8あなたを利用させてもらう
いつの間にかうとうとしていたらしい。
「若奥様、ペルサキス診療所の先生がお見えになったんですが…」
ラウラがお客様だと扉の外から声をかけた。
ミモザははっと飛び起きる。
「いっ!」
足首に痛みが走って声を上げた。
ラウラが驚いたらしく急いで中に入って来た。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ラウラ。でも、どうしてあの方が?」
「眼鏡を届けに来たと言われてますが、せっかくです。見てもらった方がいいです」
「でも、義理母様が何て言うか…」
「大奥様はお出かけです」
「そうなの…」
ミモザはすっかり義理母の顔色を伺っている自分に吐き気がした。
こんな事ではいけないと思っているが、何しろ逆らっても義理母は絶対に自分の思い通りにしてしまうから、使用人もそれはよくわかっている。
ミモザはだんだん腹が立ってくる。
(どうして私がこんな目に合わなきゃいけないのよ。結婚してからずっとずっと。ほんと!頭にくる!)
その横でラウラが髪を整えてくれる。
しばらくして執事に案内されてセルカークがやって来た。
どうやら執事のカールが気を利かせたらしい。
扉がノックされカールが声をかけた。
「若奥様、昨日のお医者様がお越しになりました」
(えっ?まじ。仕方ない)
まだそんな心境ではないがこうなったら破れかぶれと言うものだ。
「ええ、入って頂いて」
「失礼する」
ミモザはベッドで食事の時のように座っていた。
セルカークに会いたくもなかったがそこは貴族の性。忘れもののお礼も言わなければならないと気を取り直す。
(でも、あなたを見るとむかついて反吐が出そうなの)なんて気持ちを誰にも気づかれてはいけない。
そう思ったせいで顔は少し俯きかげんになった。
「先生。昨日はありがとうございました」
ミモザは必死で普段通りの挨拶を心掛けた。
「とんでもありません。私は医者ですから…あの、これを届けに来ました」
セルカークは少し緊張した面持ちで眼鏡をそっとサイドテーブルに置いた。
彼の動作に合わせるように視線がそれを追う。
はっと顔を上げると目の前にセルカークの顔が真正面にあった。
「ありがとうございます」
平然を装い礼を言う。
たったそれだけなのにあの頃のひどい仕打ちを思い出し思わず舌打ちしそうになる。
今世の出来事も相当頭に来ているが前世もひどかったと。
「ついでに脚を見せて頂いてもいいですか?」
(はぁ?私の脚に触れないでよ)と言いたくなるが。
「…はっ?…あっ、ええ、そうですね」
あなたになんか触れてほしくもないと思うがぐっと我慢。
後ろにはもちろんラウラが控えている。
セルカークはミモザの掛布団を少しめくると足首の包帯をするするといて行く。
「ああ…腫れましたね。すこし冷やした方がいい。いいですか。すこし動かしますよ」
セルカークが足首をゆっくり動かす。
「あっ、いっ!…すみません」
(痛いじゃない!いい加減にしてほしいんだけど…)と心の声。
「これは少し完治まで時間がかかるかもしれませんね」
セルカークが眉を寄せて難しい顔をする。
「先生。あの…若奥様は療養した方がいいということで?」
ラウラが口をはさんだ。
「ええ、それが一番いいですが…うちのような診療所では…」
セルカークがそう言った時ミモザは閃いた。
実はセルカークの父は数年前に亡くなったが一番上の兄のバイスが国防院の最高司令官になっていた。それに二番目の兄のリックは法務院の執務官だったはず。
ミモザは宰相執務室にいるので政務の人事には詳しかった。そして法律についてもある程度の知識があった。
ここから出ることが出来れば義理父から暴行を受けていると被害届を出すことも出来るかも知れない。
そしてそれを強要した義理母や夫にも責任があるはずと言うことは離縁できる。
その瞬間ミモザの心に一筋の光が差し込んだ。
