姉との記憶
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金色のような赤と、淡い青が、空を包み込んでいる。
道の先に茜色に燃え尽きていく太陽が見え、眩しくて思わず目を閉じた。
「こんにちは、千春ちゃん。」
自動ドアを抜けた先にあるナースステーションで忙しなく働く、見慣れた顔の看護師さん。その中の一人が、私に向かってにっこりと笑いかけた。
「こんにちは。」
私も、不器用に笑い返す。
「よく来たね。お姉さん、今日も病室にいるよ。」
「ありがとうございます。」
私は看護師さんにお礼を言うと、エレベーターに乗るため、『▲』のボタンを押した。
そして、4階まで着くと、病室の扉の取っ手を握った。つるんとした真っ白なドアを開くと、ふかふかの布団の上に、お姉ちゃんが座っている。
「ガラガラガラ…」
鼻の奥のツンとする薬の匂いと、姉の優しい香りが、顔の前をふわっと通り過ぎていく。
「お姉ちゃん。」
「あっ、千春。よく来たね。」
いつもなら『また来たのぉ?』なんて言う癖に、その日のお姉ちゃんは、少し元気がないように見えた。
「…どしたの、お姉ちゃん。具合悪いの…?」
私は、傍にあった丸椅子に腰掛けながら言った。
「ううん。最近は、すっごく身体の調子がいいの。今日だって、外を出歩けるんじゃないか、ってくらい、元気。」
姉が、ぎこちない笑みを浮かべた。
「なら、どうして。そんなに不安そうな顔してるの…?」
「………」
姉が、顔を窓の外へ向ける。
オレンジ色に光る夕日が、姉の姿を黄赤色に照らす。
「ねえ、千春。」
「ん?なに…?」
私のほうへ振り向いた姉が、言った。
「もし…、私が死んだら、どうする―?」
姉の不安そうな表情が、私の目に映った。
こんなことを聞いてきたのは、初めてだった。
いつも、ネガティブな言葉は私の前では口にしなかったし、自分でも、気持ちが沈んだら体調も悪くなりそうだからと、自然とポジティブな思考に持っていってる、って言っていた。
でも、そんな姉がこんなことを聞いてきたのは—―
今思えば、その日の姉の様子は、少し変だったような気がする。
まるで―、自分が死ぬことを、知っていた、みたいな—―
「…う~ん…。どうするだろ…。」
私が考える素振りを見せると、姉が申し訳なさそうな声色で言った。
「まあ、難しいよね。…ごめんね、変なこと聞いて……」
「そんなの。考えたことないからわかんないや。未来がどうなるかなんて、分かんない。でも私は―、お姉ちゃんがずっと生きててくれる、って信じてるし…。考えても無駄かな、って思ってる、かな。」
「………そっか…。そうだよね!考えても、仕方ないよね!」
「うん、そうだよ!そんなこと考えてるくらいなら、勉強しなさい、って、お母さんに叱られるよっ!もうすぐ、期末テストもあるし!」
「あ~っ!やめて!『テスト』って言葉すらも、聞きたくない!」
「アハハハハ!お姉ちゃんは、勉強苦手だもんね!賢い妹が教えてあげようか?」
「そんなこと言ったって、千春だって勉強苦手じゃん!」
「…っ!お姉ちゃんよりはマシだね!」
「私だって、千春よりはマシだもん!」
姉の表情がいきいきしたものに変わってきて、少し安堵した。
時々ネガティブになってしまうのも、しょうがないと思う。人間だし、重い病気を持っていれば、未来が不安になることだってある。
そんな時は、私や家族に頼ってくれたら、嬉しいな。
「……千春。」
姉が、顔を俯かせた。
窓の外の夕日が、だんだんと沈み始めている。
空というのは気まぐれで、さっきまで茜色が埋め尽くしていたのに、夜空が顔を見せ始め、だんだんと薄暗い「青」に変わっていく。
藍色が、淡くぼんやりと空に映ると、その中に小さな光の粒が散らばっていた。
「なに…?」
その時、はっきりと、私の目に映る。
姉の手が、小刻みに震えていた。
「お姉ちゃん…?」
姉は―
いつ死んでもおかしくない、と言われている。
だから寝たきりだし、私たちが大人になる頃にこの世にいるかも、そもそも成人までいきられるかも―、分からない。
姉には、当たり前にあるはずの未来すら―…、あやふやなのだ。
明日生きているかさえも分からない。
今この瞬間も、発作が起きて死んでしまううかもしれない。あと、2分後に。10分後に。1時間後に—―
姉は、そういう世界で、一人、病気と闘い、生きているんだ。
「……ずっと、傍に、いてくれる…?」
沈みかけた夕日の光が、姉の潤んだ目をキラキラ揺らす。
「……当たり前じゃん。」
姉の目から、涙が一粒落ちる。
「私が、ずっと、お姉ちゃんの傍にいるよ。」
だからこそ私は、ずっとお姉ちゃんの傍にいたいんだ。
私は、たった一人のお姉ちゃんの姉妹で、たった3人の家族の一人だから。
「まあ、ズボラなお姉ちゃんの面倒見るのは、すっごい骨が折れるけどね…っ!」
「うるさいよっ!私、千春よりは、ズボラじゃないしっ!」
「時々入院服洗濯するの忘れて、同じの着てることあるのにぃ~?」
「そ、それは…!しょうがないじゃん!面倒くさいんだからっ!」
「アハハ!認めちゃってるじゃんっ!」
「っ…!認めてないしぃ!」
その日は—――
お姉ちゃんが死んだ日だった。