表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Valkyrie Panzer-守りたい笑顔- 外伝『散らぬ桜の誓い』

著:雪代 真希奈

戦時中情報提供:著者の祖父(執筆時点においては故人)、著者の祖母(執筆時点においては存命)


読んでくださる皆様へ

この物語は、著者の作品である『Valkyrie Panzer-守りたい笑顔-』及び『Valkyrie Aile-繋ぎたい手と手-』をご覧になることで、より理解が深まるものとなっております。ぜひ合わせてご覧いただければ幸いでございます。

この物語は、筆者の祖父及び祖母の戦争体験を参考に制作したものとなっておりますが、お話の都合上、すべてを伝え聞いた話にするわけではなく、多少脚色を行っていることをご理解の上、ご覧下さい。また、当時の思想や言葉などには細心の注意を払って制作しているつもりではございますが、ある程度の部分に関してはお許しいただけるよう、あらかじめお願いを申し上げます。

この物語は、筆者のpixiv様のアカウントにも投稿されております。

「---二人共、大丈夫?疲れてない?」

 傍らに立ち、3歳になった愛する俺たちの娘…鶴城かくじょう 真梨亜まりあと、真梨亜と手を繋ぐ最愛の人…クリスティナ・EアインスLローレライ・鶴城に、俺…鶴城 まことは優しく声をかける。

 ここは、俺たちの住む社島やしろじまから遠く離れた場所…日本本土、東北地方にある地方都市。俺たちは、社島から本土までフェリーで半日、それから新幹線とバスを乗り継いでやってきている。…出産から3年という時間が経っているとはいえ、まだまだクリス一人に余計な負担をかけさせてしまうわけにはいかない。それを察してか、クリスが柔らかな微笑みを浮かべて言った。

「わたしは大丈夫です、誠さん。それより、誠さんの方こそ、わたしとこの子の荷物も持っていただいてますから…。」

 少し心配そうな顔をするクリスに、俺は微笑みを返すように言った。

「大丈夫だよ、クリス。むしろ、このくらいお安いご用だよ。力仕事は俺に任せて。」

 そう言うと、クリスはにこりとして、

「…ありがとうございます、誠さん。」 

 そう言って、屈託のない笑顔を俺に向けてきた。それを真似してか、真梨亜も俺ににっこりと笑いかけながら、

「パパ、ありがと!」

 …そんな、嬉しい言葉を投げかけてくる。

 …俺は、幸せ者だ。

 クリスと出逢い、友達になり、恋人として結ばれ…そして、家族として、ヴァルキリーとオーディンとして、かけがえのないパートナーとなることができて、そしてこの子が生まれてきてくれた。これほどまでに嬉しいことは、俺のどの過去を覗いたとしても、おそらくないであろうと断言できると思う。

「…しかし、1時間に一本しかバスがないっていうのは、やっぱり不便だよなぁ…。」

 スマホの時計と、今俺たちがいるバスターミナルの電光掲示板を見て、もうすぐバスが到着することを確認し、俺はそんなことを言ってみる。

 今から俺たちが向かうのは、ここからさらに山間にある町、湖原町水渡地区こはらちょうみなわたりちく…俺のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが住んでいる町だ。…小さい頃には何度も遊びに行ったから道は知っている。とはいえ、今回は真梨亜もいるわけだし、やはり無理をしないで父さんに車を出してもらうか、あるいはお金がかかったとしてもタクシーを使った方がよかったかな…そう思っていると。


『お待たせいたしました。間もなく到着いたしますのは、八水戸やすいど経由、湖原水渡行きです。』


 アナウンスが鳴り響き、それに合わせて、ゆっくりとバスが入ってくる。

「…来たね。行こうか、クリス、真梨亜。」

「はい。」

「うん!」

 クリスと真梨亜の声を聞いて、俺は二人の荷物をしっかりと持ち直し、バスの方へと足を向けた---


※※※


 バスに乗ってから、およそ一時間。

「わぁ…!!」

 バスを降り、停留所に隣接した山に自生している木々の間から溢れる陽の光を見て、真梨亜が大きな声を上げた。

「パパ、ママ!見てみて!葉っぱのトンネル!葉っぱがきらきらしてるの!!木もいろんな木があるよ!」

 大自然の中の木漏れ日。社島でも、木漏れ日自体は、真梨亜の行動範囲の中で言えば、ヴァルホルの周り、桜の木々の間から見られる。しかし、真梨亜にとっては、様々な木が乱立する雑木林と、その間から不規則に漏れる光というのは、やはり珍しく感じるもののようだ。実際、人工島である社島の山では、これほど多様な木が鬱蒼としている姿は見られないだろう。

「誠さん、お祖父さんとお祖母さんのおうちって、ここからどのくらいなんですか?」

 クリスが聞いてくる。

「ここからあの田んぼ道を歩いて、だいたい10分くらいだよ。真梨亜、もう少しで曾お祖父ちゃんと曾お祖母ちゃんのおうちだからね。頑張れそうかな?」

「うん、頑張る!」

 俺の問いに、元気に答える真梨亜。

 …びっくりするのが、真梨亜は本当にアクティブなんだよな。俺の小さい頃でも、さすがにここまで元気じゃなかったと思う。物珍しいものを見てハイになっているのかもしれないが、この元気さには毎回本当に驚かされる…と、その時。


「おーーーーーい、そこにいるの、マコかーーーーー!?」


 昔乗ったことのある農業用の乗り物ーーー確か、テーラーと言ったはずだ---を走らせてこちらに近づきながら、運転席に座る一人のお年寄りの男性が俺たちに向かって手を振っている。 

「あ---お祖父ちゃん!!おーーーい!!」

 俺は、大きな声を出して、手を振り返していた。

 

 鶴城かくじょう いさむ…俺のお祖父ちゃん。

 テーラーを俺たちのいるところに横付けした後、お祖父ちゃんが俺たちを見てにこりと笑って言った。

「久しぶりだなぁ、マコ。元気にしていたかい?」

「うん、お祖父ちゃんも元気そうでよかった。でも、どうしてここに?」

 俺が聞くと、お祖父ちゃんは当然、というような顔をして言った。

「何を言っとる?かわいい孫が、嫁さんと曾孫を連れて、こんな山の中にわざわざ遊びに来るというんだ。迎えに来んでどうする?」

 …どうやら、俺たちが来るのがよほど嬉しかったようだ。もう90歳を超えているお祖父ちゃんだが、テーラーの荷台についている草刈り機を見るに、本当に衰えは見られない。…おっと、そうだそうだ。クリスと真梨亜のこともちゃんと紹介しなきゃ。

