31ミモザ思い出す
ミモザは息を切らしながら診療所に帰って来た。
急いで荷物をまとめる。
もう、ここにはいられない。
セルカークが好きになってしまった。でも、こんな気持ちでは絶対にうまく行くはずがない。
シルヴィはあんな風に扱われて死んでいった。なのに同じ男と幸せになんかなれるわけがない。
ミモザが急いで出て行こうとしたその時。
セルカークがはぁはぁ言いながら帰って来た。
「待ってくれ!出て行く気なのか?どうしてミモザさん?俺の事好きだって言ったじゃないか!」
「許して下さい。無理なんです。私があなたといるのはどうしても無理なんです」
「どうして?俺が不能だって言ったからか?ポンコツだってわかってるから?確かにそうだった。でも、君に出会ってからどういうわけか…その、こっ、興奮して来るって言うか…コホン。多分大丈夫だと思えるんだ」
セルカークは少し赤くなっている。
「はぁ?先生。まさか」薬を使って?」
「ばか!そんなことするはずない。確かに怪我を負った後は使い物にならなかったんだが…今まで女をそんな風に見てはいけないと思っていたかもしれない。とにかく家の中に入ってくれないか。俺も話があるんだ。君には知っておいてもらいたいことが…この話を聞いて嫌だと思ったら俺の家から出て行けばいい。もう止めたりしないから…頼む」
その顔は真剣でミモザも聞きたいと思った。
「わかりました」
セルカークとダイニングの椅子に向かい合わせに座った。
彼は言いにくそうにぽつりぽつりと話を始めた。
「俺の若いころは荒れていた。兄は優秀で俺はいつも疎外感を持っていた。学院に通っていた頃はそれはもう酷くて女とみれば誰でも手あたり次第のように逢瀬を重ねた。そんな中でシルヴィと言う子爵家の令嬢とも知り合った。俺はいつものようにその子を抱いた。でも、シルヴィは俺の事を本気ですきだったんだ。何度か関係を持って彼女は妊娠した。シルヴィは俺に好きだって告白してくれた。俺は父からも責任を取れと言われて結婚した。でも俺はまだ結婚なんかしたくはなかった。お腹が大きくなって行くシルヴィを見ていると何だか縛られたみたいに思えて嫌だった。だから家にも寄り付かなかった。実はこの屋敷はその時父から貰ったものなんだ」
ミモザはうなずく。(ええ、あなたは酷かった。私を放っていつの遊び回っていたわよね。私の気持ちなんか知るもんかって感じで…)
「でも、俺もそのうち赤ん坊が生まれたらしっかりしなきゃと思うようになっていた。シルヴィの事だってまんざら嫌いじゃなくなって行った。だっていつ帰るかもわからない俺の食事も洗濯もすべてきちんとしてくれてた。俺が優しい言葉の一つもかけなきゃならないのに、彼女は大きなおなかで大変な思いをしてるって言うのに…俺、何やってんだろうって思うようになっていたんだ。それなのにあの日…俺は取り返しのつかないことをしたんだ」
セルカークの顔がひどく強張り眉間の間には深いしわが寄る。握りしめられた拳は骨が白くなって爪が皮膚に食い込んでいるみたいに見えた。
セルカークは大きく息をつき首を大きく横に振ってため息をひとつした。
(そんな顔をしたって無駄よ。あなたのしたことは許される事じゃないんだから、あなたは最低の男だったもの)
ミモザは内心セルカークを非難していた。
「それで…」(シルヴィに何をしたのか言ってごらんなさいよ。ほら、どうしたのか言いなさいよ)と言ってやりたかったが唇を噛みしめてこらえた。
「あの日もつい飲み過ぎて俺は夜遅くなった。シルヴィ帰ったぞって…そしたらシルヴィが倒れていた。俺はシルヴィの顔に近づいて息をしているか確かめた。まだ、生きていたと俺は震える脚で彼女を抱いて診療所に走った。診療師は破水して意識を失ったらしいと言った。俺は助かるんだろう?って何度も聞いてシルヴィの手を握ってそばについてずっと一晩中をかけ続けた。俺が悪かった。もう二度とお前を泣かすようなことはしないからって、お前も赤ん坊もちゃんと面倒見るからって、手伝いもして仕事もきちんとして、それで酒も飲まない、女とも遊んだりしないから、真面目になるからって…だからシルヴィ死ぬなって何度も何度も言ったんだ。でも…俺が悪かった。全部俺が悪かったんだ」
セルカークは大きくため息をつく。
ミモザは彼の話に耳を疑った。
(そんな事聞いてない。でも、そうだったかもしれない。今だったらそうかもしれないって思えるから)
「シルヴィは死んでしまったんだ」
(ええ、そうよ。私は死んだわね。あなたのせいよね。ううん、そうじゃないかも、ミモザはやっと気づいた。
もし私がもっと早くこんな事はやめてとか別れるとかはっきり行動すればよかったんじゃ?
セルカークと別れるという選択もあったはず。
それをしなかったのはひょっとしたらって期待してたのよね。
セルカークが赤ん坊が生まれたら私の方に振り向くかもって…
そう言えば避妊してるかって彼は何度か聞いていた。
私は大丈夫って言って妊娠でもすれば彼が振り向いてくれるかもって思っていた。
ああ…そうだった。セルカークだけが悪いわけじゃなかったんだ。
それなのに私…)
ミモザは絶句した。
セルカークは酷い話をしているからだと気にもしなかった。
「こんな話ですまん。でも、俺はシルヴィが死んでそれからしばらくひどく荒れた。喧嘩ばっかりして、あの日もそうだった。酒に酔って絡まれて相手がナイフを持っていて切り付けられた。腹から下半身にかけて傷を負ってもう少しで死ぬところだったと後で聞いた。死ねばよかったって思った。でも、俺は死ななかった。だったら何か出来ることをしろって父に言われた。それで、何かしなきゃって思った。それがこの仕事だった。贖罪って言うのか?そんなきれいな物じゃないけど、自分に出来ることをしなきゃあの世に行ってもシルヴィに合わせる顔がないって思ったんだ。どうだ?呆れただろう。俺は酷い男なんだ。でも、なぜかミモザさん。君と出会って俺の中で何かが動き始めた。ずっと止まっていた時間が…どうしてなんだろう?おれにもうまく説明できない。でも、君と一緒に生きて行きてみたいって思うようになっていた。こんな俺が…そんな幸せになってもいいのかって思うけど…でも、今言わなかったら絶対後悔するってここが言うんだ!」
セルカークが心臓を拳で強く叩いた。
ミモザはそんなセルカークをじっと見つめる。




