だったかしら。たしか成績は……入学時36位」


「そう。ほとんど下から数えた方が早い成績だね」


 奏は箸を置き、腕を組んでじっとあかりの姿を見つめた。

 新入生でありながら上級生に臆せず言い返し、言葉を噛まずに堂々と立ち向かっているあかりの様子に、わずかに興味を覚える。


「“看板かけ”は、ただの掃除じゃない。“この門をくぐれば夢が始まる”って、伝統の意味を背負う場所だよ」


「あなたが去年、どれだけ緊張してたか、私は知っているわ」


「……だから思の。あんなに震えてる手で、あの看板をかけ続けられるのかな」


「けれど、勇気はあったわ。下級生が上級生にあれだけ言えるのは、なかなかできることではないもの」


 奏は視線を落とし、静かにスープをひと口すする。


「……面白い子かもしれないね。下から来て、上に行こうとする。その覚悟があるなら──見せてもらおうじゃない、これから」


「ふふ。あなたって、相変わらず『可能性』に弱いのね」


 しずくは微笑みながらそう言い、器用に箸を握った。

 ふたりは再び黙って昼食に戻る。しかし、そのまなざしの奥には、わずかに灯った“期待”の光が、確かに宿っていた。

 あかりが「ただの下位の生徒」では終わらないと、ほんの少し、彼女たちの胸の中に刻まれていた。

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