「お祖父ちゃん、改めて紹介するね。彼女がクリス、俺の奥さん。それで、こっちが真梨亜だよ。…まあ、クリスの方は、結婚する前に父さんがビデオ通話を繋げてくれたから覚えてると思うんだけど。」

「あ…実際にお会いするのははじめてなので…改めまして、クリスティナ・E・ローレライです。…さあ、真梨亜ちゃん。曾お祖父さんにご挨拶、ですよ。」

 クリスに促された真梨亜が、とことこと前に出て、大きな声で言った。

「鶴城 真梨亜です!!ひいおじいちゃん、お迎えありがと!!」

 真梨亜の声に、お祖父ちゃんは太陽のように笑い、真梨亜を抱き上げて言った。

「おお、よく来たなぁ!…いや、しかしまあ、マコがこんな別嬪さんを嫁にもらうとはなぁ!曾孫も生まれて、鶴城の血筋も安泰ってものだ!!はっはっはっは!!」

 それを聞いて、ぽふっ、と赤くなるクリス。

 …まあ、お祖父ちゃんの言いたいことはわかる。

 ここに来るまでの間だけでなく、出逢ってから今までの間にどれだけクリスに様々な心持ちの視線が注がれてきたかを俺は知っている。古今東西、未来永劫並ぶ者すら現れないほどのヴァルキリーとしての強大な力や、海よりも深い優しさを持つ性格、誰もが振り返るそのルックス…それらに対する視線は、ある時は羨望であり、またある時は嫉妬でもあった。しかし、今は嫉妬の目線はほとんどない。クリスのことを理解した人たちが増えたことで、それらの視線は純粋なクリスへの憧れの視線へと変わっていっている。…そんな、誰もが憧れる存在が、俺の彼女になってくれて、今では奥さんなのだ。お祖父ちゃんだって、そりゃ持ち上げたくもなるだろう。

「さてさて、立ち話も疲れただろう。早く乗りなさい。婆さんも待っとるぞ。」

 そう言って、お祖父ちゃんはテーラーの荷台を指差した。よく見ると、俺たちの服が汚れないようにだろう、草刈り機の横のスペースに、綺麗な真新しいブルーシートが敷かれている。

 …これは、お言葉に甘えた方がよさそうかな。そう思った俺は、

「うん。ありがとう、お祖父ちゃん。」

 そう言って、荷物を荷台に乗せる。

「パパ、真梨亜、ひいおじいちゃんのとなりに乗りたい!」

 真梨亜のその言葉に、お祖父ちゃんはまた大きく笑い、真梨亜を抱き上げて言った。

「そうかそうか、爺ちゃんの隣がいいか!よーし、わかった!だいぶ揺れるからな、この横のやつをしっかり持っておくんだぞ。」

「うん!」

 真梨亜はそう言って、運転席に座るお祖父ちゃんの横に座り、お祖父ちゃんが言い聞かせたように、横にある手すりをしっかりと掴む。

「クリス、俺たちも乗ろうか。」

 俺はそう言って荷台へと乗ろうとして、ふと気がついた。そうだ、クリスは膝丈のスカートを履いている。荷台はそれほど高さはないが、自分一人で荷台に乗るのは、少し大変かもしれない。

「…クリス、ちょっとごめんね。」

 そう言ってから、俺はクリスの手を取ったかと思うと、腕を回して一思いにクリスの身体を抱き上げた。

「はぅっ…!ま…ままま誠さん…!!」

 びっくりして目を白黒させるクリスに、俺は少しいきなりすぎたかな、と反省しつつ、クリスを荷台のブルーシートの上へと座らせる。

「…ごめんね、クリス。いきなり抱き上げちゃって。多分、どう乗っていいかわからなかったと思ったから、つい…ね。」

 そんなことを言っていると、

「はっはっはっは!!マコめ、ここぞとばかりに男を見せおったなぁ!!それでこそ儂の孫だ!!」

 一部始終を見ていたらしいお祖父ちゃんが、そう言って大きな口を開けて笑う。

 

 …荷台へと乗り込んだ俺の顔は、顔を真っ赤にするクリスに負けず劣らず、真っ赤に火照っていたのだった。


※※※


 それから、10分ほどの時が過ぎる。

「さあ、着いたぞぉ!!」

 そう言って、お祖父ちゃんが一軒家の前---お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家にテーラーを停める。

「わーい、とうちゃくー!!ひいおじいちゃんのおうち、お庭が大きいー!!」

 よほど楽しいのだろう。真梨亜がお祖父ちゃんの横から飛び降りると、大きな庭をこれでもかと言わんばかりに走り回り始めた。

「あぁ、真梨亜ちゃん、転んでお怪我をしてはだめですよー!」

 いきなりのことに慌てながら、クリスが真梨亜へと声をかける。真梨亜はそれを聞いているのかいないのか、一生懸命になって庭を駆け回る。何と微笑ましいことか、と俺がのほほんと考えていると、ガラガラという音を立てて玄関の引き戸が開いた。


「あらあら、元気だねぇ。マコちゃん、久しぶりだねぇ、クリスちゃんも。真梨亜ちゃんははじめましてだねぇ。」


「お祖母ちゃん!久しぶり。元気そうでよかった。」

 引き戸から顔を覗かせたお年寄りの女性---鶴城 タマ子(かくじょう たまこ)…俺のお祖母ちゃんに、俺はそう声をかけていた。お祖母ちゃんはそれに微笑みで応え、

「さあさあ、早くおあがり。長旅疲れたでしょう。おやつも作っておいたからね、一緒に食べましょう。」

「おやつ!おやつがあるの?早く食べたい!」

 走り回っていた真梨亜が、お祖母ちゃんの発したおやつという単語を耳にして、こちらへと飛んでくる。…我が娘ながら現金な、とも思うが、お祖母ちゃんの作るお菓子が美味しいことは俺もよく知っている。正直、かなり楽しみだった。

「うん。じゃあ…お邪魔します。」

「ええと…お邪魔します。」

 俺はそう言って、クリスと真梨亜と一緒に戸をくぐる。すると、甘く、しかし何か懐かしい香りが、ふわっ、と俺の鼻腔を通り抜けるのを感じて、俺は思わずお祖母ちゃんに問うた。

「おやつって…もしかして、フレンチトースト?」

 その問いに、お祖母ちゃんはにこりとして、

「そうだよ、マコちゃんが来るって聞いた時から、ずっと用意してあげようと思ってね。」

 …やっぱり、お祖母ちゃんといえば、だよな。

 お祖母ちゃんの笑顔を見て、俺は予想が当たったことに対する喜びを心の中で呟いていた。

 …お祖母ちゃんのフレンチトーストは本当に美味しい。はじめてお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家に来たときにも、お祖母ちゃんはフレンチトーストをおやつとして用意してくれていたことを思い出し、俺も真梨亜に負けず劣らず、お祖母ちゃんのフレンチトーストをまた食べられることが嬉しくて仕方がない。…と、その前に。

