16話 降り注ぐ地母神の怒り
石が降り注ぐ。
屋根、壁、植木の鉢、道脇に置かれた空の樽、当然、人にも。
バチバチと鳴る音はいかな大粒の雨でもあり得ない大きさで耳を塞ぎたくなる。
レバンとアリンは剣で打ち落とし、シーナは風を障壁にして防いだため無傷で済んだ。面食らいはしたが降って落ちるだけの石礫であれば対処は安い。
ルヴィオードの拳や蹴りを散々受けたレバンであれば無手でもいけただろう。
「くおぉラッ! レバンおめえ、この俺で石だの岩だのを弾くんじゃねえよ。刃こぼれしたらどうすんだウラッ! その辺のなまくらと違ってこちとら聖剣様なんだぞ⁉」
「え、ルヴィオード……お前、聖剣のくせに刃こぼれするのか? あんなので?」
「聖剣の俺様があんなモンで刃こぼれするわけねェーだろうがよぉ! 舐めんな!」
「え、じゃあ、いいじゃないか」
石の雨もなんのその、レバンとルヴィオードがやいやい言い合う様をさっきの青年が凝視している。
「よく無事で……。喋る赤い剣……左手の甲の、稲妻の聖痕、あの、君……もしかして」
「おうよ、姫さらって聖剣を強奪した泣く子も黙る神鳴りの勇者とはコイツのことよ」
「神鳴りのって言われれば僕のことですね。ルヴィオード静かにしててね」
「すごい……本物が……あっ」
青年がアリンを見て思い出したように膝をついた。
「申し訳ございません! 知らぬ事とはいえ、こんな、王女殿下に気安く……大変なご無礼を……」
「すごい、アリンがお姫様みたい~」
「いや姫なのよシーナ、別にいいのだけれど、騎王国の第三王女なのよ」と、仲間への戯れは程々にしてアリン王女がそれらしい顔つきに代わる。
「面をあげなさい。今の私は誰ともつかぬ旅の者です。畏まる必要はないわ」
言葉の上ではそう言いつつも正体を知られている相手には相応の顔つきへ瞬時に切り替わる。見慣れぬアリンの表情を物珍しそうにレバンが見ていた。
「は、ハイ! その、それでは、拝謁いたします」
おそるおそる顔を上げた青年はアリンの姿を見て一瞬、見とれるようだったが頭を振りすぐに地へ視線を落とす。
「噂に違わぬ凛とした佇まい、拝謁賜り恐悦至極にございます」
アリンは澄まし顔を崩さぬままも面倒そうに頭を掻く。
口振りの滔々とした様から見てどこかの家の使用人であることが伺える。
それもおそらく貴族家に出入りしている人間だ。一般市民が即座に膝を折って挨拶を述べられるとは思えない。
貴族に仕える者であれば尚更、特権階級の頂点に位置する王家の、それも王女にいくら本人の口から「楽にしろ」と言われたとしても畏まらないわけにはいかないだろう。
となると、無理に崩してもらうよりこのまま進めた方が早いと判断した。
「お前、名は何というの?」
「セローラ家に代々仕えております。ゴスティン・グラネットと申します」
「ああ、辺境伯の」
セローラ家と言えば炭鉱都市ティゴロンの自治権利、管理体制に最も強い影響力を持つ家である。
辺境伯は侯爵と同等の爵位であり、炭鉱都市という事実上の小国にある王の家系と言ってもいいだろう。
領内の西で一番力のある貴族であり登城の機会も多く当主のセローラ辺境伯はアリンが城に居た頃に何度も顔を合わせている。
少し面倒かも知れない、とアリンが頭を巡らせる。
騎王国の王都から離れてはいるがここは未だ領内だ。家出の姫が自分の領内でうろうろしていると辺境伯に知られれば面倒なことになる。
あまりお節介な方ではない小ざっぱりとした性格の人だとアリンは知っているが、そうは言っても辺境伯にも立場という物がある。
深淵の翠玉という国宝、王典石を持ち出した一件といい、王都に連れ戻してくれと命を受けていればきちんとそれに従うはずだ。
ゴスティン青年にいくらか握らせて秘密にして貰おうか、などと貴族らしい腹芸じみた事を考えていたところでレバンが割って入った。
「さっき言いかけてた問題ってのは、あの空から降ってきた石と関係が?」
ゴスティンは少し迷った末に「その、場所を用意しますのでご足労願えないでしょうか。私としても王女殿下に立ち話など出来る身分ではございませんので……」
ゴスティンの立場も理解したので彼の言う通りについて行った。セローラ家に仕えるグラネットの者と言えば少しは顔が効くのか、門扉の衛兵たちに会釈するだけで列を無視して通ることが出来た。
