40セルカーク。シルヴィの墓参りに行く
セルカークは教会の診療所から帰るとすぐに診療を開始した。
打ち身はまだ少し痛むものの頼りにしてくれている患者がいると思うと気持ちも新たに張り切れた。
帰った日の午後から診療所を開けるからとテルヒの所に連絡をいれて彼女に手伝いに来てもらう。
いつもの日常が戻った来た。はずだった。
だが、何かがおかしい。
俺はいつこんなに薬棚を片付けたんだ?
診療所だっていつもはもっと散らかっていた。
それに何より驚いたのは家の庭だった。
荒れ放題で草もかなり伸びていた。なのに、庭はきちんと整備され薬草や薬になる花々が植えられている。
誰が?テルヒが?
セルカークはテルヒが来ると一番に庭の事を尋ねた。
「家の庭。驚いたがあれはテルヒさんがきれいにしてくれたのか?」
テルヒは大きくため息をつく。
「あぁぁぁ…まあ、先生は忘れているから仕方ないですけど…ここにはミモザさんがいたんです。困っている彼女を助けてここに住まわせてたんですよ。それで彼女が庭をきれいにしてくれたんです。覚えてないでしょうが…」
「ああ、全く記憶にない。ミモザさんって誰だ?」
「キャメリオット公爵家令息の妻だった人です。彼女は義理父に乱暴されて先生がここで預かったじゃないですか。おまけに夫との離縁にまで協力したんですよ」
セルカークの眉は上がりまくる。
「俺が?そんなことするか。女をここに住まわせるなんて事などするはずがない!」
「ええ、確かに。先生がって思いましたよ。でも、本当です。見てごらんなさい。キッチンだってどこかしこ掃除出来てます。先生がするはずないです」
「ないよな…でも、信じられん」
「信じられないのは先生がミモザさんを好きになった事です。これは奇跡。でした。どうして忘れたりしたんです?先生。思い出してくださいよ、この素晴らしい1か月の事をぉぉぉ!」
テルヒは叫ぶようにセルカークに頼んだ。
セルカークはそう言われても覚えていないものはとしきりに髪を掻きむしるばかりでそうこうするうちに患者が来て話はそこで終わった。
そして数日がむなしく過ぎて行った。
テルヒは毎日思い出せとはっぱをかけるが、セルカークの脳みそはそんな記憶をカチカチに封じ込めているらしく「やっぱり信じられない。俺が…そんな事あるはずがない」で終わった。
***
あれから1カ月くらいが過ぎていた。
セルカークの記憶は戻らないまま…
今日はシルヴィの命日だった。
セルカークは朝早くに墓参りをしてこようと教会に向かった。
毎年こうやって墓参りをしている。
今年でもう21年か…そんな事を思いながらセルカークはシルヴィの墓にコスモスの花を供える。
手を合わせ冥福を祈る。
「セルカーク。また来てるのか。お前なんかに来てもらってもシルヴィは喜ばない。帰れ!」
いきなり声をかけたのはアルクだった。
アルクもシルヴィの墓参りに訪れたのだ。
「お怒りはごもっともです。では、私はこれで失礼します」
セルカークはアルクに一礼すると立ち上がった。
すれ違いざまにアルクに腕を掴まれた。
ふっと体に力が入る。殴られるのか?それとも罵倒されるのか?
