恵子
✾
『お母さんが――お姉ちゃんを、殺したの―?』
「お、母さん?」
千春の質問に、口を閉ざした。
辺りに流れる沈黙が、妙に背筋を冷たくさせる。
「ねえ、お母さん…。―違うなら、違う、ってはっきり言ってよ…。」
責めるような声に、千春を見つめていたはずの目を、遺品の入った段ボールのほうへ向けた。
「………」
千春が私の反応に、目を見開き、信じらないような顔をする。
「嘘、でしょ?嘘、っていってよ……。信じられない。信じられるはずない。嘘に決まってる。…ねえ、嘘でしょ……?」
縋るように私を下から覗き込む千春。
「ねえ、お母さん……。お母さん…っ!……応えてよ…」
自分を責め立てる千春の声に、私は視線を落とした。
右手に隠し持った包丁の反射が、眩しく目の奥を突き刺す。
昔。実の母に、言われたことがある。
「―子供は親の言うことだけ聞いてればいいのよ」
私の家は、お世辞でも裕福とは言えないような家庭だった。
父も母もろくに働きもせず、子供を守ろうとも、世話しようともしない。
八畳もないくらいの小さな家の中は、いつも足の踏み場もないくらいゴミで埋め尽くされていて。でもそのゴミも、私や妹のものではなく、母や父が捨てたものだらけ。脱ぎ捨てられた服や、食べてる途中で机の上に何日も放置されたカップ麺のカップ、たばこの吸い殻。家の中はいつも腐敗物をごちゃまぜにしたような匂いが漂っていた。
小学校に上がるまでは食べ物もろくに与えてもらえなくて、母や父が残した食べ残りや生ごみを食べていたっけ。お風呂にもろくに入れなかったから、私も妹も、肌も歯も、何もかもがボロボロだった。
私が5歳くらいの時。妹がいきなり咳き込み始めて、そのまま倒れてしまったことがあった。当然、母と父が救急車を呼んでくれるはずもなく、私は瘦せ細った身体で妹をおぶって、病院まで連れて行った。
それから、妹は病院に入院することになって、家に帰ってこなくなった。
妹がいなくなった頃から、母と父が、私に暴力を振るうようになった。ずっと汚い部屋の中にいて溜まったストレスを、私で発散するためだった。
妹がいなくなって守るものを失った私は、以前にも増して母と父の言いなりになって、死んだように日々を送っていた。
それから何年か経った頃。妹の容態が悪化した、と病院から連絡があった。
その時初めて、妹が翠と同じ、肺の病気を持っていることを聞かされ、治療には高い医療費がかかることを知った。
私はその時から、学校にも親にも黙って働くようになった。
高校生だと嘘を吐いて、必死に頭を下げて雇ってもらい、雑用や汚れ仕事ばかり押し付けられても、何一つ文句を言わず、必死に働いた。
貰って来たお金は、全て妹の医療費や貯金に回し、私はちゃんとした温かいご飯なんて、食べたことがなかった。
しんどかった。
つらかったし、精神的にも身体的にも限界だった。
でも―
バイトから帰って、妹のところにお見舞いに行くと、いつも楽しそうに笑ってくれて。それだけで、本当に、何も要らないな―、って思えた。
自分はどれだけ壊れたっていいから、この子だけは、生かせてあげたい、って。
ずっと、生きていて欲しい、って思った。
本当に妹は、翠にそっくりだった。
やがて高校生になって、バイトでも信用を得られるようになっていき、中学生の頃は少なかった給料も、少しずつ増えていった。バイトを何個も掛け持ちして、毎日、何時間も働いて。それでやっと、妹の医療費や学費、生活費を払っても余るくらい稼げるようになった。
私は、その余った分を、全て妹の病気を治すために貯めた。
その頃から、妹の病状が、少しずつ良くなっていき、少しずつだけど外に出て遊んだりできるようになっていった。
でも――
それを、母と父に見つかった。
