3話 旅立ちと共連れ
「ほん、本気で言っているのか?」
「……えぇ、噓じゃないわ」
見せあう、と本気で言っている。
声の感じからしても冗談を言ったわけではなさそうだった。
そして、体を見せ合うという行為に抵抗はあるようで、急にしおらしく落ち着かない様子で髪をいじり始めるアリン姫を見てレバンは目から鱗を落とす。
今の今まで見落としていたが、姫の可憐さというのは本当に今更の話だが絵本に出てくるような姿なのだ。
青よりも少しくすんだ蒼い瞳は大きく、姫のなせる業なのか目元は常に柔らかな笑みを湛えている。静まった湖面を思わせるような瞳の色と、筋の通った小ぶりな鼻と、色艶のよい桜色の唇。
部屋に入った時から感じていたことだが、先ほど姫も湯あみを終えたらしく、石鹸のいい香りが部屋中を包んでいた。濡れて色の変わった金髪の一房が頬に張り付き、それを耳にかける所作には流石の品の良さを見せつけられた。
初対面の印象さえ悪くなければ、もしも何か別の真っ当な出会い方をしていたならば、レバンの心を一瞬にして埋め尽くしていたかも知れない。
アリン姫の恵まれた点はその容姿だけにあらず、外見の可憐さに加え、王族という生まれの良さが素材を何倍にも引き立てているのだ。いかに美人といえ村や町の娘では、毎日のように体の手入れすることは出来ない。綺麗に研がれた爪も、指でするりと梳くことが出来る美しい金髪も、柔らかな頬も、何もかもを維持することは出来なかっただろう。
そのことに気付いたレバンの目の変わり方に驚いたのか、アリンは少しうつむきがちに自分の肩を抱いて横を向く、そのせいでしかと見えたのだ、恥ずかしさから赤く火照ったアリンの小さな耳が。
「その、いかがかしら? ……秘密の共有なら、応じてくれるの?」
アリンが寝衣の胸元を編んでいる紐へ指をかける。ほんの少しだけ解かれ露出する肌、潤んだ瞳が上目遣いにレバンの様子を伺い。何とも形容しがたい欲がこみ上げてくる。
レバンの中の魔王が叫ぶ、本能に従えと。
彼の中の勇者もまた叫ぶ、理性に準じろと。
意を決して立ち上がったその時だった。運よく、いや悪くだろうか。部屋に来訪者があったのだ。舌打ちをしつつもほっと息を吐くようなどちらともつかない感情が生まれモヤモヤとしたが、レバンはこれで良かったのだと自分に言い聞かせることにした。
見たくなかったとは言わない。
レバンもそこまで聖人ではない、そして、見ただけで踏みとどまれる自信も、少なくともあの場、あの雰囲気の中で持ち合わせていなかったと思う。
もし、もしも万が一にそうなった場合の後を考えると事の大事さに吐き気がしてきそうで、なのでやはりこれで良かったのだと言い聞かせるしかなかった。
部屋の来訪者である侍女と入れ違うように外へ、退出間際にちらと姫を一瞥し、互いの視線が宙で結ばれた。あちらが何を思ったかは分からないが、似たような物足りなさが滲んでいたような気がする。
――それから二日程、王城に滞在したが、その間レバンは姫と関わることは無かった。身分の違いは歴然で、そして互いに忙しさから時間も持てないでいた。
レバンはレバンで魔王と対峙した話、その時に感じたこと、白面鏡について、報酬額について等、騎士隊長や文官たちと様々な話し合いをしていたし、アリンもアリンでレバン以上に忙しそうだった。
時折、二人が廊下で人を引き連れてすれ違うが、世間話をする間柄かというと何とも微妙で、会釈程度が精いっぱいだった。
そして魔王出現から三日が過ぎた朝、レバンは騎王国シャトロマを発つと決めた。
実を言うと近隣諸国へ情報の連携をするからレバンには同行して欲しい、と騎士隊長から言われていたのだが、彼にはそれが必要なことだとは思えなかった。
魔王と対峙したとは言え、一太刀を浴びせたわけではなし、直に肌で感じた内容を伝えて欲しいのだろうが、それならアリン姫でも出来ることだ。一介の市民であるレバンより、歴とした王女の口から伝えられたほうが人々に伝わると思えた。
東の空に登るまだ白い朝日を見ながら、城門が開くのを待つ。
昨日のうちに城下町で必要品は買い揃えた。報奨金はたんまり貰えたので、路銀に困ることはない。使い古して刃がこぼれていた剣も新調した。さすが騎王国は騎士の国だけあって刀剣や槍の出来がいい。十字の形をしたロングソードは王国の精鋭騎士隊が使う正規品だけあり値が張ったが、命を預ける得物にけちけちして死んでしまっては元も子もない。
こきり、と首をひと回しして「行くか」と自分にだけ声をかけたつもりだった。
「徒歩でいくの?」と、横合いから急に声をかけられドキリとする。
目深にかぶったフードから口元しか分からないが、それでも分かる。桜に色づく唇は……。
「……アリン? なんで」
「何故だと思う? いえ、どちらだと思っているのか聞きたいわね」
どちらって……。と聞かれハッとする。急に発つ者を見送りにきたとは、そんな甲斐甲斐しさは想像しづらかった。
「お前、まさか僕に付いてくる気なのか⁉」
こくり、と小さく頷くアリン。口元だけで笑みを伝えてくる。
「いいのか、お姫様なんだろう? 一応は……」
「一応も何もしっかり王女よ。当然、私が旅に出るなんて反対されるから、書き置きだけはしてきたわ、安心なさい」
「一切安心できない。……これ、僕は大丈夫なのか? 姫をさらったとか何とか、指名手配されたりしないかな」
「大丈夫よ。と言うよりもまず、私が同行してもいいのね、意外だわ」
「まあ、ただの温室育ちなら許可しなかったけど、腕が立つのは知っているしね」
「話が早くて助かるわ。剣だけじゃなく私が居れば便利よ。王家の秘宝も持ってきたから路銀に困ったら売りましょう」
「あー……やっぱり大丈夫じゃない気がしてきた」
初めての仲間を得て次の旅へ向かう。レバンもいつかは仲間を募ろうと思っていたが、まさかそれが姫となるとは、旅の行く末が一体どうなるのか、まるで見当がつかないと思ったのだった。