「もういいんだ」
アルクがふっと言った。
「はっ?」
「お前はもう自由になってもいいと言ったんだ。シルヴィはもうとっくにお前の事を許していると思う。だからお前はもう自分の人生を歩め。ここにはもう来なくていい」
「それは無理です。俺は許されない事をしたんです。アルクさんを本当に苦しませたんです。ご両親もどれほど悲しまれた事か…それをもういいなんてすまされる事ではないんです」
「ああ、だが…セルカーク。お前だって幸せになっていいと思う。それだけお前は苦しんだ。それをわかったから…許せることじゃない。でも、もう前に進んでもいいと思う。まあ、シルヴィの墓参りはしてもいいが、お前も自分の幸せを掴んでもいいころだ。そう思わないか?」
アルクはあの時セルカークとミモザが想いあっていると気づいた。
最初は戸惑った。でも、セルカークがあれから真面目に一生懸命罪を償おうとしている事はもうとっくにわかっていた。
今まできっかけがなかったと言うか、言いにくかったと言うか。
とにかくセルカークにも幸せになってほしいと思えるようになっていた。
ここで出会ったのもきっとシルヴィが背中を押してくれたのかもしれないと思ったくらいだ。
「アルクさんにそんな事を言われるなんて…でも、俺にはこれが一番の幸せで…」
「はっ?お前なにを言ってるんだ?ミモザさんをこのままにしていいのか?彼女はキャメリオット公爵家に行ったままなんだぞ。早くしないとあの公爵夫人の事だ。またライオスと再婚でもさせる気かも知れないぞ」
アルクはキャメリオット公爵家の内定をしている所だった。
屋敷は常に国防院の諜報部員が張り付いて見張っている。
ミモザが屋敷に連れて行かれるところも入ってから出ていないこともすべてわかっていた。
「それなんですが…テルヒさんもミモザさんの事を思い出せって言うんですけど…俺、覚えてないんです」
「はっ?どういう事だ?」
セルカークは怪我で記憶を失って事を話した。
「お、お前!」
アルクは素っ頓狂な声を出してセルカークの背中をはたいた。
そのせいでセルカークは身体のバランスを崩してシルヴィの墓に頭をぶつけた。
「バコン!痛っ!」
セルカークは痛い痛いと頭をさする。
「なんでそのくらいで転ぶか?普通…ったく。おい、大丈夫か?」
アルクはセルカークのぶつけたところを心配そうにのぞき込んだ。
「もう、ひどいじゃないですか…」
セルカークはその途端、脳内に忘れていた記憶が押し寄せて来た。怒涛のように。
階段でミモザに出会った。
ミモザを診療所に連れて帰って…あっ、ミモザに告白した。
彼女は考えてくれるって言った。
そして教会で働く事になって…
俺がけがをして彼女が看病してくれた。
でも俺は記憶を失くしていた。
セルカークの顔色が青くなる。
「あわわわわっ!げっ!うわっ、み、ミモザは?ああ、彼女、教会で働いてましたよね。すぐ行ってみます」
「ちょ、ミモザだって?セルカークお前。思い出したのか?ミモザさんの事思い出したのか?」
アルクは豆鉄砲を食らったような顔でセルカークの胸ぐらを掴んでぐらぐら揺すった。
「ええ、たった今。ああ、それ止めてもらえませんか。頭が痛くって…」
「ああ、すまん。だが、ミモザさんは教会にはいないぞ」
「あっ!彼女はどこなんです?」
セルカークは立ち上がると今度は彼がアルクの胸ぐらを掴んで叫んだ。
そこでミモザが最後に言った事を思い出す。
「あっ!」
彼女はシルヴィの生まれ変わりだと。
額にものすご~く嫌なあぶら汗みたいなものが伝う。
魂ふたつ分の恨みの塊が肩にズンとのしかかる。
(俺は…どうすればいい?ミモザは俺を許してはくれるはずがない…)
舞い上がった気持ちは悪魔の爪でぐしゃりと引き裂かれたみたいでしゅるしゅると体中の力が抜けて行く。
(もう立ち直れない…俺は‥)
そんな事はお構いなしにアルクがセルカークの腕を掴んだ。
「いいからセルカーク俺に任せろ!ミモザさんには会わせてやるから心配するな!いいな」
「いや、俺は…」
アルクの頬がひくひく震える。
「いいから任せろ!」
セルカークはアルクに引きずられるように連れて行かれる。




