「お前を愛することはない」と初夜に言われたので「貴方如きの愛に価値があると思ってらっしゃるんですか?」と返したら国家転覆しました
「君を愛することはない。私には心に決めた可憐な女性がいる。君との結婚はただの政略結婚だ。それを忘れないでもらおうか」
と、私のヴェールを持ち上げて誓いの口づけをしてきたのは王国屈指の大貴族、メイフィス公爵閣下だ。年頃のご令嬢たちの憧れの花婿候補第一位。由緒正しい家柄は王家の他太刀打ちできないと言われている貴族の中のお貴族様。叔母様は国王陛下のご正室であらせられ、王太子殿下とは幼馴染。戦争でも大手柄を上げて、国の英雄殿と名高いお方。
黒い髪に紺の瞳のバランスも最高で、華やかな見かけではないけれど「雄々しい」という言葉がまさにこの方の為にあるのではないかと思うほどと、吟遊詩人が歌っているのを私も聞いたことがある。
まぁ、それは今はどうでもいいとして。
吐き捨てられた台詞は、大聖堂の結婚式で言うべきことだろうか。私は思わず頭の中に宇宙猫を思い浮かべつつ、ここで何か自分が言葉を発してお式を台無しにしてはいけないと、そういう分別は相手と違ってあったから大人しくしておいた。
大司教様は聞こえたに違いないだろう距離だけれど、とくに何も言わずに目を伏せている。まぁ、この結婚が貴族や名誉を重んじるご連中に未だに賛成を頂けていないことくらい私だって知っている。
それはまぁ、そうだろう。
成金令嬢と名高い私、ヴェロニカ・ドマ子爵令嬢と王国きっての大貴族との結婚など、国が敗戦でもしない限りあり得なかっただろうから。
*
さてこの国、ラザシ王国は先の大戦争で何をトチ狂ったか、隣国のアグドニグルに喧嘩を売った。軍事国家で魔法使いどころか賢者まで擁している国になぜ勝てると思ったのか本当に疑問なのだが、戦争をしかけて、そして予想通り負けた。領土を防衛するならまだしも、意味の分からない侵略戦争に残ったのは国民の不満と負債と、そしてやってきた大不況。失うものが多すぎて新たに何か生み出すにも間に合わない。
国王すら式典の予算を捻出できず、四か月前の生誕祭は見るも無残な有様だった。生誕祭に配られるはずのお菓子は各地から無理やり徴収したイモ類で何とか作った、砂糖なしの団子。飢えながら「生誕祭でなら何か食べられるだろうか」と希望を持ってやってきた貧しい人たちを失望させた。
暴動一歩手前という状況で、さて、そんなときにラザシ王国にやってまいりましたのは、隣国パニッシュ王国で七代で豪遊しても使いきれない富を築いたと言われるドマご一家。
私の父ガルシア・ドマは私の結婚相手を探すため、いくつかの国を候補にしていた。一番高い家名を売るのはどこの国があるかと勘定して、父が選んだのがこの敗戦国だった。
父は紙吹雪のように金をばらまき、一か月でラザシ王国の社交界に出入りできるように交友関係を広げた。もちろんこんなに早く物事が進んだのはパニッシュ王国の貴族の推薦状や、パニッシュ王国と縁のある貴族が父に借金をしていたからだが。
案の定、財政に苦しむ王族が早速父を頼って来た。彼らは「外国人の、それも身分を持たないたかだか商人。国でも立場を良くするために、自分たちにすり寄ってくるだろう」と考えた。
けれどもまぁ、それは全くの見当違いだったのだが。
*
「…………と、言いますと?」
さて、長ったらしいお式が終わり、色々面倒なことも一端は終了。今夜はこれから「初夜」という業務が私を待っていた。
「君とは所詮政略結婚だ。身の程を弁えるようにと忠告している」
ネグリジェ姿の私の前に、同じく寝間着姿のメイフィス公爵閣下。名前はなんだっけ……。
「閣下」
興味がなさ過ぎて、私としたことがまったく名前が思い出せないので、敬称で呼ぶと相手は正解だというように頷いた。これはあれか。私が「結婚したのだからお名前で呼びますね♡」と、元平民の外国人成金女が身分もわきまえず言ったら叱責されていたのか。弁えろと。
「お話がよくわからないのですが?」
「私には愛する女性がいる。君は金で国王陛下を脅し、卑怯にも我が家門を露店の布の上に並べられた小石のように扱った。そんな誇りも名誉もない君を私は妻とは認めない」
「お相手の女性というのは?」
「君に言う必要があるのか。知った途端、彼女にどんな災いをもたらすつもりだ?」
公爵閣下が吐き捨てる。まるで私がその女性に嫉妬して、家ごと没落させて性奴隷にでも落とすと思っていらっしゃるのだろうか?