抜けた先の景色は市場が広がり賑わっている。目抜き通りは一直線に山まで伸び、登山道や鉱山道に繋がっているのか、裾から上がるにつれいくつも枝分かれしている。
人込みで余計なことを聞かれないためレバンは声をひそめてアリンに話しかけた。
「アリンってほんとにお姫様なんだな、なんかその、お姫様だったんですね」
「ちょっと、そのぎこちない丁寧口調やめてくれる? 普段通りでいいわよ」
「初めて会ったのって城だったし、そりゃあ王族ってのは知ってるんだけど、なんだかんだ、お姫様っぽいところあんまり見た事なかったからなぁ」
「ご期待に沿えずご免遊ばせ。次からは竜が巻き付いた尖塔の最上階にあるベッドで眠りについて待つようにするわよ」
フンスと不機嫌そうに話すアリンが面白く、レバンが笑いながら軽く謝る。
「別にそこまでは言ってないけど、でもそれだと会いに行くのも大変だね」
「そうよ! そうじゃなくても元々から私は城暮らしなのだから、おいそれと会えるものじゃないのよ? 少しはありがたみを持ってくれてもいいと思うわ!」
「押しつけがましい姫だな。でもまぁ確かに、いつかこの旅が終わりでもしたら、そんな簡単には会えなくなるのかな」
「ん、まあ、そうよね」
いつの日かやって来るであろう旅の終わり、日常に返ったその日を想ってか、アリンの声は知らず、ほんの少しだけ寂しさの色を帯びていた。
「その時はまた僕から会いに行くよ」
再会の約束はアリンにとってまぶしいものだった。
「そう、それなら……安心ね、うん」
思わず目を反らすほどだ。そっぽを向いて返事をする彼女の横顔は、街の景色を見ている彼には伝わらない。
もう少し後でシーナが「コイツらなんか急にイチャイチャしてますルヴィオードさぁん!」と茶化し、ルヴィオードも「勇者と姫の組み合わせっておとぎ話実行委員会かよお前らよォ!」と煽り倒したのだった。
案内されたのはゴスティンの家だった。さすがに貴族の屋敷と言えるほど豪勢ではないが、青年と呼べる若き平民がしっかりとした家をこの歳で構えていることは立派なことだ。
「せせこましい所にお通しして大変恐縮ではございますが、どうかお寛ぎ下さいませ」
「ちゃんとした良い家だと思うけどなあ」と、レバンが感想を素直に伝える。天井の木組みなどは中々凝った造りをしていて、レバンの住んでいた孤児院よりもよっぽど住みやすそうだ。
さっそく、とアリンが水を向けゴスティンが話し出す。身分の違いや主従の関係というのは好きな時に自由に話し出すことも出来ないのか、とレバンが自分と住む世界の違いを垣間見た瞬間でもあった。
「今この街には、荒ぶる地母神様の怒りが石の雨となり降ってきております」
先ほどレバン達が城門で浴びた石や岩が日に二、三度、空から降ってくるようになったそうだ。今からちょうど十日前のことである。
街から続く断崖連峰への登山道を上がり、槍ヶ骨岳の山道入り口に講堂があるが、その講堂で神官たちがいつものように掃除をしていたところ、ご神体である石英の水晶がひとりでに割れたのだそうだ。
疑問に思ったシーナが聞く。「水晶が? そんなので神様が怒ってるんだ? てか、講堂にご神体って珍しいね~。本堂に安置されてるじゃないんだ?」
「いえ、本堂にもご神体はあります。講堂にあるご神体は、元は本堂から移した少し霊格の低い物だそうで、教義の発展と老年の信者が礼拝に参加しやすいように考えて何百年か前からいまのような形になった、と神官たちが公示しておりました。
槍ヶ骨岳の尾根にある聖堂は道とも呼べないような断崖絶壁を通っていきますので無理もない話だと存じます」
それから本堂である山頂の聖堂へ様子を見にいった神官たちは誰一人として目的地にたどり着けなかったのだ。上から降る石の雨に撤退を余儀なくされ、今のところ死者こそ出ていないものの重傷者は何名もいる。
「私が城門でお会いしました時、ちょうど王都に救援要請をしに出掛けるところだったのです。王都まで出向くようなご用命を頂くことは珍しく、事態が事態ではあるのですが、少し気持ちが浮足立ってしまい、その、気安く話しかけてしまった次第でございます」
