悪役令嬢にされかけてるけどそれはともかくとしてラーメンを食べる
わたしは寝る前に温かい飲み物を飲まないと眠れない。
つまり最近眠れていない。
わたしに毎晩ハーブティーを淹れてくれていた従者が義妹にメロメロになって仕事をしないからだ。
チッチッチッチッチッ
ボワッ
給湯室のガスコンロのスイッチを長押しすれば、ぐるりとコンロの上に青い火が点火する。すかさず真上の換気扇のボタンを押した私は、一仕事終えたとばかりに肩を下ろした。
わたしはシャルナ・リディル。
婚約者・幼馴染・親友・従者、全て義理の妹に奪われた挙句、義理の妹を虐げているというエセ情報を流されている悲劇のヒロインである。
あまりに理不尽な状況に毎日枕を濡らす日々だ
よだれで。
だって私の御食事、何故かいつも微量の毒が盛られているんだもの……。別に死ぬものじゃないけど、なんか食欲湧かないじゃない?
コンロの上には並々と水が張ったアルミ製の雪平鍋。これはわたしがこれからつくるホットドリンクの赤ちゃんよ。
これが沸騰するまでの間、私にはすることがある。
最近自分で手入れするようになったワインレッドの髪をくくり、冷蔵庫にあった葱を包丁で小口切り。あとは野菜庫を漁ったら出てきたキャベツを適当にちぎる。
その後用意していた袋を両手で引っ張って開封したら中からさらに小さい袋だけを取り出す。
この小さい袋を開ける時、『こちら側から開けてください』という表示が書かれていることがあるけど、場合によってはキッチンバサミで切るのが1番早いことをわたしは知っている。何故なら成績一位だから。
中身が溢れないよう小袋を開けたら、小ぶりのどんぶりの中に注ぐ。
するとほのかに魚介の香りがする焦げ茶色と薄橙色のざりっとした感触の粉末が入り混じった液体が、どろどろと円状にどんぶりにひろがっていく。
その時、ちょうど鍋がことことと音を立て出した。
…!きたわね。
私はすかさずさきほど開封した袋を持ち、かけら一つ取り逃さぬよう、鍋の上でそのままひっくり返す。
すると何度か軽い衝撃を受けたからか少し欠けたノンフライ麺が、とぷりと音を立てて鍋の中に滑り込んだ。
ここからは時間の勝負だ。
あらかじめケトルで沸かしていたお湯をどんぶりの中に注ぎ、その芳しい香りに酔いしれそうになるのを我慢して菜箸を取り出す。
食器棚の中からプラスチック製のザルを取り出してシンクに置いた時、鍋の中が再沸騰する音がした。
ここですかさずキャベツともやしをいれ、あえて入れた状態のままほぐさずにいたノンフライ麺を菜箸で軽くほぐす。
ここまでの時間、約2分弱。
時は来た。
私はかちりと火を止め、少し重たい鍋を両手で持ち上げると、シンクに置いたザルめがけて傾けた。
ざー
その瞬間、熱い湯気が上に向かって湧き上がり、あちちと体を傾けて避ける。
そして空っぽになった鍋を置くと、ザルの端を持って麺に含んだ湯を切った。
ほどよく水気を切った麺とキャベツもやしを、スープ間の中につるりと入れる。そりゃあ別々に茹でて入れたほうが見栄えはいいだろうが、面倒くさがりにはこれで十分だ。
その上に小口切りした葱と海苔を乗せ、胡椒を3振り。
その瞬間、私シャルナ・リディルははじめてにっこり笑った。
「よし、今日の寝る前の飲み物完成!」
私はいそいそと食器棚から箸とレンゲを取り出すと、「いただきまーす!」と両手を合わせた。
「全く……ノアがフィリアを好きになったせいで寝る前の飲み物を自分でつくらなきゃならなくて困るわ」
少し固めの麺をすすりながら、私は今頃何をしているかわからない憎き従者の顔を思い浮かべた。慇懃無礼でやな奴だったが、いなくなったらいなくなったで不便である。
侯爵令嬢の私では頑張ってせいぜいインスタントだし、もちろんインスタントにもインスタントの魅力があるのだが、あの紅茶の味が恋しいと言ったらあの従者はどんな顔をするだろうか。
「……?なんの騒ぎかしら」
もやしのしゃきしゃき食感を堪能していると、ふと下の階の方から大きな物音と声がした。なんだろう。ガラスが割れるような音と共に、悲鳴と怒声が聞こえるような気がする。
「まあいいか。それにしてもどうしたものかしらね…」
スープをよく絡ませたキャベツを咀嚼しながら考える。
このあとスープに米もいれるべきかどうか……でももう深夜23時だし。流石に。流石にね。
「………仮にも侯爵令嬢ともあろうものが夜中にインスタント麺ですか」
温かいスープによってほろほろになった冷やご飯の味を堪能していると、妙に聞き馴染みのある低い声がした。
レンゲを口に含んだまま振り返ると、そこにはジトっとこちらを見つめる黒髪の青年の姿が。
「あらノア、ごめんなさい。もう今日ので食べ切っちゃって貴方の分ないわ」
「これが初めてじゃないんですか???何してるんですか???豚になりますよ???」
もうこのやりとりでわかっただろうがこれが私の従者のノアだ。
サラサラの黒髪に赤い瞳、甘いフェイスは微笑んだだけでご婦人方をメロメロにするが、その腹の中は真っ黒。
雇用主の娘である私に無礼をはたらきまくっておきながら、その外面でうちの母を騙し続けている詐欺師である。
「しょうがないじゃない。私寝る前に温かい飲み物を飲まないと眠れないのよ」
「………もしかして今、その脂質のかたまりのことを飲み物と言いましたか」
「貴方知らないの?ラーメンは飲み物よ。常識でしょ」
「そうですね。デブ界のね」
ノアはそう言いながら私のどんぶりを取り上げた。といっても中はもう空っぽだし私もお腹いっぱいだから特に未練はない。
それにしても長らくその姿を見ていなかったが、なんだか痩せた気がする。
さらに改めてよく見ると、ノアは珍しく執事服ではなく、シャツとスラックスに外套といったラフな格好をしていた。
今からプライベートで出かけるのだろうか?