「真梨亜、おやつも楽しみだけど、その前にすることがあるよ。なーんだ?」

 俺の問いに、真梨亜はうーん、と悩む。

「ええと…お手々を洗ったり、うがいをしたり…でしょうか?」

 悩む真梨亜に助け舟を出そうとしたのか、クリスがそう言ってくる。

「残念、それもあるんだけど…お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お仏壇にお供えを持ってきたんだ。先にお線香を上げたいんだけど…いいかな?」

 それを聞いて、クリスがはっとして俺を見る。

「あ…もしかして、東京で新幹線に乗る前に買っていたお菓子…あれ、ですか?」

 その問いに対して、俺は首を縦に振りつつ、右手に持った紙袋を持ち上げてみせる。

「そうそう。正直、真梨亜が食べたいって言わないか心配だったけど、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに、って言ったらちゃんとわかってもらえてよかったよ。」

 …まあ、そうは言いながら、実は小腹が空いたあたりで食べたいって言われると思って、予備にもう一箱同じお菓子を買っておいたのだが。まあいいや、二泊することになっているから、もうひとつは適当な時にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんも含めてみんなで食べることにしよう。そんなことを考えながら、俺たちは仏壇の前に立つ。

「パパ、これなーに?」

 仏壇に向かって指を指す真梨亜に、俺は優しく言った。

「真梨亜、指を指したりしちゃいけないよ。ここには、お祖父ちゃんのお父さんやお母さん、お祖父ちゃんのお父さんのお父さん、そのまたお父さんがいるんだからね。あの像は仏様って言って、お祖父ちゃんのお父さんたちが仏様になって、パパやママ、それから真梨亜のことも見守ってくれているんだよ。」

 真梨亜はいまいちよくわかっていないようだったが、ひとまず仏様を指さすことはあまりよろしくないこと、ということはわかってくれたらしい。三人で正座をして、俺がお線香に火をつけて香炉灰に立て、おりんを鳴らしたあと、みんなで手を合わせる。

 ---ご先祖様たちが、いつまでも俺たちを見守ってくれますように。

 そう心を込めて手を合わせ、お供えに買ってきたお菓子を供えると、

「パパ、ママ、もういい?ひいおばあちゃんのおやつ、早く食べたい!」

 真梨亜がくいくいと俺の袖を引っ張る。

「そうだね。ただし。」

「お手々を洗ってうがいをしてから、ですよ。」

 俺とクリスは、互いにアイコンタクトをしてから、真梨亜に微笑みながらそう言った。


※※※

 

「---誠さん、真梨亜ちゃんはどうですか?」

 お祖母ちゃんのフレンチトーストを食べてすぐ、目を擦り始めた真梨亜を隣の部屋の布団の上へと連れて行った俺に、クリスが聞く。

「もうぐっすりだよ。やっぱり、何だかんだ疲れてたんだろうね。夕飯まではまだ時間があるし、このまま寝かせておいてあげようか。」

「そうですね。…ふふ、本当に良く寝ていますね。天使みたいな寝顔です。」

 襖の側に座り、寝息を立てる真梨亜を覗き込むようにしながら、クリスがそう言って笑う。

「二人とも、お茶が入ったから、こっちにおいで。いろいろお話をしましょう。マコちゃんのこと、クリスちゃんのこと、今までのこと、たくさん聞かせてほしいわ。」

 お祖母ちゃんの声が聞こえて、俺たちは揃って振り返った。見ると、ちゃぶ台に座るお祖父ちゃんの前と、空いているスペースに湯呑み茶碗が二つ置いてあり、緑茶が湯気を立てている。

「うん、ありがとう、お祖母ちゃん。」

 俺はそう言って、真梨亜がいる部屋の襖を閉め、クリスと一緒にちゃぶ台へと向かう。

 それから、俺たちはいろいろな話をした。

 クリスとの出逢い。

 クリスと友達になり、特訓に付き合ったこと。その中であった出来事。

 付き合い始めた時の、クリスの実の妹、アンネへの交際報告。

 …もちろん、その直後に起こった、クリスの狼化…『史上最大の狼化現象オーバーロード・ラグナロク』のことも。

「…マコ、クリスちゃん…大変だったな。」

 クリスの狼化のことを話していた時、お祖父ちゃんがそう言って、俺の頭を撫でてくれる。

「…そうだね、大変だった。俺やクリスの友達も危険に晒しちゃったし、実際に怪我をした友達もいるから。…でも、それでも。」

 俺は、お祖父ちゃんに向かって言った。

「それでも…俺はクリスと一緒にいることを望んだ。クリスを助けられるかどうかなんて関係なくて…とにかく、俺のことを好きになってくれたクリスを、絶対に一人ぼっちにしたくなかった。友達たちもそれをわかってくれて、俺に協力してくれた。だから…今、俺とクリスはこうして一緒にいられるんだと思う。一緒にいていい存在になれたんだと思う。」

 俺は、自分の左手の薬指を見る。

 そこにあるのは、クリスとお揃いのエンゲージ・リング。…あの時、俺がクリスにプレゼントしたペアリングのうちのひとつ。大人になって社島の職員として仕事をすることになった後でも、結婚指輪はこのリングがいい、と言ってくれたものだ。クリスも俺のその仕草を見て、自分の指に嵌まるリングに目を落とし、それからどこか遠くを見るようにしながら言った。

「あの時…わたしは本当に怖かったです。お友達を傷つけ、愛する人を食べようとして、その衝動が抑えられなくて…でも、誠さんが来てくれて、一緒に生きたいと願ってくださって…そして、記憶の獣に打ち勝つ力と、獣の中に封じられた人たちの記憶を救う力を、誠さんはわたしにくれました。わたしの力で、本当に守りたいものになってくれました。…そんな人と恋人になれて、結婚できて…わたしは、本当に幸せ者です。」

 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、ただ笑顔で俺とクリスの話を聞いてくれて、こう言った。

「守りたいもの、か…儂らと一緒だな、婆さん。」

「ええ、そうですね。勇さんは私のいるこの国を守るために、私は勇さんが帰ってくる場所を守るために、あの戦争を生き抜いたのだから。」

「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん…それって…。」

「あ…もしかして、誠さんが仰っていた…。」

 クリスも気づいたらしい。

 ---俺とクリスが出逢ってすぐの時…最上位ヴァルキリー(ブリュンヒルデ)としての強大な力の持ち主であるからこその苦悩を背負っていたクリスに、俺が話した内容。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが、お互いを思い、守りたいものと認識していたからこそ、あの戦争…後に太平洋戦争と呼ばれることになる悲惨な戦いを生き延びることができたという話。


