12話 聖なる剣のウラ側
静かだ。
レバンがまず感じたのは森の静寂さだった。村から外れまた森に入っていたわけだが、本来の自然が立てる音という音がない。
葉擦れの音も、鳥の囀りも、風の音すら鳴り止んでいた。まるでこの土地が剣のために静まり返っているかのようだ。
「……静かすぎて怖いくらいだ」
確認作業のような独り言も、喋れば尚のこと静けさが際立った。思わず声を出したが本来はそれすら禁じられているのかと、呟きが森に消えた今ではそう思えてしまう程だ。
祠は小さなものだった。森の中にポカンと浮かぶ円形に敷かれた石畳と、入り口と思しき石の塔で出来たアーチ、それをくぐればごく小規模な殿舎があり、その奥、円の中心には台座に剣が刺さっていた。
レバンは息を飲む。神に見張られているような緊張感があった。
アーチをくぐり石畳に足を置けば、自分のブーツが立てるゴツゴツといった音が厳かな沈静を無遠慮に引き裂くかのようで心臓に悪い。
念のためシーナに祠を参る作法はあるのかと聞いておいたが、特段そのような物はないと言っていた。だとしても、自分やシーナや、森の一族も知らぬ法がこの場に敷かれていそうで恐ろしかった。
やっとの思いで台座の前、剣の前に立つレバン。近くで見た聖なる剣は気が遠くなるほど美しい。華美な見た目をしているわけではないのだが、柄、鍔、剣身、全ての部位が完璧な調和を持って剣の姿を成している。
レバンはアリンとシーナに見守られながら聖剣の柄に手をかける。
強く握りこめば初めて持ったとは思えないほど手に馴染んだ。台座から引き抜くためレバンは腹に力を込めたが、手にした剣から伝わる感触で確信する。剣は抵抗なく、刃は台座の溝を滑り簡単に抜けた。
「……何だか、思っていたより……あっさり抜けた」
手にした剣をまじまじと観察する。見れば見る程に美しい。剣身と同じ鋼の色で統一された鍔と柄、落ち着きのある色味のそれは、世に聞く名剣や宝剣の絢爛さと対極的だったが、限界まで研ぎ澄まされた機能美を感じられる。
仲間の元に戻って剣を見てもらおうと踵を返したレバンだったが、ふと、空に黒雲が広がっていることへ気付く。先ほどまでよく晴れた青い空が広がっていた。夏の夕立でもここまで露骨に機嫌が変わることはないだろう。
もしや聖剣に何か関わりがあるのか、手元に目を落とせば突如として頭上で雷が轟いた。
耳が割れそうな大音、鳴る雷は一つ二つの数ではなかった。そして遠雷のような遠くの出来事でもない、数えきれない数多の稲光がレバン達のすぐ上で響き渡っている。
異常事態に三人は集まったが、互いの声は雷鳴に塗り替えられ言葉での意思疎通は不可能だった。
空に走る光がいったい幾多になるのか、何が起ころうとしているのか見定めなくてはならないのに、奔流するような空の雷は絶大な眩さと明滅を持って見上げる者の目を狂わせる。
残像が焼き付いて目が機能を果たせなくなった頃、一際大きな音を鳴らしてすぐ近くに雷が落ちた。
音は、目に続き、耳を襲う。黒雲で覆われたままの空は薄暗い森を更に暗く、その姿をほとんど夜と変わらないままにしていた。
激しい光にいたぶられた目は物をはっきりと見られるほどに回復しない。耳は分厚い綿をかぶせられたように麻痺していた。
だが、落雷と共に何かが出現したことをレバンは察知する。目と耳が鈍った中で、鼻よりも肌よりも、心臓を掴まれるようなこの気配、圧迫感が否応なしに知らせてくる。
森が、焼けている。茶と緑の中、赤が際立つ。
「よお、さっき振りだな、勇者」
ルヴィオードが現れたのだった。
「俺は剣に宿る原初の火の化身! 聖炎剣ルヴィオードだ! 草原でお前をボコボコにしたのは剣の試練だったのだ! 剣を自分の物としたくば俺を倒して従わせることだ!」
高らかに宣言された試練の開始について、レバンとアリンが反応を示すことはなかった。
代わりにシーナが、いやエメラシーナが説明をする。
「……ルヴィ、たぶん聞こえてないよ? レバンくんもアリンちゃんも雷の音で耳がやられてるからね。光が強かったから、たぶん目もしばらく駄目だろうね」
「えっ、そうか……。なんて軟弱な奴らなんだ。あ……つかエメラシーナ! なに急にぶっ飛ばしてくれてんだコラ!」
「いやしょうがないじゃん~。ガラドナル様の子供なんだよ? ルヴィこそ何やってんのって感じだったんだけど、まさか知らなかったとか?」
「いいや、知ってたわ。知ってたから戦ってみたかったんだろうが。ガラドナル様の魂が半分入ってんだろ? そりゃきっと強ぇだろうなってな。けどまぁ雑魚だったな」
「まだ十五才の赤ちゃんが強いわけないじゃん……。そういえば、あんまり怒ってないんだね。あたしに対して」
「いいやキレてたぜ? そりゃあもうバチバチにキレてた。でもついさっきガラドナル様から雷でシバかれながら説教くらってクソ凹んだから怒る気力も失せたわ。勇者のこと強くするために協力しろってよ、だからさぁ俺、聖剣に封印されちゃったよ。ひどくねーか?」
「聖剣っていうか魔剣……。なるほど、そういう感じになったのか。あんま不貞腐れずにやんなよ? ガラドナル様から直で命令もらえるなんて久々なんだから」
