妹談義と猿殺し
☆★☆ 始業前 ☆★☆
昨日に引き続き、いつもより10分早い登校時間。
誰にも話し掛けない、誰からも話し掛けられない僕は、大人しく自分の席に就いて一時間目の予習を始める。
僕は教室で学ぶ教科は得意だが、教室から移動する教科は苦手な傾向がある。
特に音楽と体育。
歌は下手だし楽器だって満足に演奏できる物なんかない。
体育は走るだけなら何とかなるが、僕は球技全般にセンスがない。鉄棒の逆上がりとかも出来た事はない。
だから僕は、苦手を克服するよりも、得意を伸ばして維持する事を好む。
現国の教科書を出した僕は、今日習うだろうと予想されるページをそっと開く。
☆★☆ 別に普通だろ ☆★☆
「おい相良」
突然前の席の『近藤くん』に話しかけられた。
誰からも話し掛けられない状況に慣れ切っていた僕は、この突然の呼びかけにビビった。
「なーにビビってんだよ? 小学校の時だけど、6年間一緒のクラスだったんだ。席も近いんだし話し掛けたって別に普通だろ?」
彼が言った通り、僕は近藤くんとは小学校6年間同じクラスだった。
特に仲良しだったと言う訳じゃなかったけれど、嫌な奴ではないと認識している。
「あ、ああ、そうだな、恥ずかしい話だけど、僕はその、友達がいないから話し掛けられたことがちょっと意外だったんだ」
僕は何故かちょっと自虐的な返答を返してしまった。
「ふーん」
と近藤くんは、何かを探っているような表情で僕を覗き込んだ。
「何かいい事でもあったんだろ? 昨日までと全然顔つきが違う」
近藤くんの指摘に僕は正直焦った。図星だったからだ。
「例えば…… 家族の誰かと仲直りしたとか?」
こいつ、エスパーか?
そう思わされるほど的確に当てられた。
「えっ? なんで分かったの?」
「別に普通だろ? だってお前の顔に、そう書いてあるんだから」
☆★☆ 妹繋がり ☆★☆
「プッ、アハハハハハハッ」
突然近藤くんが笑った。
一体何が彼を笑わせたのか理解できない僕は、完全にフリーズした。
いつか父に『春斗は母さんに似て処理速度がゆっくり』と言われたセリフを思い出して、つい納得してしまう。
僕は、調べた事や考えた事を『話す』事は得意だが、『会話』と言う言葉のキャッチボールは苦手だと感じている。
「実はな、俺の妹がお前の妹の友達でな、犬を飼った事とか、お前と仲直りできた事とかをな、昨日ベラベラと聞かされたんだよ」
妹の澪のともだち?
「初めてのお留守番はどうだったよ? 俺の妹がな、実はお前に憧れていてよ「早く話し掛けろグズ」だとか「さっさと友達になって来いこのヘタレ」とか言って来ててよ、正直最近俺に対するアタリがキツイんだこれが」
憧れているとか言われてもなんだかピンとこない。
でも一つだけわかった。
「もしかして近藤くん、僕と友達になってくれるの?」
言ってから恥ずかしくなった。今の僕犬っぽい。
「アッハハハハハッハ~~。と言うか、こっちから頼むわ」
☆★☆ 妹談義 ☆★☆
「近藤くんと相良くんって妹がいるの?」
通りすがりの女子生徒『最上茜』さんが僕たちの会話にカットインして来た。
僕にとっては目まぐるしい状況の変化だ。反応が追い付かない。
確かに僕は母に似ているようだ。
この状況を他人事のように見守っているだけだ。
だから会話のキャッチボールは近藤くんに任せる。
「おう、相良くんには可愛い妹がいて、俺には最強の妹がいるぜ」
「えっ? 最強?」
そこは僕も気になった。
「まあ詳しくは部外秘だ。俺が出せる妹情報はここまで」
「ふーん、で、相良くんの妹さんは可愛いの?」
僕は1年前の経験から、あまり妹の事を聞かれたくない。
だから躊躇するし戸惑いもする。
「ま、まあね」
言葉を濁すので精一杯。この会話の流れ、早く変わってくれ。
「マジか? 相良の妹って可愛いのか? 見てえ」
突然、名簿番号の1番の人が話に入って来た。
普段からニヤニヤしていて、少し気持ち悪いと感じていた男子生徒の『浅原くん』だ。
顔つきとか反応とかが『盛りの付いた猿共』と似過ぎていて正直イライラする。
「おいおい「アサハカくん」よ~? ま、男子高校生としては普通の反応なんだろうけどな、コイツの妹にだけは手を出さない方がいいぜ~」
近藤くんはどこまで僕の事を知っているんだろう?
