薄井の証言
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大体、半分くらいまで片し終わった。
「アイス買いにいこっかなぁ~!」
クーラーの効いた涼しい部屋で作業をするのは、そんなに苦ではない。
でも、やっぱり動いていたら汗を掻くし、熱くもなる。
私は、片していた物を最後に段ボールに詰め、立ち上がった。
「ガサッ!」
「あっ!」
踏み出そうとしたところに、丁度アルバムがあって、蹴ってしまった。
半開きになったアルバムを拾うため、手を伸ばす。
「あ………」
最後のページが、開いていた。
2,3枚が入れてあるそのページ中の一つに、『15歳 翠』と書いてある、何も入ってない所があった。
その枠には、なんだか抜き取られたような跡が残っている。
お母さんかお父さんが、葬式の写真にでも使ったのかな…?
不思議には思ったものの、特に気に留めず、私は家を出た。
「ピッ、ピッ、ピッ…!」
「レジ袋は、ご利用になられますか?」
「あ、はい。お願いします。」
家から徒歩で10分くらいの距離にあるコンビニを、アイスを買って、後にする。
「もわぁ…」と、生温い夏の空気が、外に出た瞬間、冷えた身体を一気に温めていく。
すぐ傍には、この町のシンボル?のような古臭いお城が、聳え立っている。なんでも、お堀の水が海水を引いているのは、このお城だけらしく、それをこの田舎の連中は自慢げに思って、観光名所にしているらしい。
そんな、大人になって何の役にも立たないような、つまらないことを、小学校で散々勉強させられた憶えがある。写生大会では全校生徒でこのお城をスケッチし、見学遠足では毎回お城の中を見学したっけ?
どうせなら、もっとためになりそうなことを、見学させてくれたら良かったのに。なんて文句を今も昔も、変わらず胸に抱いていたのは、私だけなのだろうか?
「あっつ!」
照りつける日差しが、日焼け止めを塗った、少しベタベタした肌を焦がしていく。
昨日、たまたま付けた昼のニュース特番で、「遂に都心で36度越えを観測!」と、放送していたのを思い出す。
私がまだ幼かった頃は、真夏の温度は「30度」くらいあれば、「猛暑!」なんていわれていたのに、酷くなる一方の地球温暖化のせいで、真夏の温度は上がるばかりだ。
そんな、世界の問題ごとも知らずに、大きく聳え立つ入道雲を、ちょっとだけ睨んでやった。
「はあ…。マジでアツい。」
私は、さっき買ったアイスを袋から取り出すと、傍にあった椅子に腰掛けた。
買ったばかりなのに、もうとろけてしまいそうなソーダ味のアイスの袋の端を切って、薄茶色の平べったい棒を取り出す。
そして、冷たい氷の塊を口の中に放り込む。
ひんやりと甘酸っぱい感覚が広がったと、同時に―…
「千春…ちゃん…!」
と、誰かが呼ぶ声がした。
慌てて振り向く。
「千春ちゃん!だよねっ?」
そこには、見慣れた顔があった。
「はい…。薄井先生こそ、どうしたんですか?」
姉の担当医を務めてくれていた、医師の「薄井」。
30代後半くらいの、身長が低く、小太りの男の人。外見は、ただの「おっさん」って感じだけど、少しのんびりとした性格が、顔にも出ている。丸みを帯びたフェイスラインに、垂れていて真ん丸な目なんて、性格の通り、って感じだ。白いシャツに黒の長ズボンを履き、暑そうに顔を歪めている。
「千春ちゃん。よかったよ…、会えて。」
「ハアハア」と荒い息を吐きながら、薄井は安心したように言った。
「はあ…。私に何か、用ですか…?」
「うん。千春ちゃんに、お姉さんのことで話しておきたいことがあってね。」
薄井ののんびりした口調で、深刻な感じが全くしないけど、『お姉ちゃんのこと』って、何だろ?
入院してた部屋に、忘れ物があったとか…?
それとも、お姉ちゃんが、最後に、言い残したこととか…?
