不信感
✾
「カチャ…」
姉の部屋への、扉を開けた。
いつにないほどの緊張感が、身体を強張らせる。
「失礼、します…。」
ふわっ、と姉の懐かしい香りが鼻につく。
(懐かしいなぁ…。お姉ちゃんの匂いだ。)
匂いだけで、姉との思い出が蘇ってきて、懐かしい気持ちに満たされる。
そう言えば、小さい頃。私がお姉ちゃんの部屋にいきなり入ったら、すごくびっくりして、椅子から転げ落ちてたっけ。「もうっ!千春ぅー!いきなり入ってこないでよ!」って、少し怒ってて、でも、転げたお姉ちゃんの姿が間抜けすぎて、二人で大笑いした。
そんな風に、姉との思い出が詰まったこの部屋が、遺品整理したら、空っぽになってしまうんだと思うと、少し寂しい気もした。
「よしっ!始めよう!」
私は、姉の荷物を、片っ端から要るものと要らないものに分けていった。
要るものは、段ボールに。要らないものは、黄色いゴミ袋に。部屋中に茶色の段ボールと蛍光色のゴミ袋を広げて、部屋の荷物を出した。
姉の部屋は、案外片付いていた。
普段、少しずぼらなところがあったから、もっと汚いのかと思っていた。
所々埃が溜まっているところがあるものの、家具や小物もちゃんと片付いている。
まあ、ほとんど家に居なくて、入院生活ばかりだったから、自分の部屋を使うことさえ少なかったのかもしれない。
「ガサガサガサ……」
まずは、本棚。次は、クローゼット。と、順々に片していく。
姉は本が好きだったから、本棚にはたくさんの本が閉まってあった。
入院生活は、動くことも出歩くことも少なかった。その中で、最初はあまり好きではなかった本を、いつの間にか読むようになっていた。一度読みだしたらはまったみたいで、お見舞いに行くたびに、おすすめの本を紹介された。その影響か、いつの間にか私も読書が嫌いじゃなくなった気がする。
私は、姉との思い出を、一つ一つ、段ボールの中へ移し替えていった。
少しずつ物の減っていく姉の部屋は、少し寂しい空気が流れていた。
「っ!」
ふと、指先に痛みが走った。咄嗟に手を見ると、人差し指の先が小さく切れている。
「え…?」
真っ赤な血の溢れ出る人差し指を、傍にあったティッシュで抑える。
「なん、で…?」
周りをキョロキョロと見渡しても、どこにも傷のつきそうなものはない。
そもそも、姉の部屋に手を怪我するようなものなんて、あったかな…?
ほとんど誰も使っていなかった部屋だから、怪我するようなものなんて、ないと思うけど……
私は、さっき手を伸ばしかけた段ボールの中を、覗き見てみた。
「あ……」
たくさん物の詰め込まれた段ボールの底に、血の付いた小さな画鋲があった。
丁度、人差し指の先から一つ目の皺までを、半分にしたくらいの大きさ。
「なんで……?」
画鋲を手に取って確認してみる。
確かに針の先が血で赤くなっているから、これのせいなのだろう。
でもなんで、こんなところに画鋲があるのだろうか?
最初、空の段ボールを開けた時は、こんなものなかった気がする。
私は画鋲なんて入れた覚えはないし、私のほかに誰もいないこの部屋で、誰かが入れた、というのも考えにくい。
でもまあ、壁に刺してあった画鋲が落ちた、ということも考えられるし、そんなに気にすることもないだろう。
私は深く考えることを止め、また遺品の整理を始めようと、立ち上がった—―
「キャッ!」
私が手を伸ばした先に—―
大量の画鋲が、落ちている。
丸く平べったいプラスチックが針の先に着いた、赤い画鋲が、10本以上落ちている。
「っ…!」
幸い、怪我はなかったけど―……明らかに、おかしい。
画鋲のケースがあったわけでもないし、私はさっき以外、画鋲なんて見かけてない…。
誰かが、意図的に……?
「いやいやっ!そんなわけないじゃん…!この部屋には、誰もいないんだよ?もし誰かがやったとしても、この狭い部屋の中に、どうやって隠れてるっていうの…!きっと…、壁に刺してあった画鋲が、落ちっちゃったんだよ…!」
私は、無理やり胸に残る不信感を追いやると、部屋の整理に戻ることにした。
気が紛れるように、「気のせい、気のせい」と、誰かの視線がある気がするのを、無視し続けた。
本当に…。あんな夢を、見てしまったせい…、だよ……。