「なんでだよ!? オレにはおっかねえ兄貴しかいねえから、可愛い妹とか聞くと羨ましいじゃんかよ?」
僕はさっきからだんまりを決め込んでいる。話したい事なんか無いのに、聞かれたくない話、聞きたくない話なんかはたくさんある。
そうか…… だから僕には友達がいないんだ。
「アサハカにその話をするにはもう時間が少ねえ、昼休みに話してやる」
「ちょっと近藤くん、まさか僕の話をするの?」
「少しだけな…… なーに、5匹の猿と2人の猿殺しの話だ。悪いようにはしねえさ」
彼は、コミュニケーションお化けで、僕と友達になりたがっていて、少なくとも敵ではない。
「それでも…… ちょっと嫌だな」
僕は小声で近藤くんに反対した。
「アサハカくんまで『猿』になるのはもっと嫌じゃね? くぎ刺してやるだけさ」
でも、近藤くんは普通の声量で応じる。
「ねえ、その話私も聞きたいし、私の妹の話もしたいから仲間に入れて、近藤くん」
「おう、受けて立つぜ~そのケンカ」
急にファイティングポーズまで決めた近藤くん。なにこれ?
☆★☆ 六身合体ではない ☆★☆
昼休み、近藤くんが『ガッ!』と机の向きを変えて、僕の机と
「六身合体、シスコン~ロボッ!」
合体させた。
セリフの意味は分からないし笑えなかった。でも、当の近藤くんが楽しそうだから僕はツッコまない事にした。
「僕も巻き込まれるんだね?」
分かってはいたけれど、最後の悪あがき的な意味を込めて、一応言うだけ言ってみた。
「すまんな春斗、ワシが不甲斐ないばかりに……」
いきなり名前で呼び捨てられて、ちょっとだけビックリしたけど、嫌な気持ちは全然しなかった。
そんな事よりも、ツッコミどころが多い近藤くんのボケに、ちょっとだけ反応してみたいと思ってしまった。
「おとっつあん、それは言わねえ約束だよ……」
適切な返しだったかは不安だが、近藤くんのノリに時代劇風にノッてみた。
「よっしゃーッ! 相良を落としたぞッ、俺がッ俺自身の実力でッ!」
喜んでくれているようだけど、訳が分からない。
でも近藤くんのノリは、僕を不快にはさせなかった。
「盛り上がってるわね」
最上茜さんが空いている席から勝手に椅子を持って来て、僕たちと合流した。
「おう! たった今この瞬間、俺と春斗が大親友になったんだ。この場に立ち会えたことを光栄に思うがいい」
ちょっと暑苦しいけど。
「フフっ…… アンタたちって面白いね」
ナチュラルに僕も同類にされてる事に、なんか納得できないけれど反論はしない。
どう反応したらいいのか分からないから。
「ダッシュでアンパンと牛乳を買って来たーッ! オレも仲間に入れろ」
アサハカくんは購買昼飯だったのか。って、あ、僕も浅原くんの事をいつの間にか『アサハカくん』呼びしてしまっている?