「お祖父さん、お祖母さん。」


 クリスが、何かを心に決めたというように、真剣な目をしてお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに問う。

「その…戦争体験のこと、詳しく聞かせていただけませんか?わたし…ずっと気になっていたんです。それで、いつか聞いてみたいな、って思っていて…駄目でしょうか?」

 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、お互いに目を合わせ、ゆっくりと頷いてからクリスに言った。

「もちろんだ。儂らももう年だ、誰かに戦争の体験を語り継いでもらうのも良いだろう。な、婆さんや。」

「ええ、そうですね。どこから話しましょうか…。」

 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの口から、言葉が紡ぎ出される。

 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの心に残る、あの戦争の記憶が---


※※※


(another view “Isamu”)


「鶴城 勇君!ばんざーーーーーい!!」

「ばんざーーーーい、ばんざーーーーい!!」


 そんな声が、僕の周りのあちこちから聞こえてくる。

「ありがとうございます。元気で行ってまいります!!」

 僕はそう言って、見送りに来てくれた人たちに向かって敬礼を返す。

 …これから仙台へ…僕が配属されることになる部隊の駐屯地へと向かうのだ。

「勇さん…これ、持っていって!」

 駆け寄ってきた幼馴染…タマ子に手渡されたものを見て、僕は言った。

「千人針…作ってくれたのか。ありがとう、タマ子。」

 そう言うと、タマ子は涙を浮かべながら言った。

「約束だもの。必ず帰って来るって…だから、絶対に弾に当たらないようにっていう想いを込めて、周りのみんなにたくさん声をかけて作ったの。…きっと、勇さんを守ってくれると信じているわ。」

 僕は、それを大切に荷物の中へと仕舞い、タマ子に向き直った後、彼女を抱きしめて言った。

「そうだ、約束だ。必ず帰ってきて、僕たちは一緒に生きていく…そのために、僕はタマ子のいるお国を守る、タマ子は僕の帰って来る場所を守る…。タマ子、銃後をお願いするよ。」

「はい…勇さん、ご武運を。」

 ひとしきり抱き合った後、僕は皆に背を向けて歩き出す。


 お国を守る僕と、銃後を守るタマ子。


 その時、あの日の約束が、僕の脳裏に蘇った---


「---勇さん、どうして!?」

 臨時召集令状が届いたその日…目の前にいるタマ子に、僕は困った顔をしながら言った。

「召集令状が来たんだ。だから、兵隊として、お国のために戦地に行かなきゃならない。」

「そんな…。」

 涙を流すタマ子。…当然だ。僕とタマ子は、ただの幼馴染ではない。お互いに好きで、結婚も考えていたのだから。

 しかし、そんなことは情勢が許してくれない。

 現在は昭和19年。大東亜戦争…後に太平洋戦争と呼ばれることになる戦いの真っ只中だ。…正直なところ、報道は暗い。最初こそ破竹の勢いで進撃した日本軍だったが、今は様々な戦地で負け戦であるという報道が成されている。人手が少ない中、兵隊になれと軍に呼ばれたからには、それに従わなければならない。それは絶対なのだ。

「大丈夫、絶対に帰ってくるから。そうしたら祝言を挙げよう。約束だ。」

「本当…?…それなら、私も頑張る。必ず、勇さんが帰ってくる場所を守り抜いてみせるから…。」

 僕たちは、そう言って手を繋ぎ合い、互いに守るものを誓いあったのだった。


「…守るもの、か。」

 木炭走行のバスを乗り継ぎ、仙台行きの鉄道に乗り換えてから、僕はそう呟いていた。

 …正直なところ、あんな言葉は気休めにすらならないだろう。今は様々な戦地で負け戦であるという報道ばかり。どこの戦地に行かされるかは知らないが、おそらく帰ってくることの方が珍しいことは間違いない。それだけ、今の情勢は日本にとって絶望的なものになっていたのだった。

 しかし、それでも、僕とタマ子は約束した。

 僕はタマ子の待つお国を守り、必ず帰ってくると。タマ子は僕の帰ってくる場所を守り、帰ってきた僕と祝言を上げると。

 そのためならば、頑張れる。必ず彼女の元に帰るのだ。

 そう心に決めていると、汽車は仙台駅へと止まる。僕と同じような服装の人々がぞくぞくと降りていくのを見て、僕も気が引き締まる思いだった。

 …いよいよだ。

 僕はそう呟いて、駅のホームへと降り立ったのだった---


※※※


「…お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが前に教えてくれたのが、その時の話だったよね。クリスも、これは知ってるはずだよね。覚えてるかな?」

 お祖父ちゃんの言葉が途切れた時、俺はそう声に出していた。

 クリスが、こくりと俺に首を縦に振り、続ける。

「…忘れられません。わたしがわたしの力と現状について苦しんでいる時に、わたしの力は守るための力にすればいい、と誠さんが言ってくださったとき、そのお話が出てきたんです。」

 …学園の屋上でのクリスとの会話が、俺の脳裏をよぎる。

 あの日、最上位ヴァルキリーでありながら力を使うことを躊躇していたことでいじめられているクリスを追いかけ、そして語りかけたのが、今お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに聞いた話だったことを、俺は思い出す。

「おお、この話はもうしていたか。改めて話すと、少し気恥ずかしいかもしれんなぁ。」

「勇さん、それは言いっこなしですよ。私もね、あの場でよくあんなことを言えたものだと思っているもの。華々しく散るのが美徳とされていた時代に、帰ってきてほしいなんて言っていたわけだから。」

「…でも、その約束があったからこそ、父さんが生まれて、母さんと結婚して、俺が生まれることができたんだよね。」

 俺は、そう言葉を発していた。

 ーーーそう、その約束が無事に果たされたからこそ。

 俺とクリスが出逢うという、その奇跡的と呼べる出来事に繋がる可能性。それは、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんがいなければ、おそらくなかったに違いない。

