母のお願い
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「ピピピピー…」
耳に障るうるさい音が、部屋中に鳴り響く。
「ピピピピピー………カチッ!」
私は、アラームの電源を切ると、重たい身体を持ち上げ、起きあがった。
結局、一睡もできなかった。
どれだけ寝ようとしても、またあんな夢を見てしまうような気がして、怖くて仕方なかった。目を閉じるだけでも、開けた時にまた「お姉ちゃん」が良そうな気がして……
「千春ー!起きてよぉー…」
「はぁーい!」
今日は、日曜日だ。
学校もないし、予定があるわけでもないから、何をしよっかなぁ。
私は、眠たくぼんやりとした頭のまま、階段を降りて行った。
私は恥ずかしいことに、学校で友達がいない。小学校の頃は何人かいたけど、中学生になって、だんだん仲の良かった子たちと距離が出来てきて、気が付けば一人になっていた。
でも私はそれを、嫌なことだとも、恥ずかしいことだとも思っていない。むしろ、面倒くさい友達付き合いがなく、放課後もお姉ちゃんのお見舞いにすぐ行けるから、都合がいいと思った。部活にも入っていないことで、放課後も休日もお姉ちゃんのところに行けて、私はそれで満足だった。
「青春」などというキラキラしたものがなくても、毎日学校で勉強して、テキトーに過ごして、放課後は病院に行って、お姉ちゃんに会って、それで十分。それ以外には何も要らない。この日常が、毎日続いて、お姉ちゃんやお母さんが生きているなら、それ以外に何が要るというのだろう―なんて、思っていた。
でも、お姉ちゃんがいなくなった今となっては、何をしていいのか分からない、退屈な毎日ばかり過ごしているような気がする。
勉強に、塾に、学校に、受験勉強に。忙しないはずなのに、何かが、ぽっかりと足りていなくて。ずっと心のどこかに、寂しさが住んでいるような―
「おはよ、お母さん。」
「おはよう、千春。…あのさ、あんた、今日暇でしょ?」
「うん、そうだけど…。なに?」
母が、白ご飯をお茶碗に注ぎながら言った。
灰色の炊飯ジャーから、ホカホカしたお米の匂いと、湯気が立ち込めている。
「その…。お姉ちゃんの遺品整理を、してくれないかな?」
その白い水蒸気が、母の姿を少し曇らせる。
「え……」
夢と―同じ、展開……?
「なんで…」
自分でも驚くくらい、擦れた情けない声が出た。
「お願い。お母さん、今日予定があってね…。早く遺品整理、済まさないといけないんだって…。千春、やっててくれない?」
「嫌だ……!」
「え…?」
「嫌だよ!私…、遺品整理なんて、したくないっ!」
遺品整理なんてしていたら、きっと夢と同じになる!
そんなの、もうごめんだ。
ふと、夢に出てきたお姉ちゃんの気持ち悪い笑みが、頭の中で蘇る。
恐怖で、体中に寒気が走っていく。
「お願いよ、千春。今月のお小遣い、少し足してあげるから。それで、アイスでも何でも買っていいから。お願い。」
「無理だよっ!」
「なんで…?」
母が、拗ねたように頬を膨らませた。
いつもだったらこんなことしないけど、今日はママ友とランチでもするのだろうか?機嫌がいい気がする。
「………ねえ、千春。なんで、そんなに遺品整理したくないの?」
母の声が、急に低く、冷静になる。
「それは……―」
「もしかしたら、お姉ちゃんの私たちが知らなかった部分が、知れるかもしれないわよ?」
「知らなかった、部分?」
「うん。誰しも、そういう部分はあるでしょ?お姉ちゃんにだって、あったかもしれない。……そういう部分。千春は知りたいんじゃないの…?」
お姉ちゃんの、知らない部分。
―知りたいんじゃないの?
知りたい、とは思う。
でも―やっぱり、怖い。
あの夢を思い出しただけで、怖くて震えあがりそうだった。
「ねえ、千春。…さっきから、何に怯えているの?」
「っ……」
右手を、小さく握りしめた。
心を、見透かされているようだ。
「ねえ、千春。どうしたの…?何かあるなら、お母さんにも話して……」
母の言葉で、頭の奥が冷えていくみたいに、冷静になっていく。
私は―、なぜこんな夢如きに怯えて、何も出来なくなっているのだろうか?
夢と同じ状況になったって、「お姉ちゃん」にまた会うかなんて、分からないのに。
いつの間に、こんなに憶病になった―?
「やるよ。」
母の声を閉ざすように言った。
「え…?いいの?」
「うん。」
「大丈夫、なの…?」
「うん、大丈夫。やる…。」
母は驚きながらも、私に遺品整理の注意事項ややり方を話しだした。
そして、説明し終えると、さっそうと家を出て行った。