こうなったら前世の夫だったセルカークに少しは恩返ししてもらってもいいはず。
ミモザは迫真の演技で脚が痛いと…
「痛い!先生。脚が…脚がすごく痛いんです。もしかしたら骨が折れてるのではないでしょうか?もしそうならこんな所では無理ですよね?どうか診療所で治療を受けさせてください」
「若奥様、だ、大丈夫ですか?すぐに大奥様に、いえ若旦那様に知らせて…」
「ラウラそんなことはしないでお願い。こんなに脚が痛くなるなんて思っていなかったのよ。でも、私が診療所に行くとなれば義理母様も夫もきっと反対するわ。わかってると思うけど私ここではちっとも気が休まらないの。数日でいいからひとりでゆっくり休みたいの。わかってくれる?あなたには絶対迷惑はかけないから…お願い」
「ええ、若奥様のお気持ちよくわかります。では、緊急事態と言うことで」
ラウラもいつもミモザが義理母に怒鳴られたり命令されたりこき使われている事を知っているので同情してくれたらしい。
「それでラウラ。義理母様は屋敷にいないのよね」
「はい、大奥様はお茶会があるとかで出掛けておられます。夕方まではお戻りにならないはずです」
「義理父様も?ライオス様も?」
「はい、お仕事に行かれました」
「そう、じゃあ、義理母様には帰ってこた時に知らせればいいって事ね。出掛ける前に執事にそう言っておきましょう。あなたは心配しないで」
すべてうまくいきそうと判断で来たところでミモザはぎゅっと唇を噛みしめセルカークの見つめ直す。
「ええ、先生にこんなことをお願いするなんて…すごく申し訳ないと思うんです。でも、お恥ずかしい話、私はここでは奴隷のような扱いを受けてるんです。先ほどの話聞かれましたでしょ?今日もこれから義理母の言いつけで書類の整理をするようにって…私、もうとても耐えれないんです。ほんの少しゆっくりしたいんです。せめて脚の痛みが治まるまで…」
ミモザは瞳をうるうるさせながらセルカークのシャツの袖口をぎゅっと掴む。
(あなたは女の子に泣きつかれたらいやとは言えない性格だったものね。甘えて擦り寄って来る女は大好物だったでしょ!)
セルカークの眉が上がる。困った顔つきだが金色の美しい目は優しく眦が下がる。
(もう一押し!)
「おねがいします。せ・ん・せ・い!」
ミモザは自分で言っておいて吐き気を催しそうだったがここから出る手段を選んではいられない。
セルカークは腕組みをしてしばらく考え込んだ。
散々迷ったらしいが決断したらしい。
「ええ、もちろん患者を見捨てるようなことはしません。安心して下さいミモザ夫人。私もみすみす痛みに苦しんでいるあなたをこのまま放っておくことは出来ません。わかりました。今から治療院に連れて行って手当てをしましょう。必要とあればしばらく療養も考慮しましょう」
(やった~)ミモザは内心ガッツポーズ。
「先生ありがとうございます」
ミモザは両手を口元の前できゅっと組んでセルカークを上目遣いに見て微笑んだ。
(これぞ必殺胸キュン攻撃!)
「な、なに言ってるんですか。けが人は何も心配せずに治すことだけ考えて下さい。さあ、診療所に行きますから支度して下さい。私は外で待ってますので」
セルカークが年甲斐もなく照れながら部屋の外に出て行った。セルカークはすでに40歳になっていた。
「はい、ありがとうございます先生。ラウラ着替えを出してくれる。仕事用のドレスに着替えるわ。まさか診療所に行くのに寝間着と言うわけにはいかないでしょうから…あっ、それから着替えも少しお願い」
「ええ、そうですね。すぐに…」
ミモザは屋敷に戻る気はなかった。
こんなことをしなくてもこのまま修道院に駆け込む手もあった。
修道女になればこの時世とは隔絶することになる。もちろん結婚は無効となり離縁できる。
女がひどい結婚から逃れるただ一つの方法は修道女になることだということは子供でも知っている。
でも、私はそんな逃げ出すようなことはしたくない。だって、私は被害者なんだから!