「わぁーってるよ! ガラドナル様の子供なら強くなるだろうし、俺がしっかり育てて、とりあえずは人族の中で最強くらいにはしてやるわ!」
「戦いのことだけは真面目だよね~。……あ、一応なんだけど、アリンちゃんはセレンがいつもの入れ替わりしてるらしいよ?」
「ああ? そうなん? ふーん……まあセレンのことは放っといていいか。俺らが知らなくていいことだし勝手にやんだろ。……そういや今はどっち何だ? セレンデールなのか?」
「違うんじゃない? セレンデールが雷くらいで目とか耳とかやられるわけないだろうし」
「確かに、つかエメラ、おまえコイツら治してやれよ。待つの面倒臭くなってきたわ」
「確かにそだね~。……もしアリンちゃんがセレンだったら、なんか、ちょっとチューするの恥ずかしいな」
「なーに人族みたいなこと言ってんだ、はよやれ」
「はいはい、んじゃルヴィもしっかりやりなよね~」
――視覚と聴覚の難が取り払われたのは唐突だった。
レバンは唇に感じた湿っぽい感触に一瞬だけ抗おうとしたが、それが治癒のためであることを思い出す。戻って来た視界が捉えたのは予感が教えてくれた通り、草原で出くわした燃える男だった。
「お前は……ルヴィオード!」
「あー……そうそう、え~と……。フハハハッ! そうだ! 俺は剣に宿る原初の火の化身! 聖炎剣ルヴィオード! 草原でお前をボコボコにしたのは剣にふさわしい者か見定めるための試練だったのだ!」
「これが聖剣の試練……!」
「そうだ。見事この俺を打ち破ってみせろ!」
草原でまみえた時とはどこか様子が違うような気がしたものの、レバンは威勢のいい声を上げて自らを鼓舞する。手には台座から抜き放ったばかりの聖剣がある。
この剣を持ってして剣に宿っていたというルヴィオードに打ち勝つこと、それが聖剣を手にする勇者の資格、力を示せとは何と単純で冷酷な試練だろうか。
「さあ、どうした勇者レバンよ。かかってこい!」
獅子の吠えるような迫力でルヴィオードが煽るが、レバンは容易には飛び出さない。草原での一件で相手の実力は嫌というほど知っている。まともに打ち合って勝てるような相手ではない。じりじりと間合いを詰め、機を窺う。
圧倒的な戦闘能力を誇っていたルヴィオードを前にレバンがどこまで食い下がることができるか、そういった一方的な展開になることが予想されたが形勢の傾きは変わらずとも内容は以前と違っていた。
「どうした勇者よ! もう終わりかッ⁉」
ルヴィオードの剛腕を寸でのところでかわす、避け切れなければ剣で受け、全霊をして継戦する。そんなことが何百回と繰り返されている。試練の名の通りルヴィオードは試しているのだろう。
レバンがどこまで動き続けられるのか、心を折らず立ち向かい続けるのか、草原で蹂躙された時とは明らかに違う。レバンが死力を尽くせば辛うじて回避できる死を何度も押し付けるのだ。
レバンの膝がついに笑った瞬間をルヴィオードは見逃さなかった。
腹のど真ん中を剛拳が襲う。芯を食う一撃にレバンは体を折り曲げて吹っ飛んだ。
木立の中へ突っ込みバキバキと枝を折りながらも身を丸くして地を転がる。枝が掠めて頬を切ったが今更だ。シャツを脱げば青くない場所を探す方が難しいくらい全身が痣まみれだろう。
挙動一つで体が悲鳴を上げるが、それでもレバンは出来る限りすぐに立ち上がる。
腕は下ろさない、そしてまた剣を構える。疲労は滲むが目は死んでいない。
「……やれるぞ。まだ……まだ、やれる」
木の葉の隙間から光が差し、レバンの顔を朝日が照らす。いつの間にか黒雲は晴れ、地に沈んだ太陽が再び顔を出したのだ。つまり一晩、これを繰り返していたということ。
レバンの持つ瞳が、焼けた鉄のような赤い色の瞳が光を得て輝く。朝焼けに染まる空よりも強く輝くその両眼はまだ諦めを知らない。
「日が昇ったか」
ふとルヴィオードが動きを止めた。
「よくぞ一晩しのぎ切った。お前を認めよう」
長い夜は、ついに明けたのだ。
「剣を掲げろ、勇者レバンよ、今こそ聖剣の真の姿を見せてやろう」
レバンが震える手で柄を握り直し、両腕に力を根限り込めて振り上げる。
切っ先が天へ向けられたその時だ。ルヴィオードが人型の体から炎の塊と姿を変え、刃へ吸い込まれる。すると剣の刃が鋼色から深い赤へ移り変わり、柄頭に赤い大きな宝石がはめ込まれた。
「真紅の刃は一振りを持って業火を呼び起こす。レバンよ、ゆめ忘れるな、その在り方を。気高くあれと言うつもりはない、ただ強くあれ。さすれば俺は、聖炎剣ルヴィオードの火は、お前の新たな腕となり、向かう敵すべてを焼き尽くす。原初の火の担い手として常に相応しく、強くあれ、以上だ」
真新しい朝の光を浴びて、真紅の刃は煌めいた。
聖剣を天に掲げるその姿は今や各国の首都で銅像となり人々の間ではよく知られる勇者の姿だ。
もっとも、像にあるレバンの姿は立派な甲冑を着ており、疲れ切った今の彼がそうなるなんて事は、自身も夢ですら思わなかったろう。
試練を乗り越え、安堵から息をつけば集中が辛うじてつないでいた意識を手放す。駆け寄るアリンの心配そうな顔と、唇を尖らせて迫りくるシーナが、失神の手前に見たレバンの光景であった。