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桑の実  作者: やきぶたたまこめし
26/28

覚悟


       ✾

 

 小学3年生の、ある夜。

 トイレに行きたくなって目を覚ました私は、リビングの明かりが()いていることに気付いた。

 温かいオレンジ色の明かりが()れた扉に、なんとなく近づいた時―

 

 「翠が、いつ死ぬか分からない、なんて……」


 母の声だった。

 父の声はしなかったけど、母は誰かと話しているようだったから、きっと父だ、と直感的に思った。

「ドサッ!」

 持っているぬいぐるみが、手から()り落ちた。

「誰?」

 扉の向こうから誰かが近づいてくる音が聞こえて、身体を強張(こわば)らせる。

「ガチャ…」

「千春…。」

 父の、少し驚いたような声が聞こえて、顔を上げた。

「お、父さん………さっきの……」

 小学3年生というのは、知るには早すぎて、知らないには遅すぎるような、微妙(びみょう)な年齢だった。

 まだまだ発展(はってん)途上(とじょう)な心は、理解はできても、受け入れるのは難しい。

「千春。入りなさい。」

 父に促されてリビングに入ると、ティッシュを持って涙を拭く母の横に、腰を下ろした。

 座ったままの私と母に、父が温かいお茶を持って来て、机の上に置いた。

「ありがと」

 私が不愛想(ぶあいそう)に言うと、母も続いて「お父さん、ありがとう」と言った。

「ああ。」

 父が私と母の向かいの席の椅子を引き、静かに腰を下ろした。

 ダイニングテーブルに一つだけ残った席が、酷く寂しく感じた。

「………それで、千春。聞く覚悟(かくご)は、あるのか?」

 「覚悟」なんて、いるのかな―?

 お姉ちゃんのことを聞くのに、覚悟なんてものが、必要かな…?

「覚悟、なんて、ないよ。…でもね。お姉ちゃんのことを知りたいと思うのに、覚悟なんて必要なのかな…?私はお姉ちゃんの妹で、お姉ちゃんは私のお姉ちゃんなの。お姉ちゃんのことを知りたいから知る。それじゃ、だめなの?」

 いつになく、父の目をはっきりと見つめた。

 思春期(ししゅんき)反抗期(はんこうき)で、父には少し当たりが強くなってしまって、ちゃんと話したことも、最近では一緒にご飯を食べたことも、あまりない気がする。

 だから、父の目をこんなに真っすぐと見つめるのは、本当に久しぶりの感覚だった。

「………」

 父は少し考えこむと、決心したように腕を組み、顔を上げた。

「………分かった。」

「お父さんっ!?」

 母が、父を止めるように声を上げた。

「母さん。いつかは、千春にも話さなきゃならなかったんだ。このまま何も話さない方が、無理があるよ。」

「っ……!」

 母は、父の言葉になんとか了承したようで、私のほうを向いた。

「…千春。今日、お父さんたちは、病院に行って、先生に話を聞いてきた。…そこで、翠が、いつ死ぬか分からない。と言われた。」

「それって…?」

「いつ死んでも、おかしくない、ってことだ。」

「え――」

 どういう、こと…?

「今この瞬間に死んでもおかしくないし、明日の朝死んでる可能性だってあるってことだ。翠は、成人まで生きられるかも、明日生きているかも、分からないんだよ。」

「うそ……」

 なんとなく、想像はできていた。

 母の声を聞いた時から、嫌な予感は止まなくて。それでもどこかで、「違う。そんなはずない」って必死に言い聞かせてた。

 だから、言葉にして言われると、思っていたよりも、深く心に突き刺さる。

「そんな……」

 お姉ちゃんの病気のことは、知っていた。

 前になんとなくお母さんから聞いたことがあったし、私が物心ついた時から、お姉ちゃんはずっと入院生活を送っていたから、容易に想像することはできた。

「翠はな。肺の病気なんだ。大まかに言えば、心臓から肺に血液を送るための血管の圧力が、異常に上がってしまう病気。」

「薬……とか、手術とか、移植(いしょく)とか。しても無理なの?」

 私は、父に食い気味になって聞いた。

「ああ…。残念ながら、原因も治療法も分かっていないんだ…。」

「そんな……」

 目の前が、真っ暗になったみたいだった。

 今まで、光に満ちていたわけでも、雨が降っていたわけでもない平凡な景色が、急に天気が変わるみたいに、(くも)りがかっていく。

「お父さんも、よく調べたわけじゃないから、(くわ)しくは分からないんだけどな。その病気は、本当になった例が少ないみたいで…………」

 父の声が、耳を(かす)めて、どこかに消えて行く。

 音の出ないイヤホンをしてるみたいに、上手く聞き取れなくて、理解ができない。

「前に、母さんから聞いたかもしれないけど、その病気は、遺伝性(いでんせい)らしいんだ。母さんの妹―千春の叔母(おば)さんも、おんなじ病気でな…………」

 「遺伝性」という言葉に、心が(むしば)まれたように痛くなった。

 自分も、なる可能性があったんだ。

 なのに、私ではなく、お姉ちゃんになった。

 私だったらよかったのに―と、思う。

「千春。今は、信じられないし、受け入れられないのは、しかたない。…ゆっくりでいい。ちゃんと受け入れられるようになるまで、お父さんとお母さんが傍にいるから。」

「…うん……。」


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