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桑の実  作者: やきぶたたまこめし
21/28

黒い過ち


      ✾


 それから。

 私は今の夫に出会い、結婚して、翠と千春に出会えた。

 「親になる」ことの責任も覚悟も、その頃の私には持てているはずもなかった。

 だから―、あの子たちが、私を親にしてくれたようなものだった。


  「ねえねえお母さんっ!見て見て!」

  「おぉー!上手にできたねぇ……何描いたの?」

  「お母さんとお父さんっ!お姉ちゃんが一緒に描いてくれたのっ!」

 

 そう言って無邪気に笑う千春と翠が、愛おしくて。

 何よりも大切で。

 誰よりも幸せでいて欲しくて―

 そんな気持ちが私の中で溢れ出てくるたび、どうしようもなく、―守りたい。って思ってしまう。

 ちゃんと抱えて、大切にしていればよかったその感情を、私は抱えすぎてしまったのだろうか―?

 あの子たちを苦しめるほうへ進んでいることに気付きながら、それを無視し続けた私は、憶病なのだろうか―?



 人は――忘却する生き物だ。

 苦しかった過去も、(あやま)ちも。今手の中にある「日常」が、決してあたりまえではないことだって、分かっていた―はずなのに。

 そんな大事なことを、忘れてしまう。

 日常に出来た小さな(ほころ)びに、苛立(いらだ)って。大切で大切で仕方なかったものでさえ、一つずつ、ゆっくりと、忘れていく。一粒ずつ―失っていく。

 「千春のため」なんて言葉で自分を肯定(こうてい)して、親として間違ったことをしていることに気付きながら、知らないふりをし続けた。

 自分はあいつらとは違う、って。あんな、最低な親ではない、って。

 勝手に思い込んで、自分の真っ黒な過ちを、真っ白な紙で(おお)(かく)した。


 「お母さんのやってることは、全然千春のためになってないよ!」


 初めて、白かったはずの紙に、黒いシミが入り込んできた時―

 「そんなことはない」って必死に自分に言い聞かせた。「千春のためだから」って。「千春のためになってるんだ」って。

 一生懸命にシミを白く()って、また隠そうとした。


 「千春を、自分の生きたいように生きさせてあげて!」


 「うるさいっ!翠は何も分かってない!私は千春のためにやってるの!千春のためになってるの!千春だって、きっとそれを望んでる!邪魔(じゃま)しないでよ!翠は何も出来ないくせに!お金ばっかりかけて、生きてる価値もない(くせ)に!」


 「お母さんのやってることは……、間違ってるよ…?」


 「うるさい!親に(くち)(ごた)えするんじゃないの!…あんたなんか……っ!あんたなんて―早く死ねばいいのに!」


 まるで、フライパンを(ほほ)に押さえつけられたみたいに、頬がカッと熱くなった。

 怒りと憎しみが腹の底から湧き上がってきて、どうしようもなく抑えられなくなる。

 気付けば―家を飛び出して、翠の病室に(しの)び込み、点滴(てんてき)に知らない薬品を混入させていた。

 (おど)かすだけ、やってやろう、って………

 案の定。素人(しろうと)の私じゃ、翠を威かすことも、病状を悪化させることすらも出来なかった。

「やるだけ無駄だったか…」と(あきら)めかけていた私に、ある看護師の女が近づいてきた。


 「どうかされたんですか?何か、お困りのことでも?」


 その女は、「少し(おど)かしてやりたい」と(こぼ)す私の話を満足そうに聞き入れ、


 「私が、協力しますよ。何しろ、看護師ですから。医療分野は任せてください!」


 と、少女のような笑みを見せた。

 その一週間後。私は看護師との計画通り、翠の病室に忍び込み、受け取った薬を点滴に混入させた。


 初めて自分の過ちに気付いた時には――、もう、取り返しのつかないことになっていた。

 まだ少しだけだったはずのシミは、いつの間にかどんどん白い紙を黒で染め変えていき、やがて白かった原型もないほど、真っ黒に塗りつぶされていた。

 

 「夏乃翠さんが、今日の朝。息を引き取られました。」

 

 「え――」

 

 威かすだけ、のはずだった。


 翠が、「自分が間違ってた」って言ってくれさえすれば、それでよかった。私は間違ってなかったんだ、って。千春のためになってたんだ、って思えれば、それで、良かった。

 でも――


 忘れていた過去を思い出した時。私は、自分があの時の両親と同じことをしていることに気付いた。

 自分のやったことを、何度も何度も思い返し、「自分は人を殺した。実の娘を。翠を、殺したんだ」って、何度も何度も責め立てた。

 悔やんで悔やんで悔やんで悔やんで…。

 自己(じこ)嫌悪(けんお)と後悔で心はどんどん(すさ)んでいき、「自分は死ななければならない人間なんだ」と思い込むようになった。

 それから、翠のお葬式の夜を(さかい)に―毎晩。

 翠の夢を見るようになった。

 入院服姿で、目が白く純血した翠が、毎日私を責め立てる。

 

 「お母さんが私を殺したんでしょ!?千春も殺してよぉ!!私を()った時みたいにさ!二回も()ってるんだから、お手の者でしょ?ああ、今度はグサって包丁で腹を刺してよ!そしたら私、お母さんのこと許してあげるぅ!お願いっ!私、一人で寂しいのよぉ!」

 

 だんだん、夢の中だけでなく、昼間や普通に過ごしている時にも、翠の声が聞こえるようになった。

 

 「なんで早く()らないの?早く(ころ)してよぉ!お母さん、私を殺したこと反省してないのぉ?早く千春を殺さないと、私お母さんのこと、許さないよぉ?」

 

 私の心はだんだんと、壊れていった。

 夢に出てくる「翠」に支配されたように、千春を殺すことだけを考えるようになっていき、「私は千春を殺さないといけないんだ」と、まるで使命のように思うようになった。

 いつのまにか、周りの景色を見ることも、大切なものを思い返すことも―、しなくなっていた。

 真っ黒な画用紙はもう、ゴミ箱に捨てる前のように、びりびりに(やぶ)けていた。

 


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