「お姉ちゃん」
✾
「カチャ…」
「失礼しまーす。」
扉を開けた瞬間、ふわっと懐かしい匂いが漂ってきた。
お姉ちゃんの、匂いだ。
少し病院の薬の匂いの混じった、優しい香り。姉に近づくと、いつも匂ってきた匂いだ。この香り、匂うと少し落ち着くんだよね。
久しぶりの姉の部屋は、昔と何一つ変わっていなかった。
入院生活が多かったせいか、使われた形跡のないベットや勉強机。埃が溜まった本棚と、クローゼット。
何もかもが姉のもので。
捨てなきゃいけないのに、なんだか捨てる気になれない。
「千春。お願いねー…」
母に、姉の遺品整理をしてくれないか、と頼まれた。
母は姉が死んで、少し元気がなくなってしまったように思える。そんな母に遺品整理をさせるのは、少し心配だから、私が代わりに引き受けたのだ。
「ガサガサ」と引き出しやクローゼットの中を確認していると、朱色のアルバムのようなものが出てきた。
「あれ…?お姉ちゃん、こんなもの持ってたんだぁ。」
なんとなくパラパラめくっていくと、姉の幼い頃からの写真や家族で撮ったもの、私と姉の二人で映っている写真などが、たくさん残っていた。
「あ…、この写真。」
家族全員で一度だけ、旅行に行ったことがあった。
姉は昔から病気がちだったから、家族で旅行に行く、なんて、したことがなかった。
でも、どうしても行きたい!って幼い私が言いだしたら、なんとか姉の外出許可が出た。
結局、日帰りの近場で、看護師さんも付いての旅行だったけど、今でも忘れられないくらい楽しかったのを憶えている。
その旅行で撮った写真が、一ページ分くらいを占めていた。
大切にしてくれてたんだな…。
そう思いながら、アルバムの写真を見ていた時—―
「カチャ…」
と音を立てて、誰かが入ってきた。
父は仕事に出かけているから、母かな?
やっぱり心配になって、私を手伝いに来たのだろうか。
「お母さん。別に私一人でできるから、手伝わなくても……」
そう言いながら後ろを振り向くと—―
「え—―」
茶色ッ毛の多い髪を後ろに垂れ流して、入院服を着た—―姉が立っていた。
「お、姉ちゃん…?」
何もかもが姉そっくりなその人は、部屋に入って私を見つめたまま、微動だにしない。
「お姉ちゃん…なの…?―うそ……。」
姉が、ここにいるはずがない。
だってもう、死んだのに。
もう、お葬式もして、埋葬もして、お墓もつくった。
今更、姉が戻って来るなんて…ありえない。
「うそ、でしょ…?」
私は、姉が死んだショックで、幻覚でも見ているのだろうか―?
「ギシ…ギシ…ギシ…」
姉の姿をしたその人が、私のほうへと、一歩ずつ足を向け近づいてくる。
「お姉ちゃん?お姉ちゃん、なの…?」
でも—―
その人の目は—―真っ白だった。
白目、というのだろうか―?
目を一時的に白くさせているんじゃなくて、黒い瞳が、もともとないような、そんな目。
所々が純血して赤くなっていて、目の周りも真っ赤な血のようなもので覆われている。
「お姉ちゃん…?」
どこか—―おかしい、気がする。
「ギシ…ギシ…」
その人は私の目の前まで来ると、すごい勢いで私の両肩を掴んだ。
―ねえ、千春ちゃん…。なんで…、私を置いてったの?
声が―姉じゃなかった。
姉の、聞いていると安心するような、優しい声じゃなくて、もっと高くて、不気味な声。
まるで変声期を通しているみたいで、そもそも、声なのだろうか―?「キー」と泣き叫んでいるような、耳の痛くなる音。
聞いただけで、鳥肌が全身に回っていく。
「え……」
その人は、瞳のない目でちぎれそうなほど大きく見開き、上目遣いに私を覗き込んだ。
―ずっと一緒にいる、って言ってくれたのに…。なんで、私だけ置いてったの?ねえ、ねえ、ねえ、なんで…約束…守ってくれないの?
肩を掴む手が、より一層強くなった。
―ねえ!?私だけ置いてくなんて…、許さないから…。
姉の顔が、「にや」と、歪んだ。