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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第3章 天翔専門学校2年生
112/140

112:名は体を表す

 新学期が始まって間もないある春の日の放課後。


 「今の、ちゃんと拍の頭にアクセントが来てた。よし、次!」


 あかりの声が音楽室に明るく響いた。

 澪と並んで、視唱の練習を重ねること数日。メトロノームに合わせた反復練習は、確かに彼女たちの音感とリズム感を変えていた。


 その様子を、ある日ひっそりと見ていた人物がいた。


 「……またやってる」

 

 扉の陰からのぞき込む、橘颯真の声。そしてその後ろには一ノ瀬ゆらと、Bクラスの水瀬大河の姿もあった。


 「ねえ、颯真。あの二人、すごい集中力だよね。毎日続けてる」


 「海堂先生にあそこまで言われたら、そりゃ火がつくでしょ。……あかり、本気で変わろうとしてる」


 そのやり取りを聞いていた大河が、ふと何かを思いついたように口を開いた。


 「私たち練習に混ぜてもらわない?実は私、聴音が全然ダメでさ……一緒にやれたら、少しは感覚つかめそうな気がする」


 「……混ぜてもらう?そうね、それ、面白いかも」


 ゆらの目がきらりと輝く。


 こうして――翌日。

 音楽室には、いつの間にか5人が集まっていた。


 「えっ、視唱の練習、一緒に?」


 あかりが目を丸くすると、大河が少し気恥ずかしそうに頭をかく。


 「悪い、あかり。二人がやってるの見てたら、私も真似してみたくなって。それに次の試験では、みんなのいるAクラスに上がりたいしね」


 「聴音は得意なんだけど……視唱がちょっと苦手で。よかったら教えて?」


 ゆらがふわっと笑うと、澪がうなずいた。


 「もちろん、歓迎。私たちもまだまだ練習中だけど、誰かと一緒の方が身につくこと、たくさんあると思う」


 「じゃあ、今日の課題は三拍子の視唱だね。メトロノームはこのテンポでどう?」


 小さな音楽室に、和やかな空気が流れ始めた。


 それぞれに譜面を手に取り、拍を口にしながら音をなぞる。


 「1・2・3、1・2・3……」


 繰り返すうちに、ぎこちなかったリズムも少しずつ身体に馴染んでいく。


 「あかり、今の、少し速くなったかも」


 「え、ほんと? あ、たしかにメトロノームより先に行ってた……」


 「私も、最初の音を高くとりすぎてた。ドがド♯になってたかも」


 互いにフィードバックを出し合い、指摘し合う。

 そこに競争心や見栄はなかった。

 ただ、「もっと上手くなりたい」という純粋な情熱だけが、音楽室を満たしていた。


 ──そして数日後。


 その練習の輪は、さらに広がっていった。


 「ねえ、あのグループ、毎日視唱やってるんでしょ?」

 「少し見せてもらおうよ。私も拍子感がずっと苦手だったし……」


 やがて、他の同期や1年生たちにもその光景が留まるようになった。


 「あれが、今年の2年生……?」

 「あの子たち、成績上位なのにさらに自分たちで練習を回してる」


 そんな噂も、いつしか校内を駆け巡るようになる。

 ある日の休み時間、如月玲奈が廊下ですれ違った海堂千歳にそっと声をかけた。


 「すごいですね。海堂先生の拍子の授業から、こんに自主練習の波が広がるなんて」


 海堂はほんの少し目を細め、短く答えた。


 「音楽っていうのはね、技術じゃなくて伝播する感情なのよ。本気で音に向き合う子のそばには、自然と仲間が集まるの」


 「鷹宮あかりもやがて、舞台で中心になる子かもしれないですね」


 「それを決めるのは、舞台の光。でも、最初に光を集める拍を打ったのは、確かにあの子だったわ」


 校舎の外では、春の風が桜の花びらをふわりと舞わせていた。

 あかりたちは今日もまた、音楽室の中で静かに拍子を刻んでいた。

 その一音一音が、やがて彼女たちを未来の舞台へと導いていくことを、誰もが少しずつ感じ始めていた。



***


 鏡張りのレッスン室。

 夜の冷たい光が、磨かれた床に淡く反射する。

 紫堂エリカはひとり、淡々とストレッチを繰り返していた。

 音も立てず、誰にも見られず、完璧な型でバレエのポーズを取り続ける。


 「みんな、あかりの周りに集まってるのね」


 つぶやきに似たその言葉は、自分自身へ向けた呟きだった。

 数日前から、音楽室に集まる同級生たちの輪に、彼女は一度も加わっていなかった。

 別にあかりの成績が自分より低いからと言って、あかりの自主練習をバカにしているわけではない。

 春休みのときは空き教室が少なかったため、あかりと澪と一緒に練習していたエリカだったが、"仲良しこよし"ではトップにはなれないと感じ、あかりたちの練習の輪に加わることはなかった。


 「人の真似をして、何が身につくの?」


 そう思っていた。思い込もうとしていた。

 だけど耳に入るのは――


 「鷹宮の視唱、最近すごく安定してきたよね」

 「綾小路さんと息ぴったりで、見てるだけで緊張感が伝わる」

 「前よりも、明るくなった気がする」


 あかりという名前ばかりが、空気を震わせていた。

 そのたびに、エリカの胸に棘のようなものがひっかかる。


 ──見てないわけじゃなかった。


 見ていた。何度も、扉の影から、窓の隙間から。

 楽しげに笑いながら、拍をとり、声を重ねるあかりと澪の姿を。


(あの子……こんなに早く変わるなんて)


 文化祭では、あかりは脇役だった。自分の背中を追うだけの存在だったはず。

 なのに今――中心には、彼女がいた。人を動かす力を持って。

 バッと立ち上がると、鏡の中の自分をにらみつける。


 「私は……私のやり方で、頂点に立つ。それだけよ」


 でもその夜、エリカは眠れなかった。

 孤独な夜の静けさの中で、何度もあかりの笑い声が耳の奥でこだましていた。

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