☆★☆ 猿殺しの童話? ☆★☆
「よく聞け特にアサハカ。今から話すのは、一年前に現実にあった、第一中学での実話だ」
近藤くんが話を始めた。
「かつて一中には5匹の猿がいました」
近藤くんの話は何故か物語口調だった。
「5匹の猿共は、上手に人間に化けて、人間のような振る舞いをして過ごしていましたが、ある日、可愛い人間の女の子を見つけました」
童話っぽい話し方だな。
「その可愛い子は新一年生でした」
やっぱりあの事件の話をするんだな……
「5匹の猿は発情してしまいましたが、自分から話しかける度胸はありませんでした」
物語の主役は5匹の猿の方か、なるほど、意外に受け入れやすそうだな。
「そこで猿共は、その可愛い女の子の関係者を探し出して「紹介しろ、しないとあの子を喰っちまうぞ」と脅しました」
「今朝のアサハカくんと動機は同じだね」
最上茜さんが相槌を打つ。
「けれども猿共は、脅す相手を間違えていました。なんと、その人は実は有名な『猿殺し』だったんです。略してモンハン」
僕の事かな? 事実無根な噂の方の話?
「愚かな猿共は『猿殺し』の逆鱗に触れてしまった為に、哀れ、半殺しにされてしまいました」
近藤くんが知っている僕は、事実では無くて噂の方の僕だったか。
「猿殺しも確かに無傷では済みませんでしたが、彼はたった一週間で回復しました」
回復なんかしてなかった。シップに包帯、全身の痛みを我慢して、意地で登校したんだ。
「しかし、猿共はなかなか学校には現れませんでした。猿共がやっと学校に出て来たのはなんと、一か月後の事でした」
「うわ~~~、その猿殺しさんって凄い人なんだね~」
「だろ? 俺もそう思う」
「その後どうなったの?」
「当然のように猿共には『盛りの付いた』と言う形容詞が付けられた」
近藤くんがちょっと悪い顔で笑う。
「5匹まとめれば『盛りの付いた猿共』って仇名だ。個人別では『ハゲ猿』『デブ猿』『チビ猿』『アゴ猿』そしてリーダー格の猿が『エロ猿』と呼ばれる事になった」
「え? そんな事になってたの?」
驚きすぎて、ついカットインしちゃった。
「まあな、俺の妹がそう名付けて広めてた」
「「「えええ~~~!?」」」
「俺の妹ってさ、友達の為なら手加減も躊躇も無え奴なんだよ。敵に回したら正直俺でも勝てないぜ」
「そうなんだ……」
「でな、「自分は猿殺し2号」だと言いふらしてる」
「い、妹さんが今度は狙われたりしない? 大丈夫?」
「あ~、その辺は大丈夫。俺の妹って、その事件の後の空手の大会で、ジュニアハイスクール女子の部で日本一になった事で有名になったから。一年女子が優勝したのは30年振りだったとかで騒がれてたし、よほどの命知らずでも無きゃ襲うやつはいねえさ」
僕は今まで、事件の話はされたくない、聞きたくない、と耳を塞いで生きて来た。
僕には僕の『地獄』があったけれど、猿には猿の『地獄』がどんな風にあったのかを具体的に聞けて、最終的には、聞けて良かったと思った。
「物語的にはスカッとする展開だね」
最上茜さんは大喜びだ。ざまあ系のラノベとか好きそうだな。
逆にアサハカくんは驚愕しているようだ。
「だからな、アサハカくん、コイツの可愛い妹には2人の『猿殺し』が付いてるんだから、決して浮ついた気持ちで近づいたらイカンよ」
めでたしめでたし。
「一中怖ぇ~、相良も怖ぇ~」
ただ一つだけ、僕が恐ろしく強いらしいと言う『風評被害』が起きた。
そしてアサハカくんが、僕の事を異常に恐れるようになってしまった。
☆★☆ 妹談義 ☆★☆
「なあ近藤、妹が空手やってるって事は、オマエも空手やってるって事か?」
昼食を食べ終わっても、妹談義は続いている。
「まあな、でも受験の為に去年はほとんど休んでたけどよ」
アサハカくんが近藤くんの妹に興味を持ったみたいだ。
