1:運命の扉
午前五時三十分。まだ夜が完全には明けきらない早朝、澄んだ空気が頬を刺すように冷たい。鹿児島県の片田舎にある小さな駅のホームで、白い息を吐きながら一人の少女が静かに電車を待っていた。
名前は鷹宮あかね。十五歳。長い髪を一つに結び、まだ制服姿の少女だったが、その瞳には年齢を超えた決意の光が宿っていた。
今日――彼女の人生が大きく動き出す日だった。
向かう先は、関西にある伝説の歌劇団の養成校、「天翔歌劇学校」の入学試験会場。二年制の全寮制学校であり、卒業後には憧れの「天翔歌劇団」に入団できる資格を得る。ただし、そこまで辿り着けるのは、毎年数十人の合格者のみ。応募者は二千人以上、倍率は四十倍を優に超える。
「……行くよ、私」
鷹宮 自分に言い聞かせるように、小さく呟くと、電車が滑るようにホームに入ってきた。
あかねの両親は彼女の挑戦を反対こそしなかったが、全面的に支援するわけでもなかった。
「本気なら、自分で勝ち取りなさい」
それが父の口癖だった。
地方の普通の中学校に通いながら、放課後はバレエ教室と声楽のレッスンに通い詰め、朝は誰よりも早く起きて発声練習をする。日舞だけは近隣に教室がなく、月に一度、隣町まで通うしかなかった。
倍率40倍以上。全国から夢を持った少女たちが集まり、わずかな合格者しか選ばれない。
それでも、あかりは迷わなかった。
10歳のとき。テレビの画面越しに観たあの光――
舞台のど真ん中、燦然と光を放つ男役トップスターの姿を見て、あかりの人生が変わった。 男役スターが登場した瞬間、画面越しにでも分かる圧倒的な存在感に、全身が震えた。
(ああ、私もあの光になりたい)
転勤族だった父親とともに日本各地を渡り歩いたため、あかねはなかなか地元の子供たちに馴染むことができなかった。そのせいであかねは親友と呼べる存在がおらず、寂しい子供時代を過ごした。
それでも天翔歌劇団の舞台の映像を見ているときだけは現実を忘れ、幸せな気分になれた。同じく天翔歌劇団が好きな女の子と二人でテレビを見て、好きなスターの話をし合うのが唯一の楽しい思い出だった。
(絶対、私もあそこに立つ)
その瞬間から始まった努力の日々。
バレエ。日舞。声楽。何ひとつ得意だったわけではない。 けれど、誰よりも長く、誰よりも強く、あかりは“あの光”を追い続けてきた。
あかねは知っていた。足りないものを補う方法は一つしかない。それは「魅せる」こと。舞台に立つ者にとって、技術はもちろん大切だが、最終的に客席の心を掴むのは「人間としての力」だと。