「君がいくらこの国で金をばら撒こうと何もかも君の思い通りになると勘違いしないことだ。人の心というものは尊く、金で動かせるものではない」
「つまり、初夜を放棄なさるということでしょうか」
「……ドマとの契約だ。それは違えるつもりはない」
それはよかった、と私は笑みを向けた。
お互いに何を考えていようと、業務は業務である。ストレスがあろうと、セルフケアをしながら業務を行わなければならないのは社会人なら当然だろう。
てきぱきとネグリジェを脱ぐ私を、公爵閣下は醜いものを見るような目で見、そして逸らした。正視に耐えかねるというように。このナイスバディを前に、あまりに失礼ではないか??
「こうも気軽に体を開くとは。平民の娯楽は納屋で体を戯れさせることしかないというのは本当のようだな。私の心の恋人は詩や戯曲を好むというのに」
初夜に詩作なんかするわけがないだろう、と私は突っ込みたかった。私の趣味が勝手に決められていくが、まぁ、私の趣味を知らなくても業務は行える。仕事仲間、同僚にわざわざ趣味を開示する必要がない職場もあり、ここはそういう場所だろうと私は判断した。公爵閣下が言ってきたのだ。ビジネスライクと。
公爵夫人の定時を決めたいが、初日はオリエンテーションのようなものだ。明日から本格的に業務内容のすり合わせを行い、就業時間の確認をさせていただくとしよう。
私がベッドの上に仰向けになると、デカい図体の男が覆いかぶさって来た。とても嫌そうな顔を隠しようもない。そしてその目には「これだけ言ってもなぜこの女は傷つかないのか」と苛立つ色が浮かんでいた。それで私は思わず眉を顰める。
「もしや閣下は、先ほどからの言動で私を怒らせたり、傷つけたりしたかったのですか?」
業務確認、ではなくて?
「君が欲するものなど何一つくれてやる気はないと言っただけだ」
「……え、それはつまり……貴方如きの愛に価値があると思ってらっしゃる、ということでしょうか?」
愛さないと私に宣言することで、私がショックを受けると??
折角高いお金を払って名家の公爵様の花嫁♡になったのに、相手は書類上の結婚だと冷たくしてきて、私が自分の行いを恥じるとでも????
え……ドマ家がいくら払ってこの結婚をまとめたと思ってるんだこの方は……????
結婚式だけではなく、私の笑えるほど高額な持参金に、公爵家の血縁に王族の方がいるからとかよくわからない名目でドマ家からお礼の品と称して船いっぱいに積み込まれた宝石がドーンと気前よく王家の宝物庫にダイレクトアタックをかました。滞っていた支払いは完済され、お祝い金は町中にもバラまかれ、海外から届けられたお祝いの品は豊富過ぎて食糧問題すら解決した。
それらがすべて、たかだか貴方様如きのハートを手に入れるための成金娘のわがままか何かだと、思い描けたんですか???すごいな。副業で絵本作家でもやったらどうだろうか?
「自己肯定感が高すぎませんこと????」
もしやこの閣下。自分が結婚市場で最高馬だともてはやされて自惚れているのか??
「我が家が欲しかったのは貴族の家門と血なので、業務内容としては婚姻を結び公爵閣下の血を引く孫を得る事だと、父の考えですが?」
「私を選んだのは君だろう。他にも貴族は大勢いたはずだ。――君は王子を望むことだって出来た女だ」
平民女が本来王家に嫁ぐなど不可能だが、敗戦国はそうしたお決まりも度外視させてしまうほど困窮するのだ。どこぞの貴族の養女にするなりなんなり、道はいくらでもある。
確かに、父が持ってきた「候補者リスト」の中に王太子の名前もあったな、と私は思い出す。
けれど選んだのは父で、私の意思は一切含まれていない。
社長からの社命なのだから従うまでではないか?
「つまり君は、父親の言いなりというわけか」
「お金持ちの娘という役職についているので、ある程度の責任や残業は仕方のないことでしょう」
「……私の思い人はそのような考え方はしない。彼女の心は美しく、自分の意思で選ぶということをよくわかっている。義務や権利の前に、自分の心に従うことが大切だと考えている素晴らしいひとだ」
いや、義務は果たした方がいいのでは。
私は突っ込みたかったが、成人した人間の価値観というのは中々修正は難しい。
「一つ訂正を」
「なんだ。言い訳か」
「父がメイフィス公爵家を選んだのは、王室が貴方と私の間に生まれた子を間違いなく公爵家の跡取りにすると確約してくださったからですよ」
「……馬鹿な」
事実ですが??