「じゃあ、やっぱオマエも強いって事だよな?」
「いや、そうでも無え。俺は組手はからっきしだし、型の方は癖が強すぎて全然大会では勝てねえんだ」
「それなのにオマエの妹は日本一って、やっぱ自慢の妹って事?」
「性格に難はあるが、一応自慢ではあるな」
認めはしても苦笑いする近藤くん。
さっきも言ってたけど、近藤くんの妹さんは兄に対して物凄くアタリが強いから、なのかな。
「最上さんの妹は? やっぱ女子から見ても妹って可愛いもん?」
今度は最上さんに話を聞くアサハカくん。なにか妹と言う存在に憧れとか幻想とかを抱いていそうだ。
「そうでもないかな? 生意気で面倒。最近は負けず嫌いで何かと対抗心を燃やして来るから結構うざい」
「そうかそうか、同性の姉妹だとやっぱそんな感じか~」
「それでも、姉妹仲は良いと思うよ?」
この事でアサハカくんが「えっ」と驚く。
「関わりがあるって言うか、無視されたり避けられたりするよりは全然? 私が勝てば『まだまだね』って思えるし、逆に負ければ『こんなにも逞しくなっちゃって~』って、ちょっと感動したりする」
「オレは兄貴は大っ嫌いだし仲も良くないけどな~」
「相良くんは、って聞くまでもないか~ さっきの『猿殺し』って相良くんの事なんでしょ?」
☆★☆ 思い出せた ☆★☆
今朝から始まったこの『妹談義』とうとう僕にも話が回って来た。
「うん。たぶん凄く仲良し……」
「きゃーっ、認めちゃうんだ~?」
認めないわけにはいかない。
僕は、妹の澪を守りたかった。
澪は、僕を救ってくれた。
「ここで意地を張って認めなかったり、冗談を言って煙に巻いたりするのは近藤くんにも悪いからね」
「え? なんでここで俺の名前が出るんだ?」
「近藤くんは、さっきの猿の話で、僕が知らなかった猿のその後を教えてくれた。それに、僕がここで認めないのは妹に悪いし…… 最上さんさっき、無視されたり避けられたりされるよりは___って事言ってたよね」
「え、うん」
「僕はしてたんだ、妹に…… 僕は妹も含めて、家族全員を無視し続けたし避け続けた。暴力事件を起こした僕は、怖がられて、嫌われていると思い込んでいたからね」
「そうだったのかよ……」
近藤くんが「まいったな」と呟いて天井を見上げた。
「でも妹がそれは誤解だと教えてくれた。僕を救ってくれた。家族ともう一度向き合うための切っ掛けを作ってくれた。だから僕は、例え冗談でも妹の事は悪く言いたくないし、仲が良いかと聞かれたら認めたいんだ」
「……なあ、相良。さっき、話の最後に俺は めでたしめでたし って言ったがよ、そこはまだ、めでたい場面じゃなかったんだな…… 悪かった」
「いや、一部事実と真逆な『大きな嘘』が混じっていたけど、あの話は凄く良かった。うん、面白かったよ」
「え!? 大きな嘘ってどこ?」
「マジで?」
「おかしな感じとか不自然さとかは感じなかったけどなぁ」
「俺が自分で調べた事と、当事者の友人である妹から聞いた『事実』だけで作った話だぜ? 間違いとか嘘なんて無い筈だぞ」
「ねえねえ、どこどこ? どこが『嘘』だったの?」
3人に詰め寄られた僕だったけれど、前よりもさらに、ほんの少しだけれど、心に余裕が増えたと感じる事が出来た自分が嬉しくて、楽しくて…… だから
「教えないっ」
秘密にした。
僕を除いた3人は、昼休みが終わるまでずっと、話していた。
近藤くんが事件の情報をもう一度整理し出して。
最上さんとアサハカくんが近藤くんに協力して、矛盾や曖昧な部分が無いかの検討を始めた。
そんな3人が、真実に全く近付いていかない様子を、僕は笑って眺めていた。
どうやら僕は、いつの間にか笑うと言う事を忘れていたらしい。
笑った感覚がぎこちないと感じた僕は、それがまた可笑しいと感じて、また笑った。
僕は、笑うと言う事を今日、思い出すことが出来た。