なんとなくしか見当がつかなくて、少し気になってしまう。
「どこかで、少し話さないかい?」
『姉のこと』と言われたら、断れない。
「は、はい…。」
私は、少し警戒しながら返事をした。
いくら姉の主治医とはいえ、相手は大人の男の人だ。
警戒しないわけがない。
薄井の提案で、コンビニの近くにあった、ファミレスで話すことにした。
日曜の午後の時間帯ということもあって、ファミレスは大勢の人で混みあっていた。3世代の集まった家族連れや、パンケーキやシェイクを片手に騒ぐ、高校生集団。他にもカップルや、サラリーマンなど、色んな層の人たちが大勢入り浸っていた。
私は、ドリンクバーでアイスティーを入れると、先に席をとっていた薄井のもとへ戻った。
「あの…。それで、話っていうのは…、何ですか……?」
喉が渇いていたこともあって、「ゴクゴク」とアイスティーを喉の奥へ流し込んだ。
ふんわり。紅茶のオシャレな香りが鼻を抜けるけど、それよりも体が水分を欲していたから、ちゃんと、味わっては飲まなかった。
「ああ、うん。」
薄井は、紺色の縞模様のハンカチで汗を拭うと、ドリンクバーで取ったアイスコーヒーに、シロップとミルクを何個も入れながら、言った。
「この話は、君の両親にも話してくれると、助かる。でも、もし話したくなければ、話さなくてもいい。」
「はあ…。」
『話してくれると助かるけど、話さなくてもいい』って、一体どんな話なのかな…?
そんなに重要なことなの…?
薄井の、穏やかな口調のせいで、相変わらず深刻さが伝わってこなくて、疑ってしまう。
「僕はね。ずっと、お姉さん―翠さんの死、について、疑問があってね…。」
薄井の声が、さっきよりも低く聞こえる。
「疑問、ですか?」
「うん。翠さんの死には、幾つか不可解な、引っ掛かる点があるんだよ。」
「病死じゃない、ってことですか—?」
「……うん。」
何故、そう言い切れるの—?
私は、実際にお姉ちゃんの死にざまを見たわけじゃないけど、お姉ちゃんは重い病気だったし、いつ死んでもおかしくない状況だった、と聞いていた。
もし病死じゃないというなら、「他殺」―誰かに、殺されたとでもいうのだろうか―?
「なんで……?なんで、そんな風に、言い切れるんですか?」
少し前のめりになって聞くと、薄井は渋い顔をした。
「なんで……」
薄井の声が、私の声を遮る。
「死ぬ前の、2週間ぐらい…。」
薄井は、ストローでキャラメル色のコーヒーを飲むと、淡々と話し出した。
「お姉さんは、すごく病状が良くなってきていたんだ。こちらも、退院を考えるくらい、良くなってきていて、ご自身も、すごくモチベーションが上がってきていたと思う。…まあ、病状がその日にいきなり悪化した、ってこともあるし、僕も、それだけで疑問を持ったわけじゃない。でも―…。お姉さんが死んだ後の病室に、何か紙の切れ端のようなものが落ちていたんだ。普段、お姉さんは使うものはすごく丁寧に扱っていたし、死ぬ前の日の昼に僕が病室に行ったときは、そんなもの落ちていなかった。だから、こんなものが落ちてあるなんて、妙だな、と思った。……それに。お姉さんが死ぬ前の日の夜。その日夜勤だった看護師が、見回り時に聞いたらしいんだ。お姉さんと、誰かが話す声を―」
「え………―でも、私。やっぱりそれだけじゃ…。他殺、だなんて、決めつけられないです。」
確かに、おかしい、とは思う。辻褄が合わないところだって、ある。
でも、偶然だった、っていう可能性だって、ないわけじゃない。
それに―…、姉が誰かに殺された、なんて。信じたくない。
信じてしまえば、その人のことを恨んで、恨んで、恨んで―
本当にいつか、『死』を、願ってしまいそうになる気がするから………
「それに……。お姉さんの死にかた、なんだが―…。眠るように、死んでいたんだよ。病死なら、すぐに僕たちが駆け付けられたはずなのに。ナースコールだって、鳴った形跡がなかったし、とても、病死だとは―思えない状態だったんだ。」
「そんな―…。」
本当に、お姉ちゃんは、病死じゃないのかな―?
そんなの…。簡単に信じられるはずがない。
「信じられないかもしれないが…僕は、疑っている。—君のお姉さんの死を…。」