家に帰ると、貯めていたはずのお金が全て無くなっていて、母と父は、いつもとは似つかない服やアクセサリーを身に着け、知らない男や女に貢ぐためのお金として、全部を奪って出て行った。
それから、毎週。両親は家に帰って来ると、部屋の隅から隅まで物色し、私が貯めたお金を取って、どこかに行った。
母と父が家から出て行って、一年経ったある日
――妹が、死んだ。
まだ、11歳だった。
まだまだ、小さくて、幼くて。希望や、キラキラした未来がたくさんあったはずの妹が―死んだ。
妹が死んだことで生きる気力を失った私は、学校にも、外にもでなくなり、家に引きこもるようになった。
そんなある日。
母と父が、家に帰ってきた。
きっと、また金をあさりに来たんだろう。
ゴミだらけになった部屋の中を物色し、金がないことを知った母と父は、顔色を変えて私の胸ぐらを掴み、頬から血が出るまで殴り続けた。
「ねえ、何処に隠したのよ!?」「金を持ってくることしか存在意義のないお前が!私たちに反論していいと思ってるの?」「あんたのせいで私たちの人生めちゃくちゃよ!あんたなんか産まなきゃよかった!生まれてこなきゃよかったのに!?」「金持ってこないお前に、存在する価値ないんだよ!!」「価値のない人間が息を吸っていいと思ってるの!?」「お前みたいに生きてるだけで他の人間の邪魔になるような奴、早く死ねばいいのにね」
「なんで――」
ずっと殴られるままだった私が、初めて母と父に発した言葉だった。
「は??何言ってんの、あんた」
「なんで――あかりは死んだの―?」
「は??」
「なんで―、ここにいてくれないの?なんで、あかりの笑顔がどこにもないの―?なんで―、あかりは死んじゃったの?分からないよ……。どうして私、一人なの―?」
「何言ってんのあんた。頭おかしいんじゃないの??あんたの妹はもう死んだよ」
「え――」
「…………ああそうか…。。あかりは死んだのか………………どうして!?………どうしてあかりは死んだの!?…私のせいだ!!私がもっと傍にいてあげられなかったから……私がちゃんと医療費を稼げてなかったから!!!!…私が…あかりを死なせた??……………違う!!私のせいじゃない!!こいつらが悪いんだ!こいつらがお金を奪っていったから!こいつらがちゃんと育ててくれなかったから!!私のせいじゃない!!こいつらが悪いんだ!こいつらのせいであかりは死んだ!!こいつらが……………」
「違う。………私のせいだ。……私。あかりに何もしてやれなかったじゃない。もっともっと話せばよかったのに。バイトばっかりじゃなく、もっともっと傍にいればよかったのに。私は――……私が…………あかりを死なせたんだ――」
嗚咽を上げながら床に伏せて泣く私に、降ってきた、母と父の言葉。
「あんなの、死んで正解だったじゃない」
母と父は――妹に多額の医療保険を掛けていた。
「あんな、金掛けてばっかの生きてる価値もないようなやつ、死んで当然だったじゃない。あんたとおんなじで、あんなやつ絶対、生まれてこない方が良かったと思うけどww」
笑いながら、そう言った。大声で、私たちを馬鹿にするように笑い、妹が死んで手に入れたお金を振り回して、楽しそうに笑った。
その時初めて、こいつらが人じゃない何かに見えた。
気が付けば――ナイフを握っていた。
「ぐちゃ」
そんな無機質な音がした後。
ゴミまみれの床の上に冷たくなった母と父が転がる。
その上に乗って、再び二人の身体にナイフを突き刺す。
「ぐちゃっ…ぐちゃっ…ぐちゃっ…ぐちゃ…ざくっ…ざく………」
何時間そうしていたか分からない。
気付けば、家の中が血の海のようになっていた。
「え…………」
血まみれになったナイフを手から落とすと、部屋の中から転げ落ちるように出ていった。
部屋に充満していた煙草の匂いが、血の匂いと混じって、鼻にずっと残っていたのを、今でもずっと憶えている。




