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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第3章 天翔専門学校2年生
122/140

122:修学旅行の引率者

 朝の光がカーテン越しに差し込み、寮の食堂にはパンの焼ける香りと、湯気の立つスープの匂いが広がっていた。まだ眠たげな顔をした生徒たちがちらほらと席に着き、日常の朝が始まっている。

 あかりと澪は、窓際の席に並んで朝食を摂っていた。


 「今日のホームルームで、明日からの修学旅行の引率の先生が発表されるね」


 声の主は水瀬大河だった。トレイを片手に、無造作にあかりたちのテーブルへとやってきた。


 「……あっ、そうだったね。すっかり忘れてた!」


 あかりは口にしていたパンを急いで飲み込み、目をぱちくりとさせる。


 「まあ、あかりらしいね」と笑う澪が、フォークを持つ手を止めた。


 「二人とも、もう準備はばっちり?」


 「ええ、ばっちりよ」と、背後から声がした。


 結城さらがにこやかに答えながら席についた。

 ブラウスの襟元もリボンも、いつもながらにぴしっと整っている。


 「私は……まだ全然準備してないや」と苦笑いを浮かべる大河。


 「大河、相変わらずだね」


 その声に一同が顔を上げると、橘颯真が姿を現した。サラダとスープをトレイに乗せ、静かに着席する。


 「部屋、ぐちゃぐちゃなんじゃない? 明日、荷造りしながらパニックになってる姿が目に浮かぶよ」


 「や、やめてよ……ほんとにありそうだから怖いんだってば」と大河が苦笑交じりに返すと、澪とさらがくすくすと笑った。


 その空気を一変させるように、鋭く凛とした声が割って入る。


 「そういう人は、だいたい当日の朝に準備して、バスに遅刻するのよね」


 テーブルに近づいてきたのは紫堂エリカだった。朝から完璧に整った身だしなみ、凛とした佇まい。手には自作のスムージーらしきものを携え、口元に微笑を浮かべているが、その瞳はどこか冷たい。


 「エリカ、それって……経験談?」


 大河が軽口を叩くと、エリカは目を細めて応じた。


 「失礼ね。私には縁のない話よ。計画性がない人を見ると、心配になるだけ」


 「はは、刺さるなあ……」


 大河は苦笑すると、さらがフォローするように笑顔で言う。


 「でも、大河って、本番にはちゃんと間に合わせるタイプでしょ? そういう人、結構頼りになるのよ?」


 「でしょでしょ?」と、どこか得意げな大河。


 「ふふ……」と澪が笑いながら、あかりの方を見た。


 「あかりはどう? 修学旅行、楽しみ?」


 「うん! すごく! でもなんか、まだちょっと信じられない感じ。明日から、ほんとにみんなで旅に行くんだよね」


 その言葉に、誰もが一瞬だけ、明日からの非日常に想いを馳せた。

 劇団を目指して切磋琢磨する毎日。その中に訪れる、束の間の旅。

 笑顔と緊張と期待を乗せて、朝の光は静かに寮の食堂を包み込んでいた。



***


 春の香りがわずかに残る、穏やかな5月下旬の朝。

 教室の窓の外には初夏の陽射しが差し込んでおり、天翔専門学校の1年C組の教室は、いつもよりもざわついた空気に包まれていた。


 明日から、待ちに待った京都・奈良への修学旅行。

 生徒たちは皆、朝からそわそわしていた。どの講師が自分たちの班を引率するのか、そのことが話題の中心だった。

 ホームルームが始まると、教務担当の講師・麻生なずなが教壇に立った。


 「はい、それでは明日からの修学旅行に向けて、引率の講師の割り当てを発表します」


 麻生のその一言に、教室の空気がぴんと張り詰めた。

 教壇の上で、班の割り当てが記されたプリントを数枚に分けて、一番前の列の生徒に手渡す。


 「順番に後ろに回してください」


 プリントがぱらぱらとめくられ、緊張と期待が混じった空気が、教室に静かに波のように広がっていく。あかりの前にプリントが回ってきたのは、しばらくしてからだった。


 「……!」


 目を落としたその瞬間、あかりの胸の中で何かが跳ねた。


 班名:2班

 引率講師:宝生 聖子


 その文字を見た瞬間、胸が熱くなった。鼓動がどくん、と一拍、強く鳴る。


 「……!」


 思わず呼吸を止めて、もう一度その文字を見つめる。


 宝生聖子。


 夜の特別レッスンで、あかりの胸に火を灯したような人物。あかりの歌を試し、導き、そして――惑わせる、あの毒のような輝きを持つ女。

 その聖子と、京都の町を共に歩く。観光地を巡り、寺を訪れ、班の皆で笑い合う中、彼女の声がすぐ隣で響くのだろうか――そう思うと、あかりの心拍数は跳ね上がった。


(……落ち着いて、私)


 手元のプリントを、ひとつ深呼吸してから後ろにいたひまりに渡す。

 そのひまりが、くすっと笑いながら、あかりの耳元で囁く。


 「海堂先生じゃなくてよかったね」


 思わず、あかりの肩が跳ねる。


 「……う、うん……」


 小さくうなずいたあかりの心に、別の緊張が重なった。


(……でも、よかったって、本当にそう?)


 聖子と三日間、ずっと一緒に行動する。

 それは、これまでの夜のレッスンが、昼の世界に――現実の時間に滲み出してくることを意味していた。


 一方で、澪の班の引率は如月玲奈と記されていた。


 「如月先生か……」


 隣でプリントを見た澪が、小さく呟く。

 その背筋はわずかに伸び、気を引き締めたような雰囲気が伝わってくる。玲奈は厳しくも誠実な人物だ。澪にとって、それはある意味で、聖子とは別の緊張だった。

 麻生なずなが最後に口を開いた。


 「自由行動の際は、必ず班単位での行動を徹底すること。講師とは常に一緒に行動し、迷子にならないように」


 生徒たちからくすくすと笑いが起こる。


 「そして、自由行動のレポートは帰校後に提出。遊んでばかりいないように、行った場所、感じたことをしっかり記録しておくこと。いいですね?」


 「はーい!」


 誰かが冗談めかして返事をすると、教室は一気に笑いに包まれた。

 しかし、あかりだけは、笑いながらもその視線を伏せていた。

 胸の奥に、誰にも言えない熱と不安を抱えたまま、明日から、聖子との修学旅行が始まる。

 そして、昼の京都でさえ、彼女の放つ魔性が色を変えずにあかりを試すのだとしたら――。


(私、……どうすればいい?)


 微かな風が、開けた窓からカーテンを揺らした。

 あかりの髪がふわりと踊り、彼女の瞳の奥に、決意とはまた違う、名付けがたい光が灯っていた。

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