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桑の実  作者: やきぶたたまこめし
9/28

「宮本さん」



「ウィーン…」

 自動ドアが開いたと同時に、涼しい空気が、太陽に熱された体を冷ましていく。

「涼しぃ~!」

 ひんやりとクーラーの効いた、病院の中。生温くはっきりしなかった辺りの空気が、冷気の効く涼しいものになり、汗が少しずつ引いていく。

 鼻につく薬の匂いが、なんだか懐かしく思える。

 私は、見慣れたナースステーションの前に、久しぶりに立った。

 病院の中は、お年寄りや年配の層の人たちが、少人数いた。受付のすぐ横の待合場では、午後一番のニュースを見たり、新聞を読みながら順番を待つ大人たちが所々座っている。

「こんにちは。」

「あっ!千春ちゃんじゃない!久しぶりねぇ~!」

 目や口元の(しわ)が濃い、40~50代くらいの、看護師長さん。

 姉のお見舞いに毎日来ていたこともあって、看護師さんとは顔見知り程度に仲が良かった。

 特にこの人。小太りでぱさぱさの髪を三つ編みにしている、感じのいい看護師長さんとは、会えば時々話す程度に仲が良かった。

 髪型と雰囲気が、まるでジブリのハウルの動く城に出てくる、『ソフィ』のおばさんバージョンみたいだなぁ~、と、見るたび毎回思う。まあ、『ソフィ』のような黒の混じった白髪ではなく、黒髪で、そこまで年老いてないイメージだけど。なんとなく似ている雰囲気と性格に、少し親近感が()いた。

「はい、久しぶりですね。」

 にこっと愛想笑いを浮かべる。

 いつも来ていたはずの場所と、姉が死んでから会っていなかったこの人たちは、少し懐かしい。

「今日はどうしたの?」

 肝心(かんじん)の薄井の姿が見当たらず、キョロキョロと見渡してみる。

「あぁ、はい。…薄井先生に、用があって……」

「そぉなの。こっちで呼んでみるわね!」

 看護師長さんがにっこりと笑った。

「はい。お願いします。」

 薄井はまだ仕事中で、しばらくかかるらしかった。

 約束していたにも関わらず遅刻する薄井に、腹を立てながらも、画用紙くらいのサイズのテレビがついた待合所で、少し待たせてもらうことにした。

 

 説明し遅れたが、私がここに来た理由を少し話そうと思う。

 あの後。あの、薄井と話し終えた後。

 薄井に『気になるなら、病院に来て、話し声を聞いたという看護師さんにでも、話を(うかが)えばいい。いつでも、待っているから』と言われ、連絡先(れんらくさき)交換(こうかん)した。

 流石(さすが)に、この年頃になると、中年のおじさんと連絡先を交換するのは、少し気が引けたんだけど、まあ、薄井の言っていたお姉ちゃんの死因のことも気になっていたし、しょうがなく交換することにした。

 私は、その日の夜から―毎日。

 あの悪夢を見るようになっていった。

 毎晩。夜寝ると、夢にお姉ちゃんの姿をした白目の女性が出てきて、『おいてかないで。』と高い声で発狂(はっきょう)し、私を責め立てる。

目が覚めると、毎回。夜中の2時になっている、というのが毎晩だった。

そんなことが続くと、寝ることも怖くなってきて、だんだん夜眠ることが出来なくなっていった。

生活リズムが変わり、夜寝ずに学校で授業中に寝るようになった。中3ともなれば、母の影響で、いい高校に入らなければならない私は、毎週6回、3~4時間以上塾に通う生活だった。

 中学受験に失敗したことで、母は私を偏差値(へんさち)の高い高校に行かせることに必死だった。そのせいで、どんどん生活リズムが悪化していき、寝不足と疲労で倒れそうな程になっていた。

 耐えられなくなってきた私は、そのことを電話で薄井に相談した。

 すると薄井は、原因は分からないが、私が、姉の死について、気になっているからそんな夢を見ているのではないか、と言った。夢というのは、その時期(とき)の自分を映す鏡だ。その時期(とき)に私が、姉の死んだショックと、死への疑問で、困惑しているから、見ているのではないか、と言った。