 お祖父ちゃんは、照れくさそうに頬をぽりぽりとかいてから、「さて、話の続きだ。」と言って続ける。

「何も知らなかったこともあって、仙台ではびっくりすることばかりだったことを覚えとる。駐屯地に備え付けてあった高射砲が、本来は山砲という、お世辞にも高射砲の代わりになんぞならんものを上に向けただけのものだったり、やたらと赤飯に似た飯が出てくると思ったら、本当はコーリャンという、米とは別の穀物を混ぜてかさ増ししただけの飯だったりな。特にコーリャン飯は本当に印象に残っとる。農家では都会の人たちに比べては、という話だが、ある程度白飯が食えていた時代だからな。コーリャンを混ぜて赤くなっている米を見たら、そりゃあ赤飯だと思うわい。…まあ、飯で一喜一憂できていたならよかったんじゃろうがな。戦地では食ったり、食わなかったり、食わなかったり、食わなかったりだったからな。行ったのが東南アジアでなかった分、まだましな方だったろうさ。」

「やっぱり、そうだったんだ…。」

 俺はそう言って考え込む。何万人もの人々が、飢えによって命を落としてしまったということは、太平洋戦争を語る上でどうしても触れなければならない部分。激戦地のひとつ、ガダルカナル島が『餓島』とまで呼ばれた話はあまりにも有名だ。

「あ…ちなみになんだけど、東南アジアじゃないなら、お祖父ちゃんはどこに行っていたの?」

 俺の問いに、お祖父ちゃんはうむ、とでも言うように首を縦に振って言った。

「大陸の方…中国戦線だな。下関から船に乗って、朝鮮半島を経由して、当時の呼び方で言えば満洲を通って、黄河を渡り、上海から長江に沿って西に進んで、漢口という街まで行って、そこで終戦を迎えたよ。」

「漢口…かなり奥地まで行かれたんですね。」

 クリスがお祖父ちゃんに向けて口を開いた。クリスも真剣に話を聞いているようで、その視線は一字一句お祖父ちゃんたちの話を聞き漏らすまいとしているようだ。

 お祖父ちゃんが、また口を開く。

「進軍中にもいろんなことがあった。朝鮮半島…釜山に着いてから汽車に乗っている最中にさっそく死にかけてみたり、な。」

「えぇっ、早すぎない!?あぁ、いや、それだけ敵の攻撃がひっきりなしに来てたってことなのかな?」

 そう言いながらぶつぶつ言う俺に、お祖父ちゃんが爆笑しながら言う。

「はっはっは、マコ、儂は敵に襲われたなんぞ一言も言っとらんじゃろう?そもそも儂は通信士だったし、最前線に行く前に終戦を迎えてしまったから、本格的に戦うことはなかったんじゃよ。まあ、確かに戦闘機に追いかけられたり、乗っていた列車に敵の戦闘機が穴を空けたことはあったがな、それはまた後で話すとして。ここで死にかけた理由は病気、マラリアじゃよ。」

「ま、マラリアですか!?」

 今度はクリスが驚いている。当然だろう。マラリアという病気の名前は、おそらく世界でもかなりメジャーな感染症として知られている。特効薬が存在せず、毎年一定数の人たちが、マラリア原虫を媒介する蚊に刺されることによって命を落とすという恐ろしさを持ったこの病気にかかったということは、知っている人であれば驚かずにはいられない。お祖父ちゃんはそれを察したのか、緊張をほぐすように笑う。

「あのときは何日も熱が引かなくてな。さすがに何度か走馬灯がよぎったわい。だがな…ここでも婆さんとの約束がわしを生かしてくれたのじゃろうなと思うところがあってな。何くそ、こんなところで死んでたまるか、わしは生きてもう一度婆さんに会うんじゃ、と必死で思うことにしていた。そうしたらいつの間にか治っとった。婆さんに感謝感謝だな、本当に。」

「もう、勇さんったら。」

 それを聞いて、お祖母ちゃんも釣られて笑い始める。ひとしきり笑った後、お祖父ちゃんは「さて、話の続きだ。」と言って話し出した。

「さて、次は何を話そうか…さっきまた後でと言った、飛行機に追いかけ回された話でもしようかの。」

 …正直、かなり気になっていた話だ。

「うん、聞きたいな。実際の戦いがどんなものだったのか、すごく気になる。」

「私もです。聞かせてください、お祖父さん。」

 お祖父ちゃんはこくりと首を縦に振ると、また懐かしく思いながら話し出した---


※※※


(another view“Isamu”)

 朝鮮半島上陸後、すぐに鉄道内でマラリアに感染して死にそうになってからしばらく経ったある日。

 僕のいる部隊は、中華民国へと向かうべく満州で列車を乗り換えていた。

(「ここが満州…中華民国に入るための入口、か。」)

 …正直なところ、少し不安が頭を過っていた。

 太平洋戦争が勃発する前から、日本は中華民国と日中戦争の最中にあった。その中で、かなり奥地まで押し込んだ日本軍であったが、逆に言うならば、それは中華民国軍の懐にどんどん飛び込んでいくという危険もまた孕んでいたことになる。実際、中華民国軍との戦いの最前線は、南方戦線とはまた別の意味で泥沼化していると聞いていた。そんなところにいて、果たして本当に生きて日本に帰ってこられるのかどうか…そう思わざるを得なかった。

「どうした、鶴城。貴様、震えているぞ。」

「小隊長殿…。いえ、これは武者震いというものであります。早く敵と相まみえ、お国のために敵を倒したいという心の表れであります。」

 近くにいた小隊長には強がってそう返したが、不安を隠しきれていなかったのだろう。小隊長は、「強がる必要はない、俺も最初はそうだった。」と言って、僕の緊張をほぐしてくれた。いい上官に巡り合ったものだと、その時の僕は本当に天に感謝した。

「次の街で、貴様らひよっ子共に武器弾薬と非常糧食の支給がある。それを待て。」

 小隊長の言葉が終わったと思った、その時、列車が急に止まった。何が起こったのかと考えるのも束の間。


「------敵襲、敵襲ーーーーーー!!

 南からコルセアが一機!!突っ込んでくる!!」


 どこからともなく、そんな大声が聞こえてくる。

(---敵襲!?)

 僕の頭はパニックになりかけていた。こんなに早く敵がやってくるなんて!!