旅の者でもなければ生まれの街から出ることはそうそうない。日帰りでないのなら尚のこと珍しい。行先が王都であれば旅の者となる前のレバンであれば気持ちはよく分かった。
「失礼を承知でお願い致します。騎王国第三王女アリン殿下、そして近隣に名の轟く神鳴りの勇者レバン様、並びにお連れ様方に問題解決の助力をお願いできないでしょうか?」
「具体的には?」と、アリンが聞いたがアリンから王家へ向けて直に一筆お願い頂けないでしょうか、とのこと。確かにそれは効果も抜群、まともな数の騎士隊が動くこと間違いないのだが、お忍びで旅をしているアリンにとっては非常にまずい。
「少し外してくれるかしら? 仲間と相談するわ」
家主に向かって下がってくれ、とはアリンのような環境で生きていた者でもない限りなかなか言える台詞ではない。ゴスティンは何の不満も言わず、顔にすら出さず静かに頭を下げてから部屋を後にした。
「さて、どうしようかしら?」
ルヴィオードが室内ということを気遣ってか、いつもより小さめの姿で顕現する。
「書いてやればいいじゃねえか。一筆くらいよお」
「書くのは簡単よ。でもそうすると私たちの居場所を騎王国に知られてしまうことになるわ」
「……なるほどなァ。そりゃあ、つまり……手詰まりってことか」
レバンが「いや何がだよ」と突っ込む。
「俺よ、こういう作戦会議って憧れてたんだよな。だから何かソレっぽいこと言いたくてよ」
エメラシーナが内心でルヴィオードの部下たちを嘆く。
「手紙ってさ、何日くらいで届くのかな?」と、シーナは距離感が分からないので聞いてみた。
「そうね……。四日くらいかしら、外で会ったゴスティンは馬を連れていなかったから徒歩で計算して良いと思うわ。騎王国についたら戻りは馬で来ると仮定して……最短で六日、話がすんなり通らなかったり、騎士たちの準備の時間も考えると……現実的には七日ね。聖堂の問題を私たちで解決するにしても、空から石が降るなんて事件だもの、騎王国に知らせて連携をとるべき問題だわ」
レバンは七日を指折り数えながら言う。
「じゃあ書状も書いて、それから先に僕たちで問題解決するっていうのは? 七日だろ? 登りで一日、聖堂の問題解決に一日、下山で一日、その後は街で一日ゆっくりしても三日は余る。事後処理があるなら後から来た騎士の人たちに任せちゃえばいいし、三日もあれば追手もかわせるよ」
何とも豪胆な物言いにアリンが笑う。
「さすが神鳴りの勇者様ね。よし、それじゃ紹介状を書いて、準備を整えたら登りましょ!」
ということでレバン一行の行動は一致したのだった。
太陽は真上を過ぎた昼下がりなので登山は明日、決行される。
ゴスティンへの解答は一日待って欲しい、と伝え、今日は宿探しと装備品の買い出しに使うことにした。宿についたシーナは疲れていたのかベッドに潜り込み早々に寝てしまうので、レバンとアリンの二人で買い出し、ルヴィオードはシーナと一緒に留守番となる。
久々の街で買い物ともなれば二人の声が弾むのはやむなしだろう。特にアリンがそうだった。
「そういえば私、本格的な登山って初めてだわ。火付けの道具とか買い直した方がいいんじゃないかしら?」
「いや、火付けならルヴィオードがいるから要らないんじゃないかな?」
「あ、そうね。それじゃ防寒着は? 槍ヶ骨岳って場所によって万年雪が残っているところもあるらしいの、それに山は風が吹き晒しよ? 風よけの何かを買わないとね」
「いや、風はシーナがなんとかしてくれるからあんまり考えなくてもいいんじゃないかな?」
「あ、……そうね」
「アリン、もしかして楽しみ? 山登り」
「街の人たちは石が降る日々に怯えているのよ? そんな不謹慎なこと考えてないわよ」
「そっか。……登ってる途中でさ、お腹もすくと思うし、せっかく名物なんだからちょっといいヤギの肉を買って、山で焼いて食べてみよっか? 景色もいいしきっと最高だよ」
「素敵ね、とっても賛成よ!」
「嘘だよ。そんなの準備が大変だし、行動食とか携帯食とかだけで十分だよ。石が降る日々に怯えている人たちを山の上から見下ろして肉を食べるなんて不謹慎なこと僕には出来ない――あ~ごめんごめん、僕が悪かったから! そんなに怒らないで、叩かないでってば!」
ベッドの中で寝ていたはずのシーナが、好々爺ならぬ好々婆のような顔をして二人の背を見送るのであった。