暖炉協定、結ばせていただきます!――暖炉の記憶――
「失敗‥‥‥した‥‥‥」
目が覚めた時には壁に磔になっていた。
部屋を観察すると、木製の机と椅子が私の対面に据え付けられていた。レンガの壁には焼け焦げた跡があり、3方の壁のランプの油が漏れて、床の継ぎ目に沿ってこちらに向かって流れ出している。
Y56
その栗毛色の髪の少女はよくここに来て、本を読んだ。書斎机はすっかり痛んでいたが、彼女は自らの手で大切に修理をしていた。木材はちぐはぐだったが、その分愛着を持っていた。端材を使い、彼女は壁一面に本棚を拵え、ありとあらゆる本を題名や高さなんて気にもせずに次々に並べていった。
Y175
椅子に腰かけた母親が娘を膝にのせ、語り聞かせる。
「彼はこの部屋の主なの。」
「でもこの部屋はお母様のものよ!」
幼い娘は口をとがらせる。
そうね、でも―――母親は何か言いたげに私を見た。
「でも、彼は私よりもずっと昔からここにいた。それに‥‥‥」
母の口から紡がれる伝説の物語のかけらを、娘は宝石のような目で待っている。
Y302
彼女は最初の少女によく似ていた。好奇心旺盛でよくひとりでここに訪れた。
けれど、今日は涙を流して祖母と母親の写真を抱きしめている。
不意に彼女が言った。
「暖炉よ、暖炉よ、奇跡の暖炉」
彼女は私に火を焚べた。
私の中にかすかな記憶が灯る。
誰の、どの魔術かは分からない。
俺はあのとき殺された。
ここはかつて「暖炉協定の部屋」だった。
協定は一人の裏切りのよって失敗し、それぞれの国の4人の〈奇跡つかい〉は同時に姿を消した、はずだった。
だが、その一人の俺は暖炉に転生している。つまり、生きている。
〈輪廻〉、〈転生〉、〈回復〉、そして〈治癒〉。4人の〈奇跡〉が今も存在している。故に彼女の母親も、その母親も、その母親も、若くして死んだのだ。
回復魔法を巡る戦争は、300年経った今もなお続いている。
彼女に事実を伝えなければ。
彼女の伝記は右面の棚の3段目。
俺は炎をねじり、逆巻く。
もう少し前へ、前へ!!
「きゃあ!」
炎は床に溶けだした油を伝い、右の壁のランプにささやかな明かりを灯し、一冊の本に引火した。
彼女は、慌てて青い背表紙を手に取り火を払った。本は無事だった。まるで〈回復〉したかのような綺麗な表紙。
―――おばあちゃんの書いた、本?
彼女はそう呟いて表紙をめくる。
始まりに過ぎないが、暖炉が起こした原初の奇跡。
暖炉だった青年と彼女による「協定の再締約」の物語はまだ少し先のお話。