 小隊長が怒鳴る。

「総員、列車と線路の間に隠れろ!!急げ!!敵は待ってくれん!!」

 すぐに降りられる入口付近にいたことが幸いした。それを聞いて、僕は列車から飛び降りると、小隊長の言葉通り、列車の下に潜り込む。その瞬間、恐ろしいスピードで僕たちが乗っていた列車に肉薄した戦闘機の機銃が火を噴いた。すれ違いざまに弾数にして六発を一箇所に一気に叩き込むその火力に驚くのも束の間、遠くに見える汽車の炭水車に穴が空き、そこから水が溢れ出てくるのが見える。戦闘機が飛び去ったと思って外に出ようとした途端。

「鶴城!まだだ!」

 小隊長の怒鳴り声が再び聞こえたと同時に、飛び去ったと思われた戦闘機がくるりと向きを変え、再びこちらに向かって突っ込んでくるのが見える。慌てて列車の下に潜り込み直した瞬間、また戦闘機の機銃がけたたましい音を立てて火を噴いた。今度は線路に銃弾がかすめ、激しい火花を散らして弾が跳ねる。小隊長の声がなければ、弾はおそらく僕の体を間違いなく撃ち抜いていただろうことは、容易に想像ができてしまっていた。


(「これが…戦場…。」)


 今度こそ遠くへと飛び去った戦闘機を見ながら、僕は武者震いなどではない、本物の恐怖を感じて、先程のように強がることもできず、しばらく震えを抑えることができなかった------



※※※


「…これが、一番初めに敵の戦闘機に襲われた時の話だ。今だから言えるが…本当に恐ろしかったなぁ。」

 お祖父ちゃんは、そう言って遠くを見る。

「…お祖父ちゃん、一番最初に、っていうことは…他にも飛行機に追いかけられたことってあったの?」

 俺が聞くと、お祖父ちゃんはこくりと首を縦に振って言った。

「もちろんだ。その度に儂らは、太い木や崖に隠れたりしたもんだ。でもな、わかったのは怖いと思えることだけじゃない。中国の人らの逞しさを見たこともあったな。」

「逞しさ…ですか?」

 クリスが聞くと、お祖父ちゃんはまた首を縦に振って続ける。

「あれは上海まで着いた時に知ったものだ。日本の輸送船や橋を狙って、爆撃機や雷撃機が高いところから爆弾を落とすじゃろう?だが高さがありすぎてなかなか輸送船や橋には当たらない。代わりに大きなライギョや魚が、その爆発に驚いてぷかぷか浮いてくるんじゃ。爆撃機や雷撃機がいなくなった後、それを捕りに中国の人々が家から出てくるのを見て、本当に逞しい人々だ、こんな逞しい人々と日本は戦争をしているのか、と思った瞬間じゃった。」

「それは…すごいね、いろんな意味で。」

 俺が言うと、お祖父ちゃんはまた話し出す。

「あの時代は食うものが本当になかった時代じゃったからな、中国の人々も、食べることに関しては必死だったんじゃろう。さっきも言ったが、戦地においては、食べたり、食べなかったり、食べたり、食べなかったり、食べなかったり、食べなかったり…そんなことばかりじゃったからな。…と、食べ物の話といえば、戦地においていくつか面白い話があってな。次はその話をするとするか。」

「食べ物の話…?やっぱり、食べたものを話してくれるの?」

「そうだ。その中でも面白い話があるんじゃ。まずは、戦闘糧食の乾パンじゃな。」

「乾パン、って、あの保存食として売られてるやつ?」

「そう、その乾パンだ。もっとも、今の乾パンと比べて美味いものではなかったがな。…と、まあ、この話の面白いところは乾パンそのものじゃない。その中に入っていた、金平糖じゃよ。」

「金平糖…?そんなものが入っていたの?」

 俺が気になって聞くと、お祖父ちゃんは懐かしそうな顔をしながら言った。

「あの時代は甘いものがなくてなぁ、どうしても食いたいものじゃった。しかし、封を切って勝手に食おうものなら上官から大目玉を食らう。そこで、だ。袋を開けずに金平糖を食べる方法を儂は考え出したんじゃよ。」

「封を切らずに中身を食べる方法…そんなことができたんですか?」

 クリスが心底疑問そうに尋ねる。お祖父ちゃんは笑いながら言った。

「当時、乾パンは麻袋のような粗末な袋に入っていてな。金平糖も外から薄く見えたんじゃよ。そこで、見当をつけた箇所の穴を爪で上手く広げて、金平糖にありついたら今度はその穴を元通りに狭くする。食っていないかの確認のために乾パンの袋が集められた時には、念のためにその穴を開けた面を下にして置く。そうすることでバレることなく金平糖にありつけたというわけだ。もっとも、それでもバレて叱られている仲間を見たことはあるがな。儂はそういう意味では幸運だったのかもしれんなぁ。」

 笑いながら言うお祖父ちゃんの言葉に、俺もクリスもびっくりしていた。そこまでして食べたいのかと思う反面、そうでもしなければ自由に糧食すら食べることができない軍の在り方にも驚いていたのだ。

 お祖父ちゃんの言葉は続く。

「飯を食える時には、できる限り早く食べ終わることも求められた。いつ敵が襲ってくるかもわからない中だったからな、仕方のないこととはわかってはいたが、やはりゆっくり食べたいと思ったもんじゃ。おそらく、食える時の食事時間は5分となかったじゃろう。」

「そうか…ゆっくり食べる時間もなかったんだね。」

 俺が言うと、お祖父ちゃんは「さて、次はあの話をしようかの。」と言って続けた。

「マコ、納豆は知っておるじゃろう?それを仲間が作った話じゃ。」

「な…納豆…?戦地でそんなもの作れたの?」

「ええと…あのお豆がねばねばしている、あの納豆ですか?」

 驚く俺とクリス。そりゃそうだ。さっき聞いた話によれば、食べるものにかなり難儀していたという。それで戦地で納豆を作ったって…。

 お祖父ちゃんは、「まあ、驚くのも無理はないな。」と言って続けた。

「正直なところを言えば、儂も楽しんでいた部分はあるな。何しろ、その納豆を作る時の豆は、馬にやる餌用の豆をかっぱらってきて作ったんじゃからな。」

「ええ!?そんなことして大丈夫だったの!?」

 俺が驚いて言うと、お祖父ちゃんは、がはは、と笑いながら言った。

「無論、バレたらただではすまなかったじゃろうな。その仲間もバレないように布団の中にまで忍ばせて寝ていたくらいじゃ。しかしな、それもあっていい納豆になってな。その納豆は木箱で作っていたんじゃが、かき混ぜるとその木箱ごと動くくらい粘りが出てな。これまた馬用の岩塩をかっぱらってきて、それを砕いて納豆と混ぜて小隊の仲間と分け合って食べた時には、本当に美味かったわい。」

 …お祖父ちゃんは、また遠くを見るような目で話す。

「…戦地にも、楽しいことってあったんだね。」

 俺が言うと、お祖父ちゃんは「まあな。」と言って続けた。

「そういういたずら紛いのことではあったが、少ない楽しみの一つであったことは確かじゃな。楽しみというと後はそうじゃな…ドジョウやスッポンを捕って食べたこともあったな。ドジョウは日本のものと比べて大きくてな。スッポンは煮て食べたが、コリコリした食感で美味かったことを覚えとる。」