 それから少し考えて、私は、薄井の言った通り。看護師さんの話を聞いてみるだけでも、やってみよう、と思った。

 もし私が姉の死について気になっているんだったら、話を聞くだけでもしてみれば、何かが変わるかもしれないし、姉の最期を、ちゃんと知れるかもしれない。

 それに久しぶりに、この病院の人たちに会いたかった、というのもあった。

 毎日、平日も休日も通っていた場所と、仲良くなった人たちに、また少し会いたくなったのだ。

 そして今、ここにいる。

 これから、話し声を聞いたという看護師さんに話を聞くことになっている。

 

「おっ、千春ちゃん。よく来たね。」

 そこには、熱そうにシャツの一番上のボタンを開け、紺色のハンカチで汗を(ぬぐ)う、薄井の姿があった。

 薄井は私のほうを向いて、ニコニコと笑っている。

「遅いです。待ちくたびれました。」

 そんな薄井の笑顔を見ていると、少し頭の奥がイライラしてくる。

「アハハ…ごめんごめん!仕事が立て込んでるんだよ。」

「はあ…。まあ、いいですけど。…早く行きましょう。」

 薄井を(うなが)すと、『面会室』と札の垂れている部屋の中に入って行った。

「ガタ…」

 私が真ん中の椅子に座ると同時に、薄井の後ろから、誰かが顔を(のぞ)かせた。

「久しぶりだね。千春ちゃん!」

 そこには、にこっと可愛らしい少女のような笑みを浮かべた、看護師さんがいた。

「宮本…さんっ!」

 20代後半くらいの、若い女の看護師さん。

 この、『宮本さん』は、お姉ちゃんの担当をしてくれていた。

 お姉ちゃんが、中学生になった頃。私はまだ、小学4年生だったと思う。新人としてこの病院にやってきた宮本さんの、初めての担当が、お姉ちゃんだった。

 その頃のお姉ちゃんは、もう生きることを諦めていて、病状もどんどん悪化していく一方だった。「ただ死ぬことを待つだけの毎日」そんな感じだった。

でも宮本さんが担当になってくれて、二人で色んなことを話して、仲良くなって、だんだんと生きることをやめたくない、って思ってきたみたい。病気を治すんだ、って、その頃から大分頑張っていた。そんなお姉ちゃんの努力もあってか、一度、退院して家に帰ってこれた時期もあったくらいだ。

 まあ、一週間後には、またすぐ入院、ってことになったけれど、宮本さんのおかげで、お姉ちゃんは生きる希望を持てたんだと思う。

「宮本さんっ!久しぶりですねっ!」

 つい感情が高ぶって、興奮気味になってしまった。

「うん、千春ちゃん。元気そうで……本当によかった…!……本当に、本当に………」

 宮本さんの目が、みるみるうちに涙で埋め尽くされていく。

「…千春…ちゃん…。お姉ちゃんのこと、治してあげられなくて…。本当に本当に…ごめんなさいね…。」

 宮本さんが、顔が足に付くくらい、深々と頭を下げた。

「いいんです、宮本さん。頭を、上げてください。」

 手で宮本さんを促し、言った。

「私は…、宮本さんのおかげで、お姉ちゃんが最期(さいご)まで笑顔でいられた、って思ってます。きっとお姉ちゃんは…、宮本さんと出会えて、最期の時まで一緒に居られて、幸せだったと思います。」

 宮本さんには、感謝してもしきれないくらいだ。

 一度、お姉ちゃんが言っていた。

―私、宮本さん…。大好きだなぁ~…。お姉ちゃんみたい、って思っててね。まあ、年が離れすぎてるし、私も、妹ってガラじゃないんだけど…。私…。宮本さんが担当で、本当に良かったなぁ―

 お姉ちゃんはきっと、宮本さんのことが、人として大好きだったと思う。

 家族のようだと、私もお姉ちゃんも思っていた。

 だから、本当に。宮本さんまで、(かな)しい顔をしないで欲しい。

「だから、宮本さん。…笑ってください。私もあなたの、笑った顔が大好きです。」

 宮本さんが、やっと頭を上げた。

「千春…、ちゃん…。あり、がと、うぅ…。」

 泣きじゃくる子供みたいに、大声を上げて泣く宮本さんを見ていると、お姉ちゃんは、この人にすごく大事に思われてたんだな、って思った。

 なんだか。私まで―…。

 冷たい雫が、頬を撫でる感覚があった。

 きっとこれは、(もら)い泣き、だ。

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