疑問に思い首を傾げていると、ノアが静かな目で私を見下ろした。
「お嬢様。突然ですが悲しいお知らせです」
「なぁに?」
「この家は今日限りで取り潰しになります」
次の瞬間、まるでタイミングを見計らったかのように真下で爆発音がした。
義妹と母は非戦闘員だし、父と兄が無駄な抵抗でもしているのだろうか?
先ほど聞こえた気がした怒声と破裂音は騎士団が突撃してきた時のものだったのだと今更ながらに気づく。
使用人は避難できてるだろうかとぼんやりと考えながら、私は頬に手をやり首を傾げた。
「そう。それは困ったわね。ついに魅了が解けてお父様の反逆がバレたの?」
「はい。俺が政府に密告しました」
解けるのが随分早いと思ったら、この男がバラしていたらしい。まあ賢いこの子が犯罪一族に仕え続けるわけがないし、真っ先に裏切りそうだからなんら不思議なことではない。
むしろ裏切られたら困るから義妹に魅了をかけられたのだと思ったのだけど、どうやら違ったようだ。
「まあ大変。でもいつかはバレてたでしょうね。シェリアったら魅了を使いすぎていたもの。お父様が命じた相手以外にも私利私欲で使っていたみたいだし」
「冷静ですね」
「そうね。いつかこうなるだろうとは思っていたわ。そもそも無理があったのよ。侯爵令嬢……それも養子が王妃になろうだなんて」
父譲りの赤髪をくるくると指に巻きながら話していると、遠くからどかどかと複数の足音が近づいてくる音がする。
私は明らかに脆く弱そうな給湯室の扉をちらりと見た後、どうみてもとんずら寸前の従者の顔を見上げ、尋ねた。
「それで?私のティータイムを邪魔してまで一体何しにきたのよ」
「馬鹿なんですか。逃げるんですよ」
次の瞬間、私は臓器を撫でられるような感覚とともに、視界が変わった。
そういえばうちの従者は転移魔法の天才だったことをたった今思い出した。
「ちょっと、逃げるなら言ってよ。私手ぶらなんだけど」
「別にあんた持ってくものなんてないだろ」
「それもそうね。というかなんで船なの?」
「転移は座標に設定した場所にしか使えないんです。だから俺が知る限り1番王都から遠い場所へ転移してそこから船で移動するのが効率いいでしょ」
「ノア、貴方頭いいのね」
「元成績一位ですから?」
小一時間後。
私たちは隣国の港町に転移した後、別の大陸に行く船へ乗り込んだ。
ラーメン食べてたら家にガサ入れが来た挙句従者に連れ出され急に言葉もわからない外国に行くことになってこちらとしては目まぐるしいことこの上ないが、なんとノアはあちらの大陸の言葉も習得済みらしい。用意周到すぎる。
さて、今日をもっておそらく私はお尋ね者になったわけだが、なぜこの男はわざわざこんな厄介な女を連れ出して何を企んでいるのか。
まあどうでもいいか。
なんか生き残れたし。ラッキー。
「ねえノア、喉乾いた。なにか淹れて」
「夜中にあんな塩っぱいもの食べるからですよ」
ノアは飲み物をねだる私に呆れた顔をしたが、仕方なさげにため息をつくとマジックバックから魔法瓶を取り出しカップに紅茶を注いでくれる。
「ねえノア、こういうのってなんていうんだったかしら。高跳び?」
「走り?」
「誰が競技の話したのよ。うーん、夜逃げ?」
ノアからカップを受け取った私は、懐かしい香りに目を細めながらこてんと首を傾げる。どの言葉もいまいちしっくりこない。
するとブォーンという大きな音と共に、船が動き出した気配がした。
どうやら出航したらしい。
波の音に耳を傾けていると、ノアが聞こえるか聞こえないかというほどの小さな声で、ポツリと低く呟いた。
「駆け落ちでいいんじゃないですか」
久々に口につけたノアの紅茶は、相変わらず優しい味がした。
「………そうね、それがいいわね」
細身に見えて意外としっかりとしたその肩にもたれかかりながら、私はまどろみに身を任せ目を瞑る。
ああ、今日は久しぶりによく眠れそうだ。
───その後、アステリア王国騎士団は反逆者一族の娘であるシャルナ・リディルと、その従者であるノア・クレーデルを必死に捜索したが、
彼らの足取りは一向に掴めないまま、その存在を世間から忘れさせていった。