「なるほど…食に関しては間違いなく楽しみだったことはわかったよ。…っていうことは、日本にいたお祖母ちゃんも、食に関しては楽しみだった感じなのかな?」

 俺は、今度はお祖母ちゃんに向き直って聞いてみる。

「そうね、水渡地区は疎開してきた人もいなかったから、都会の人たちがどんなご飯を食べていたかはわからないけれど、少ないご飯とはいえ食べられることはありがたかったわ。山芋を掘ってきてみたり、魚を捕まえに行ったり、戦地に多く送る米や麦の代わりに畑で採れたサツマイモやかぼちゃを食べたり…そうやって食いつないでいたわね。」

「ええと…代用食、っていうやつだっけ?そうか…そう考えると、さっきのお祖父ちゃんの仙台の駐屯地の話でも聞いたけど、水渡ではそれなりに食べるものってあったんだね。」

 俺がそう言うと、お祖母ちゃんは少し微笑んで言った。

「そうね。ただ、あくまでも都会の人たちよりは、という前提があっての話だけれど。『欲しがりません、勝つまでは』っていうスローガンがあったから我慢できていたのは確かね。」

 …栄養が足りなかったという話は歴史の授業で聞いたことがあったが、実際にその時代を生きた人に聞いてみると、食べ物がないその辛さは何となく理解できる。そんな時代を生きてきたお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに、俺は尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

「そういえばお祖母ちゃん、食以外の部分での日本の中での生活っていうのはどんな感じだったの?」

 俺が聞くと、お祖母ちゃんはお祖父ちゃんと同じように遠くを見るようにして言った。

「そうね、この辺りは空襲なんかはなかったけれど、敵機が上を通ることはあったから、念には念を入れていたことは確かだったわね。ガラスに紙を貼って空襲でガラスが飛ばされないようにしたり、夜は明かりが外に漏れ出さないように黒い布を電気の傘に被せておいたりね。それから、覚えているのはこれね。竹槍訓練。」

「竹槍訓練…。」

 お祖母ちゃんの言葉を聞いて、クリスがぽつりと呟く。

 竹槍訓練…本土決戦のため、一億総玉砕体制の一環として行われた訓練のひとつ。歴史の授業でやった内容だったから、クリスも理解しているのだろう。戦時中とはいえ、戦いの素人である民間人をも巻き込むそれが、どれだけ無謀な体制であったのかということを。

 お祖母ちゃんは微笑みながら続ける。

「でもね、今から私が話すのは、少し面白いお話なの。聞いてくれるかしらね?」

「…面白い話?」

 俺が聞くと、お祖母ちゃんは笑顔を崩さずに話しだした---


※※※


(another view“Tamako”)

「------やぁぁぁぁぁぁっ!!」

 学校の運動場に、鋭い声が響き渡る。

 今日は兵隊さんが学校に来て、銃後の女性たちに竹槍を指導する日だった。

「よし、次!!」

「はい!!---やぁぁぁぁぁっ!!」

 私の前の人が叫んだと思うと、敵の兵士の代わりとして置いてある藁人形へと一直線に駆け出していく。気合の声と共に突き出した竹槍が藁人形の胸のあたりを捉えると同時に、兵隊さんの声が響いた。

「よし、次!!」

 …いよいよ私の番だ。


「-------やぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 私はできうる限り大きな声を上げて、藁人形へと突っ込んだ。狙いすました竹槍の一撃が藁人形を貫く---と思ったその時。

「あっ…。」

 まっすぐ突こうと思った私だったが、竹槍の重さに私の腕力が耐えられなかったようで、竹槍の先が重力に引かれて落ちそうになる。私は慌てて体制を立て直そうとするが、やはり竹槍の重さはかなりのもので、何とか体制を立て直したものの、竹槍は藁人形を見事に外し、上下にびよんびよんと揺れ動くにとどまった。


「------はははははははは!!」


 …大きな笑いがあちこちから聞こえてきて、恥ずかしくなった私はそそくさと列へと戻る。

「ふふふ…タマちゃん、またやったわね?勇さんにもこれは見てもらいたいわ。」

 私の親友であるトモちゃんが、私を見て笑う。

「うぅ、笑わないで…これでも一生懸命やってるのよ…。勇さんには言わないでね、恥ずかしくて死んじゃいそう…。」

 あまりの気恥ずかしさに、私はそう返すしかなかったのだった------


※※※


「…今でこそ笑い話になるけれど、当時は本当に恥ずかしくてねぇ…みんなできていることができなくて、本当に悩んでいたわ。…トモちゃんもその時笑っていた他の人も、もうほとんどが亡くなってしまったけれどね。」

 お祖母ちゃんはそう言って、また遠くを見る。…水渡地区はただでさえ過疎地域の農村だ。当然、高齢者が人口の多くを占め、限界集落になってしまっている。当時の友人やお祖母ちゃんを知る多くの人たちがいなくなる中で、お祖母ちゃんはどう思ってきたのだろう。そんなことを考える俺を見て、お祖父ちゃんが言った。

「…さて、時間も時間じゃ。じゃあ最後に、中国で終戦を迎えて帰って来るまでの話でもしようかの。」

「あ…もうそんな時間だったんだ。」

 時計を見ると、もう18時近くになっている。おやつを食べて真梨亜を寝かしつけてから、もうそんな時間になっていたのか。

 お祖父ちゃんは、ゆっくりと話し出す。

「…終戦が儂のいた部隊に伝わったのは、昭和20年…玉音放送が流れたという日からかなり経ってからじゃった。日本が負けたと知った時には、悔しさもあった反面、やはり勝てなかったか、と達観する心もあったことは事実だったのう。

 それからは忙しかった。武装解除命令が出た後、クリークに持ってきた武装を全部投げ捨ててな。そこからは歩いて来た道を戻り、上海から船で下関まで引き上げ…そのまま鉄道に乗って、昭和21年になってようやく帰ってきた。その中で、餓えで死んだ仲間もいたのう。鉄道で広島を通った時には、正直なところ、何が起こっていたのか何もわからんかった。後から原爆攻撃に遭ったことを知った時、戦争の悲惨さを改めて感じた瞬間だったことを覚えとる。

 それでのう、まだ中国にいた頃、仲間を火葬した時、儂は小隊長に呼ばれて骨拾いに同席することになったんじゃが、その時、小隊長がこう言ったんじゃ。


『鶴城よ、貴様はこの戦争で、我が国、日本国民、ひいては俺や貴様は何を得られたと思う?正義の戦争と教えられていた知識か?帝国軍人として戦場に立った名誉か?一億総玉砕のために一心不乱に働いたという達成感か?

