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桑の実  作者: やきぶたたまこめし
8/28

姉との記憶



 金色のような赤と、淡い青が、空を包み込んでいる。

 道の先に茜色に燃え尽きていく太陽が見え、眩しくて思わず目を閉じた。

「こんにちは、千春ちゃん。」

 自動ドアを抜けた先にあるナースステーションで(せわ)しなく働く、見慣れた顔の看護師さん。その中の一人が、私に向かってにっこりと笑いかけた。

「こんにちは。」

 私も、不器用に笑い返す。

「よく来たね。お姉さん、今日も病室にいるよ。」

「ありがとうございます。」

 私は看護師さんにお礼を言うと、エレベーターに乗るため、『▲』のボタンを押した。

 そして、4階まで着くと、病室の扉の取っ手を握った。つるんとした真っ白なドアを開くと、ふかふかの布団の上に、お姉ちゃんが座っている。

「ガラガラガラ…」

 鼻の奥のツンとする薬の匂いと、姉の優しい香りが、顔の前をふわっと通り過ぎていく。

「お姉ちゃん。」

「あっ、千春。よく来たね。」

 いつもなら『また来たのぉ?』なんて言う(くせ)に、その日のお姉ちゃんは、少し元気がないように見えた。

「…どしたの、お姉ちゃん。具合悪いの…?」

 私は、傍にあった丸椅子に腰掛けながら言った。

「ううん。最近は、すっごく身体の調子がいいの。今日だって、外を出歩けるんじゃないか、ってくらい、元気。」

 姉が、ぎこちない笑みを浮かべた。

「なら、どうして。そんなに不安そうな顔してるの…?」

「………」

 姉が、顔を窓の外へ向ける。

 オレンジ色に光る夕日が、姉の姿を黄赤(きあか)色に照らす。

「ねえ、千春。」

「ん?なに…?」

 私のほうへ振り向いた姉が、言った。

「もし…、私が死んだら、どうする―?」

 姉の不安そうな表情が、私の目に映った。

 こんなことを聞いてきたのは、初めてだった。

 いつも、ネガティブな言葉は私の前では口にしなかったし、自分でも、気持ちが沈んだら体調も悪くなりそうだからと、自然とポジティブな思考に持っていってる、って言っていた。

 でも、そんな姉がこんなことを聞いてきたのは—―

 今思えば、その日の姉の様子は、少し変だったような気がする。

 まるで―、自分が死ぬことを、知っていた、みたいな—―

 

「…う~ん…。どうするだろ…。」

 私が考える素振りを見せると、姉が申し訳なさそうな声色で言った。

「まあ、難しいよね。…ごめんね、変なこと聞いて……」

「そんなの。考えたことないからわかんないや。未来がどうなるかなんて、分かんない。でも私は―、お姉ちゃんがずっと生きててくれる、って信じてるし…。考えても無駄かな、って思ってる、かな。」

「………そっか…。そうだよね!考えても、仕方ないよね!」

「うん、そうだよ!そんなこと考えてるくらいなら、勉強しなさい、って、お母さんに(しか)られるよっ!もうすぐ、期末テストもあるし!」

「あ~っ!やめて!『テスト』って言葉すらも、聞きたくない!」

「アハハハハ!お姉ちゃんは、勉強苦手だもんね!(かしこ)い妹が教えてあげようか?」

「そんなこと言ったって、千春だって勉強苦手じゃん!」

「…っ!お姉ちゃんよりはマシだね!」

「私だって、千春よりはマシだもん!」

 姉の表情がいきいきしたものに変わってきて、少し安堵(あんど)した。

 時々ネガティブになってしまうのも、しょうがないと思う。人間だし、重い病気を持っていれば、未来が不安になることだってある。

 そんな時は、私や家族に頼ってくれたら、嬉しいな。

 

 

「……千春。」

 姉が、顔を(うつむ)かせた。

 窓の外の夕日が、だんだんと沈み始めている。

 空というのは気まぐれで、さっきまで茜色が埋め尽くしていたのに、夜空が顔を見せ始め、だんだんと薄暗い「青」に変わっていく。

 藍色が、淡くぼんやりと空に映ると、その中に小さな光の粒が散らばっていた。

「なに…?」

 その時、はっきりと、私の目に映る。

 姉の手が、小刻(こきざ)みに震えていた。

「お姉ちゃん…?」

 姉は―

 いつ死んでもおかしくない、と言われている。

 だから寝たきりだし、私たちが大人になる頃にこの世にいるかも、そもそも成人までいきられるかも―、分からない。

 姉には、当たり前にあるはずの未来すら―…、あやふやなのだ。

 明日生きているかさえも分からない。

 今この瞬間も、発作が起きて死んでしまううかもしれない。あと、2分後に。10分後に。1時間後に—―

 姉は、そういう世界で、一人、病気と(たたか)い、生きているんだ。

 

「……ずっと、傍に、いてくれる…?」

 沈みかけた夕日の光が、姉の(うる)んだ目をキラキラ揺らす。

「……当たり前じゃん。」

 姉の目から、涙が一粒落ちる。

「私が、ずっと、お姉ちゃんの傍にいるよ。」

 だからこそ私は、ずっとお姉ちゃんの傍にいたいんだ。

 私は、たった一人のお姉ちゃんの姉妹で、たった3人の家族の一人だから。

「まあ、ズボラなお姉ちゃんの面倒見るのは、すっごい骨が折れるけどね…っ!」

「うるさいよっ!私、千春よりは、ズボラじゃないしっ!」

「時々入院服洗濯するの忘れて、同じの着てることあるのにぃ~?」

「そ、それは…!しょうがないじゃん!面倒くさいんだからっ!」

「アハハ!認めちゃってるじゃんっ!」

「っ…!認めてないしぃ!」

 

 

 

 

 

 その日は—――

 お姉ちゃんが死んだ日だった。


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