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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
13/140

13:決意の夜

 食堂での夕食を終えた生徒たちは、それぞれの部屋へと戻っていった。寮の廊下には、洗い立てのリネンの匂いと、どこか石鹸の香りが混じって漂っている。

 天翔専門学校の寮の建物は、まるで時間から切り離されたように静まり返っていた。 廊下の照明は淡く、蛍のように瞬く。誰かの足音も、風の音も、今はただ遠い。


 202号室のカーテンが閉められた窓の外では、月が鈍く光っていた。

 雲の切れ間から覗くその銀の円は、まるで舞台上のスポットライトのようにも見える。 室内にはまだ新しさの残る木の香りと、柔らかく漂うシャンプーの匂い。

 その中に、ふたりだけの静かな時間が流れていた。


 ベッドの上。

 鷹宮あかねは体を横たえ、向かいのベッドにいる綾小路澪の背中を、静かに見つめていた。

 澪は黒髪をほどき、ゆっくりとブラシを通している。

 光に照らされる横顔は、まるで彫刻。 高く整った鼻筋と、長く繊細な睫毛の影が、彼女の表情に翳りを落としていた。

 けれどその翳りこそが、彼女を他の誰よりも印象的にしていた。


 美しい。けれど、それはただの美しさではない。

 どこか、壊れやすく、そして近づけば焼けるような、刹那の美。


「ねえ、澪」


 あかねは静かに呼んだ。


「……なに?」


 澪の声もまた、夜の静寂に溶けるほどに柔らかい。


「今日、自己紹介ときさ……澪、すごく堂々としてて、綺麗で、完璧に見えた」


「……ふふ、見せかけだよ。中身はぜんぜん」


 澪はブラシをベッド脇の棚に置き、あかねのほうへと視線を投げる。

 その瞳の奥に浮かぶのは、夜の湖のような静けさと、誰にも触れられたくない深淵。


「私は……娘役になりたかった」


 それは呟くような告白だった。


「……でも、身長がね。168センチもあるから。あの場に立って、講師の先生たちの目を見たとき、ああ、やっぱりって思った」


「やっぱり?」


「“ああ、この子は男役だね”って、そう言われるだろうなって……。わかってた。ずっと前から。だけど、それでも、少しは、もしかしたらって思ってた」


 あかねは言葉を飲み込んだ。 何かを言いたいのに、適切な言葉が見つからなかった。

 澪の唇がかすかに震える。


「娘役になりたかった理由、笑うかもしれないけど……」


「笑わないよ」


 あかねはすぐに答えた。


「……小さい頃、ある舞台を観たの。“白薔薇の幻”って作品。娘役の人が、最後に白いドレスを着て倒れるの。それが、すごく、綺麗だったの」


 あかねは目を見開いた。


「私も観た!テレビで。あのときの娘役って……」


「十条南の相手役だった、楠木花蓮くすのきかれん


「……そう、それ!」


 ふたりの言葉が重なる。 一瞬、沈黙。そして、どちらからともなく笑いがこぼれた。


 澪はふと、うつむいた。

 そして、月の光の中で微かに瞬くその瞳には、別の光が宿っていた。 それは、あかねにはまだ見たことのない色。寂しさと、諦めと、けれど奥底で燃える決意の光だった。


「……でも、もう決めたの。男役として、やっていくって。逃げない。望んだ役じゃないかもしれないけど、きっと……あの場所に立てば、光は見つかるから」


「……澪」


 あかねは小さく呟いた。


「私も……。私も、怖いんだ。今はまだ、夢の途中って感じだけど……。本当に舞台に立って、客席の光を見たとき、自分がその光に応えられるのかって思うと」


 そのとき、澪が小さく笑った。


「ここにいる生徒たちはみんな、それぞれの夢を見てるんだね。でも同じ場所を目指してる」


「うん……。だったら、絶対一緒に同じ舞台に立とうよ」


 ふたりは目を合わせる。

 まるで暗い湖の底で、ふたつの光が出会ったかのように。


 窓の外、月が雲間から覗いた。

 部屋に銀の光が差し、澪の横顔をなぞるように照らす。


 その顔は、やはりどこか哀しく、そして美しかった。

 きっとこの先、彼女は多くの羨望を集め、そして同じくらいの孤独にさらされる。

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