 …いや、おそらくそのどれもが違う。

 この戦争で、あまりにも多くの人間が死んだ。日本の国土は焼かれ、民間人の多くも犠牲になった。日本だけではない。世界中の多くの人間が死んだのだ。軍人、民間人関係なくな。そこには知識も、名誉も、達成感も何も無い。ただ戦争が起こり、人が死に、国土は焼かれ、勝者と敗者が明確になって終わった、ただそれだけの話だ。

 この戦争の悲惨さを語り継ぎ、未来に繋ぐこと…それが、生き残った俺や貴様…華々しく散ることのできなかった桜の責務なのかもしれん。

 俺は生きる。生きて、俺の命が尽きるまで、この戦争を語り継ぐ。だからな、鶴城…貴様も生きろ。生きて、散らぬ桜として、この戦争を語り継ぎ、もう二度と、こんな悲惨な戦いを繰り返さないよう後世に伝え続けろ。これが俺の上官としての、貴様への最後の命令だ』とな。

 

 儂はこう答えた。


『もちろんです、小隊長殿。自分は生きて、その命令を全う致します。それが自分の…散らぬ桜の誓いであります』。」


 …お祖父ちゃんはここまで言って、また遠くを見るような顔をして続けた。

「はっきり言ってな、あの戦争が正しいものだったのかそうでないのかなんてものはな、儂にはこれっぽっちもわからん。当時も、今になっても、な。

 だがな…もしかしたら、あの戦争がなければ、婆さんへの愛情もなかったかもしれん。婆さんへの愛情がなかったら、何かに躓いた時、簡単に諦めていたかもしれん。戦地から必ず帰り、祝言を挙げるんだという気持ちがあったからこそ、婆さんとの絆をより深く感じることができたことは確かじゃ。

 そういうことを考えると、あの戦争は儂らにとっては、ひとつの試練だったのかもしれんのう。マコとクリスちゃんが、命をかけて互いを愛し、記憶の獣とやらと戦ったように、な。」

「ひとつの…試練…。」

 俺は再び、史上最大の狼化現象の時のことを思い出す。

 記憶の混線を起こして暴走するクリスに対して、俺は自分が海の藻屑と化そうとも一緒にいようとした。…思えば、あの出来事は、確かに俺とクリスにとっては試練だったのだろう。

 お祖父ちゃんは、微笑んで言った。

「さて、儂らの話は終いじゃ。

 マコ、クリスちゃん…儂らはいずれ、近いうちにいなくなる。その時、戦争を語り継ぐことができるのは、マコたち若い者たちじゃ。ヴァルキリーとして、オーディンとして…戦争のない世の中を作っていくことができるのも若い者たちじゃ。ここまで来たら、この世界の行く末を、儂ら老人は若い者たちへと託すことにするかのう。」

 俺は、クリスと共にぎゅっと手を繋ぎ、言った。


「------もちろんだよ、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん。

 今、世界は確かに不安定だけれど…でも、必ず俺たち若者が、平和な世の中を作ってみせる。俺たちが無理だったとしても、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんに教えてもらったことを、未来の子供たちがきっと実現させてくれる。俺は、そう信じる。ね、クリス。」


 クリスも、俺の手をぎゅっと繋ぎ直して言った。


「はい。私も、誠さんについていきます。真梨亜ちゃんや、その子供たちにも、平和の在り方を自分なりに説いてみたいです。」


 ---お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの目から、ほろりと涙が溢れる。

「よく言ったぞ、二人とも。マコ、それでこそ儂の孫じゃ。」

「マコちゃん、クリスちゃん。私たちの意思、受け継いでくれて嬉しいわ。」

 二人がそう言って笑う。と、その時。


「うにゅー…パパ、ママ、お腹空いた…。」


 いつの間にか起きていたらしい真莉亜が、俺達を見て眠そうな目を擦りながら襖を開けて近づいてくる。

「あらあら、真梨亜ちゃんも起きたわね。お話も終わったし、ご飯にしましょうかね。」

「あ、お祖母さん、わたし、お手伝いします。誠さん、ご飯ができるまで、真梨亜ちゃんの相手をしてあげてください。」

 お祖母ちゃんが立ち上がるのに合わせて、クリスも立ち上がる。

「わかった。真梨亜、パパのところにおいで。」

「うん!!」

 とことこと近づいてくる真梨亜。


 ---この世界は、俺たちだけのものじゃない。

 俺がいて、クリスがいて、真梨亜がいて…珀亜さんがいて、秀真さんがいて、重樹やリゼット、シャーリー、ヴィクトリカ、飛鳥、エレーナ…アナスタシアや、先輩たち、後輩たち…たくさんの人たちが俺の周りにいる。

 その他にも、たくさんの人たちが生活するこの世界を、必ず守ってみせる。

 いがみ合いや戦争なんてない、そんな理想的な世界を、俺やクリスが作ってみせる。

 俺たちが無理でも、後の世代に伝え続けることで、いつか…。


 やがて、いつか。

 きっと、いつか。


 俺は真梨亜を抱き上げながら、そんな理想の世界を夢見て、心の中で呟いた------

はじめましての方ははじめまして。

お久しぶりの方はお久しぶりです。

雪代 真希奈です。また皆様にお会いすることができましたこと、とても嬉しく思っております。


さて、今回のお話『散らぬ桜の誓い』ですが、今作は少し毛色を変えて、私の祖父や祖母から伝え聞いた戦時中の体験を基に制作したお話になります。

私の祖父は、太平洋戦争において中国戦線に送られた兵士の中のひとりで、小さかった私によく戦争中のお話をしてくれました。祖父が亡くなった後で思えば、戦争のことを私に語り継いでほしい、という思いが、もしかしたらあったのかもしれません。

祖母ももう90歳を超えており、いずれ祖父の後を追うことになるのであろうことを考えると、今、聞くことのできることをできる限り聞き、未来へと繋ぐことが、伝え聞いた私の責務であると考え、この外伝を執筆することにいたしました。


昨今、世界は混沌を極め、第三次大戦が間近に迫っているという人もいます。私はこのお話を書く上で、悲惨な戦争をもう二度と起こさないこと、戦いの歴史だけではなく、祖父や祖母という一人の人間の目線から見た戦争を知ってほしいという思いでこのお話を書き上げました。ぜひ、戦争を知らない世代にも、また、戦争を知っている世代にも読んでいただきたい、そんなお話です。


最後になりますが、ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

現在執筆中のヴァルキリー三部作3作目、『Valkyrie Ocean-進みたい未来-』にてお会いいたしましょう。


2024年6月12日 雪代 真希奈

(X様→@Kokoro41384259)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