情報の行き違いがあるようだ。
契約というのは時々そういうこともあるだろう。私はぐいっと、閣下を押しのけて枕の下をごそごそと漁った。このままでは寒いのでシーツを体に巻く。
「そんなこと、陛下が……王太子が許すはずがない……!」
「事実です。はい、こちらです。えぇっと、確か、はい。もちろん条件もいくつかありますよ。王室からは「王太子ではなくメイフィス公爵」と指名されていまして、王太子殿下とそのご婚約者であるレディ・ソフィア様の結婚式の費用を全額負担と、向こう十年、お二人の歳費をドマ家で負担することで、私とあなたの間に生まれた子供、性別はどちらでも可、王家が公爵家の後継者として支持してくださるそうです」
父は王室という魔窟より、公爵家の方が制御できるだろうと考えたようで、王室からのその持ち掛けに笑顔で返事をした。
レディ・ソフィアというのは王太子殿下の幼馴染の女性だそうだ。乳母の娘さんで、身分はそれほど高くないが、明るくとても美しいお嬢さんだと聞いている。敗戦国の王室に嫁ぐことになっても「貴方の愛は宝石より価値がある」と、プロポーズを躊躇する王太子殿下に言って勇気づけてくれたらしい。
確かメイフィス公爵とも幼馴染のはずだ。
「……」
閣下も自分の結婚というプロジェクトにより、二人の結婚式が盛大に祝われることになれば本望だろう。
ぐらり、と閣下の体が大きくふらついた。ベッドの上で体を起こしているのもお辛そうだ。やはり結婚式というのはどんなに屈強な男性にも疲労をもたらすのだろう。
初夜は業務上行わなければならないのだが、疲れている相手に無理強いをしてはいけない。
私はぽんぽん、とベッドの上で両足をそろえ、その膝を叩いて閣下に示す。
お式の最中の閣下であれば絶対に膝枕になど応じなかっただろうが、なにか盛大なショックを受けたような顔をしている閣下は、ふらふらと光に集まる羽虫のように私の膝の上に頭を乗せた。
「……俺は………売られたのか」
「ご自分で仰っていたじゃないですか。ドマ家は閣下を買ったのですよ」
「俺ではなく家門をだろう。俺の心など、ゴミクズ同然か」
「ゴミクズは燃やして温まるという価値がありますが」
「……………」
泣いた!!!!!!!!!!!!!!!
男が!!!!!!!!!!!!
負けたけど、敵国にダメージを与えた戦争の英雄が!!!!!!!!!!!ボロボロ泣き出した!!!!!!!!!!
「事実とはお辛いものですよね」
お気の毒にと慰めると、私の慰めが心に染みたのだろう、閣下がさらに号泣してしまう。
「俺は……二人に、裏切られたのか……ッ」
二人。
あぁ、幼馴染二人か……つまり、思い人、心の恋人………ソフィア様か。
「裏切るも何も……最初から何も芽生えていなかった可能性もありますし……」
よくある勘違いかもしれない、それほど気を落とさないでほしいというと、閣下がくるりと顔を横にして背中で泣き始める。
まぁ、友人同士の結婚というのは複雑な気持ちになるだろう。
よしよしと、私は一応仕事仲間、書類上は「夫」という扱いになる男性なので優しく頭を撫でた。
*
さて、翌朝、私がしっかり業務を終えて朝の入浴タイムを楽しんでいる間に事件は起きた。
後に言う、メフィストの変。
メイフィス公爵がメフィストと名を改め、王位簒奪を果たしたたった数時間の戦いである。
王宮は血に染まり、逃げ惑う人々は容赦なく、血の涙を流したメイフィス公爵に殺された。勝者が歴史を作るので、メフィスト王は忠義の心をもって、無謀な戦いを仕掛けて国を滅亡寸前まで追いやった王室に罪を償わせたのだと、その正当性を示している。
そしてその妻であり、後の王妃となった私、ヴェロニカ・ドマについては「金にしか喜びを見出せない悪女だったが、メフィスト王により真実の愛を知り、王を献身的に支えた」と、そんな風に記録される。
「……君は、俺を裏切らないでくれ」
玉座に私を座らせて、その膝に縋る閣下、じゃなかった王位簒奪を果たした王様の頭をぽんぽん、と撫でながら、お父様がここまで予想して動かしていたら怖いなと私はそんなことを考えた。
ドマ家というのが私の作品でよく出てくる悪の一族でして「ドマ家なら一度はやりたい国家転覆!」というスローガンがあります。