キャラクターストーリー Chapter1 水科麻白(1)
浜名井 郁斗はクソ野郎だ。
郁斗とは、家が隣同士なこともあって幼少期から家族ぐるみの付き合いをしていた。私は、優しくて気が弱くて、でもいざというときは頼りになる郁斗のことが好きだった。
けれど、小学校三年生のときに交通事故に遭ってから、郁斗は人が変わったように下ネタばかりを言うようになった。両親とお見舞いに行ったときに、会って一言目の挨拶が下ネタから始まって、郁斗の両親が慌てていたのを覚えている。うちの両親は「男の子なんてそんなものよ」と言っていたけれど、それまでの郁斗は絶対にそんなことは言わなかった。
それまでは少し抜けているクラスの人気者だったのに、その日から郁斗は徐々に嫌われていった。事故に遭ってからの郁斗はクラスでも浮いていたし、先生も手を焼いていた。私たちの通っていた小学校は私立の一貫校で、端的に言えばお金持ちの子が多かった。そんな家庭で育ち小学校受験をした子供が、下ネタを受け入れられるわけがない。さらに、郁斗は年齢にそぐわない下ネタばかり言っていたので、中学にあがるまでは私を含めクラスメートの大半が郁斗の発言の意味を理解していなかった。ただひとり、意味を理解している担任の先生だけが顔を茹蛸のようにして怒っていた。
それなのに、私は、そんな最低最悪の郁斗のことが嫌いになれなかった。
だって、郁斗が変わってしまったのは私のせいなんだから。
私は幼い頃からアニメが好きで、今思えば、その頃にはもう「オタク」だったのだと思う。小学校に入学したときにゲームを買ってもらってから、それは一気に加速した。両親は、好きなもののことになると急に饒舌になる私のことをあまり良く思っていなかった。子供が急にイベマラとかフルコンとか意味の分からない言葉ばかり使いだしたら、それは苦い顔もするだろうと思う。両親はいつも、「もっと上品に喋りなさい」と私を叱っていた。
小学校二年生の十二月、ゲームはクリスマスイベントの真っ最中だった。新しく天ちゃんのSSRカードが登場していて、興奮した私は、つい母親にゲーム画面を見せてしまった。
母親は、「気持ち悪いわ」と顔を顰めた。
「いつもそんな下品な服を着てるの? お母さん、何がいいのか分からないわ。小さい頃からそんなゲームばかりやっていたら駄目よ。麻白、そのゲームはもうやめなさい。いいわね?」
私は嫌だと言ったけれど、ゲームは母親に取り上げられた。クリスマスイベントの天ちゃんの新衣装はサンタコスで、ただスカートが短いだけだったのに。
その日の夕方、私が家の近くの公園で泣いていると、いつの間にか公園に来ていた郁斗が隣に座った。
「ましろちゃん、どうしたの? なんで泣いてるの」
「おかあさんが、天ちゃんのこときもちわるいって言ったの。げひんな服をきてるって。ゲームもできなくなっちゃった。天ちゃんをすきなことって、そんなにわるいことなのかな」
自分で口にしたせいでまた感情が高ぶって涙がとまらない私の背中に、郁斗が手を置いた。
「それがわるいことなのかは分からないけど…… でも、ましろちゃんは、天ちゃんのはなしをしてるときがいちばんきらきらしてる。ぼくはすきだよ」
郁斗は、私を、そして私が好きなものを、肯定してくれた。私が郁斗を好きになるのには、それだけで十分だった。それからは、ゲームを取り上げられたのに毎日が楽しかった。だって郁斗が隣にいたから。いつも無邪気に笑う郁斗は、私なんかよりよっぽどきらきらして見えた。
それなのに。
小学三年生の夏、郁斗は交通事故に遭った。
私をかばったせいだった。
車の運転手は、信号無視をしたらしい。背中に衝撃が走ってそれが郁斗のせいだと気が付いた時には、クラクションと急ブレーキの不快な音が辺りに響いていた。訳も分からないまま、話しかけても返事をしない郁斗と一緒に救急車に乗せられて病院に運ばれた。郁斗とは違う部屋に通されて軽い診察を受けた後、お母さんと郁斗の母親に合流した。二人は青ざめた顔で、けれどお母さんは私の姿を見て安堵の表情を浮かべた。
「麻白! 大丈夫なの? 怪我は?」
「わたしはだいじょうぶ。それより、いくとは?」
「……郁斗くんは、麻白を助けてくれたの。今、お医者様が頑張ってくださっているわ。後で必ず、お礼を言いましょうね」
それから、永遠のような数時間が過ぎて、なんとか一命はとりとめたと伝えられた。
「ですが、生きているのが奇跡なくらいの重傷です。数日は目を覚まさないかもしれません」
当時の私には、全部を理解することは出来なかったけれど、どうやら大変らしいということだけは分かって、毎日お見舞いに足を運んだ。
それから一週間が経って、郁斗が意識を取り戻したという連絡があった。目を覚ましてからは信じられない速さで回復し、もう元気らしいと聞いて、私は胸を撫でおろした。
けれど、その日から郁斗は変わってしまった。事故の後遺症で脳に異常があるというわけはなく、原因は分からなかった。それでも、あの事故と何の関係もないとは思えなかった。
私をかばったせいで、優しい郁斗はいなくなった。
下ネタばかりを言うようになったのに、それでも嫌いにはなれなかった。
高校生になってからは、もうこの想いは捨ててしまいたいと思っていたのに。
郁斗は、また、ある日突然人が変わったように優しくなった。